第66話 雷切と火車切
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 紅森の月(一〇月)一七日夕刻。
旧エングホルム領への遠征を控え、古代遺跡で特訓しようとしたクロードは、侍女のレアから大小一揃いの日本刀を受け取った。
「雷切に、火車切だって……?」
クロードは預かり知らぬことだが、その称号を受けた刀は複数存在する。
曰く、雷神を斬った。曰く、老猫が変じた火車と呼ばれる妖物を斬ったとされる業物達。
最も有名な雷切の伝承は、九州豊後の戦国大名、大友氏に仕えた宿将、立花道雪の佩刀であろう。壮年の頃、落雷に遭った彼は、愛刀で雷を切り伏せて生き延び、半身不随となるも齢七十を越えるまで戦場で活躍し続けたという。後に道雪が養子に迎えた武者こそ、西国無双と名高き益荒男、立花宗茂である。
また北陸地方において越後の竜、常勝不敗の軍神と畏れられた上杉謙信は、愛刀家としても知られ、無数の宝剣名刀を収集していた。彼が残した遺産の中から、出羽米沢藩初代藩主、上杉景勝が卓越した鑑定眼で選び抜いた刀剣三五本の中に、火車切と呼ばれる脇差が含まれている。
が、クロードが男装先輩と呼ぶ少女、苅谷近衛ならばいざ知らず、彼はこういった逸話をとんと知らなかった。部活の茶飲話に聞いて、相槌を打っていたものの、大半は記憶の彼方に仕舞われてしまっている。
だから、彼が以前レアから受け取ったレプリカ、八丁念仏団子刺しのオリジナルが、雑賀衆由来の「斬鉄剣の如き伝承を持つ名刀」だと言うことに気づかなかったし、八龍の鎧がいわゆる「源氏重代の宝鎧」であることも想像の余地外だった。まさに豚に真珠、猫に小判である。
「僕にはよくわからないけど、二刀流ってかっこいいね。どうかな、レア。この構え!」
クロードは、いそいそと刀を抜いて、まるでロボットアニメの主役機が決めるような、両手に刀を持って、孔雀が翼を広げるようなポーズを取って見せた。
「お渡しした雷切には雷の、火車切には炎の魔力が宿っています。模造品といえ、マジックアイテムとして十分な逸品です。ソフィさんたちが戻られるまで、訓練場で練習をしましょう」
クロードとレアは、領主館を出て階段を降り、訓練場で向かい合った。
「それでは、領主様。練習をはじめましょう」
「うんっ」
レアが、右手に持ったはたきを突き出す。
クロードは、先ほど同様のポージングで受け止めようとして、眉間に直撃を受けて、三秒で叩き伏せられた。
「あ、あれ? も、もういっかい」
「はい」
仕切りなおして、クロードは打刀と脇差を十字に重ね、上半身の守りを固めるそぶりを見せた。要は、かっこいいポーズそのにである。
レアは無言ではたきを投げつけて、クロードの腹部を直撃した。
「ば、バカなっ。もういっかいっ」
「はい」
最近のクロードは、手加減こみといえ、セイやソフィと訓練で打ち合えるくらいには、成長している。
しかし、それはあくまで、一本の刀を手にした場合だ。
クロードが演劇部の先輩、苅谷近衛に叩き込まれた車の構え、即ち脇構えからの回避、あるいは迎撃は、彼自身の卓越した判断力もあって有効に機能していた。
が、構えもへったくれもあったものではない見得を決めつつ、慣れない二刀で戦うのは、さすがに無理があり過ぎた。
「領主様。マジックアイテムだと申し上げたはずです」
「あ、ああ、そうだった」
クロードは、右手に持った雷切と、左手に持った火車切に意識を集中した。打刀からはわずかな紫電がほとばしり、脇差からはゆらゆらと火の玉がまろびでる。
「さあ、来い」
「はい」
レアがはたきを投げつける。
クロードは、雷切から小さな電撃を飛ばして動きを止めて、火の玉で焼き払った。
「どうだっ?」
「お見事です、領主様。次は、こちらです」
青髪の侍女は、クロードを褒めると、静かに赤い瞳を閉じた。
「鋳造――はたき」
レアの白く小さな手に輝きが生まれて、束ねた白布を先端に巻きつけた棒切れが現れる。
「重ねて複製鋳造――はたき一〇二四本」
彼女の手のひらに包まれた一本の布つき棒は空中へと浮いて、まるで重なった影が二つに分かれるように、二本に増えて、二本が四本に、四本が八本に……と、増殖を続けた。
やがて、一呼吸を終える頃には、二人の頭上を埋めつくすほどの膨大な数のはたきが、ゆらゆらと揺れながら、渡り鳥のように旋回していた。
クロードの顔から、訓練を楽しむ余裕が消え、血の気がひいて真っ青になる。
「ちょっと待って、レア。分身の術? いくらなんでも多すぎだっ」
「領主様、何を恐れることがありましょう。これらはただのはたきです。戦場で飛び交う矢弾とは、危険性が比較になりません」
「だ、だからって、これは無理だろぉおお」
悲鳴をあげて、飛来する大量のはたきに埋もれてゆくクロードの細い身体を、レアは感情を封じた赤い瞳で見送った。
所詮は、はたきだ。一本一本ならば、当たったところでさして痛いとも感じないだろう。しかし、多くの兵士に囲まれ投げつけられれば、それは恐るべき脅威となる。
ましてや戦場で放たれるのは、非殺傷のはたきではなく、殺意のこめられた凶器なのだ。この程度も捌けないのに、エングホルム領へ行かせるわけにはいかないと、レアは強くはたきの柄を握り締めた。
抵抗軍の結成を決めた会議の後、セイはレアに告げた。
『棟梁殿がロジオン某から受け取った手紙には、こう書かれていたよ。オッテルなんていない。ダヴィッド・リードホルムのちからは、ファヴニルとおなじものだ。……と。レア殿、あやつをこのまま行かせれば死ぬぞ』
そうだ。たとえ千人の兵隊が、矢や礫を浴びせかけても一顧だにせず、平然と踏み潰すからこそ竜は脅威なのだ。
そして、ただの人間に過ぎないクロードが挑むのは、邪竜ファヴニルという正真正銘の怪物に他ならない。
「も、もういっかい……」
はたきの山に押しつぶされたかに見えたクロードだが、直前に足先で魔術文字を綴り、とっさに穴を掘って逃れたらしい。
離れた地面から、もぐらのようにひょっこりと顔を出した。
「領主様、それが正しい選択です」
「きっついなあ。僕の実力じゃ、チャンバラとはいかないか」
なんとか地面に這い上がったクロードは、再び右手に雷切を、左手に火車切を握って、構えを取った。
余分な力の抜けた彼の佇まいは、くしくも二刀流の名手、宮本武蔵を描いた絵姿に似たものだった。
「いきます。はたきよ――飛んで」
レアが指を鳴らすと、一〇二四本のはたきはふわふわと浮かんで散らばり、再び四方八方からクロード目がけて直進した。
「雷切、火車切、たのむ」
クロードの周囲を雷のカーテンが包み込んで防御し、六つの炎の球体が大小の円を描きながら、はたきを焼き落とす。
彼は、もはや邪竜ファヴニルの力をほとんど使っていない。
過去に演劇部の先輩たちから受け継いだ知識を活かし、ソフィから学んだ魔法の力を己がものとして、エリックやセイ達と共に古代遺跡で磨きあげてきた経験が、今の彼を支えている。
対神器用特殊弾にこめた空間破砕の魔術さえ、今のクロードはファヴニルの力を引き出すことなく再現できる。
「領主様、貴方は強くなりました。きっともっと強くなります」
「うん。この力で、レア、君たちを、レーベンヒェルム領の皆を護るよ。だから、もういっかい、お願い」
「はい。鋳造――」
再びはたきを生み出し、複製しながら、決して顔に出さずにレアは胸中で泣いた。
彼女が呟く、音のない言葉は、夕暮れの風に消えて誰にも届くことはない。
「でも、領主様。私の大切な貴方。強くなって、より強くなって、その先に、貴方はいますか?」