第46話 姫将と宴と、モノクローム
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復興暦一一一〇年/共和国暦一〇〇四年 花咲の月(四月)初旬。
およそ三ヶ月続いた雨季が明け、レーベンヒェルム領に、再び乾季がやってきた。
エリックを中心に、異論の相次いだ芋の空中栽培だが、日差しと雨を浴びてすくすくと育ち、ちゃんと収穫することができた。
重量だけ見れば、大成功、大豊作と言えたが、残念ながら芋のみてくれは不揃いかつ小ぶりで、そのままでは商品価値が高いとは言えなかった。
クロード達は一丸となって商品開発に挑んだものの、チップスやマッシュポテトのような既存の食品はともかく、新製品開発は困難を極めた。
「何を隠そう、たぬは料理が大好きたぬ」
「食事なら任せてほしい。これでも料理には一家言あるぞ」
アリスはぷにぷにの肉球で器用にナイフとフォークを掴み、セイもまた堂々と胸を張って箸をとったものの――。
「頼りにしてるよ。どんな料理が作れるんだい?」
いざクロードに水を向けられると、二人は途端にトーンダウンしてしまった。
「たぬは、食べるの専門たぬ」
「ひ、兵糧食ならなんとか……」
クロード自身も出身世界の記憶から、アイデアだけは豊富だったものの、彼自身料理ができると言うわけでもなかったので、理屈倒れに終わるのは目に見えていた。
しかし、そこで活躍したのが、台所の主、万能メイドことレアである。彼女は、主のうろ覚えな知識からレシピを推察し、どうにかこうにか再現してみせた。
芋と米を混ぜて作った芋麺などは、成功例のひとつだろう。モチモチした食感がラーメンに似ていると、クロードも大いに喜んだ。
「よしラーメンが出来たなら、次は焦がし豚骨醤油スープに決まってる! レア、さっそく作ってくれ。調理法はかくかくしかじかだ」
「なるほど、まるまるくまぐまと。……領主様、商品化するには、豚の供給量が追いつきません」
「DEATHよねー」
クロードは、台所の隅で体育座りをすると、小さくなってしまった。
先祖代々の尽力によって飽食が許される生活水準に達した日本と、毎日の食事さえカツカツのレーベンヒェルム領を一緒にしてはいけない。畜産には大量のエサが必要なのだ。
「でも、汁物ってアイデアはいいんじゃないかな? クロードくん、ココナッツミルクをベースに作るね、サトウキビの煮汁を加えて、と」
レシピの再現に力を発揮するのがレアなら、アレンジで大活躍したのがソフィだろう。
彼女の手にかかれば、多少変わった食材も、見事なマラヤディヴァ風家庭料理として昇華される。
レアやブリギッタはもちろん、アリスもセイも幸せそうにうっとりと微笑んで麺をすすり、クロードとアンセルも猛烈な速度でがっついた。
が、やはり甘みが強かったらしく、ヨアヒムは砂糖入り緑茶を初めて飲んだ日本人のように眉をひそめ、エリックもまた露骨に顔をしかめていた。
「ソフィ姉、これってご飯じゃなくておやつじゃねーか」
「女の子は甘いものが大好きなの」
姉貴分にそう返されると、エリックには打つ手がない。仕方がないので、彼はクロードに八つ当たりした。
「辺境伯様、なに仕事サボってるんだ。早くツッコミ入れろよ」
「え、それって、僕の仕事なの!?」
「他に何があるんだ」
「あるよっ。たくさんあるよッ、領主のお仕事はなんですか? ツッコミですって、どんな領だよ!」
「やっぱりツッコミがお仕事たぬ」
「――ッ!!」
騒々しくも笑顔に満ちた食事の場で、出汁をれんげですくいながらセイは思ったのだ。
この日々を守りたい――と。
☆
花咲の月(四月)二二日夕刻。
川こそ酷く汚染されていたが、幸い井戸や温泉は無事だったようで、スライムを駆逐したセイたち守備隊は、湯屋で汚れを落とすことができた。
驚いたことに、というべきか、やはりというべきか、守備隊の予算はシーアン代官によって怪しげな自警団に横流しされていた。駐屯所を追われたばかりか、給料も未払いで、隊員たちは爪に火をともすような、苦しい生活を強いられていたという。
セイは早速宿を借りると、酒屋から樽一杯の酒を買い込み、庭に集めた守備隊員たちに、持ち込んだ携行食料を披露した。
「皆、御椀は手に渡ったな。それが、今領都で流行らせようと頑張ってる芋食品第一弾、芋ツルの味噌干だ」
御椀に入った硬いヒモの塊は、アク抜きをした芋のツルを味噌と魚醤と酒で煮て乾燥させた保存食だった。これを見て、久々の食事だと期待していた守備隊員たちは盛大にずっこけた。
「た、隊長、なんでツルだよ! 芋はどうしたんだ、芋は!?」
「む、ツルだって立派な食材だ。兵糧に使わないともったいないじゃないか。佃煮も開発中だぞ」
セイの発言は正論であったが、これはだめだと、隊員たちの気力は真っ逆さまに下降した。
が、焚き火にかけたやかんで沸かした熱湯を注ぐと、御椀からかぐわしい香りが広がった。
「あれ、噛み切れる。意外にイケるのか」
「食べたことのない味ですが、不思議な香りで、身体が温まりますね」
「たぬたぬ」
芋蔓を使った吸い物は見かけによらず好評で、空腹と疲労で青ざめていた隊員たちの顔に、血の気が戻ってきた。
「更に第二弾、芋もちだ。餅米に蒸したイモを混ぜてつきあげている。そのままでも食べられるが、こうやって焚き火で軽く炙ると更に美味しい」
「おおっ、うまい」
「普通のもちより甘くて美味しいです」
「たぁぬー」
こっちは更に好評だった。隊員たちは先を争うように串に刺した餅をあぶり、吹き冷ましながら口に運んで、はふはふと頬張っている。
「今食べてもらったのが、兵糧だ。早いうちに慣れるように」
政務に携わったセイにとって驚きだったのは、民政一本槍かと思ったクロードが、かなりの予算を軍事費に割いていたことだった。
槍や弩、鎧のように目立つ直接戦闘用の装備だけでなく、軍用の携帯食料の開発や輸送用馬車の拡充など、細部にわたるまで兵站を重視しており、セイの目から見ても慎重すぎるほどに注力していた。
(きっかいな空中栽培や硝子農園は、領内の飢饉対策だけでなく兵糧を意図したものか。土木建設業に力を入れているのも、きっと交易だけでなく補給路を考えてのこと。我が友ながら、棟梁殿の先見は、本当に底が知れない)
同時に、畏怖を覚える。
クロードがこれほどまでに綿密な備えを必要とする邪竜ファヴニルとは、どれほどに恐ろしい相手なのかと。
「皆、過去を消すことはできない。けれどお前たちは今、私の部下で、レーベンヒェルムの地と民を守る防人だ。そのことをゆめゆめ忘れるな」
そうして、セイはにっかりと笑った。
「さて、ここからは無礼講だ。女将、例のものを持ってきてくれ」
セイが運ばせたのは、イノシシとトリの丸焼きだった。隊員たちとアリスから歓声があがる。
「我ら守備隊の前途を祝して乾杯!」
「「我らの守備隊長に乾杯!!」」
「「セイ隊長万歳!!」
セイは酒代わりの茶を口に含み、酒器を取り落としかけた。
(そうだ、過去は消えない。私が失ったものも得たものも、私自身の一部だ)
隊員たちの瞳が情熱的に輝き、歓声があがった瞬間、セイは恐怖で鳥肌がたった。
期待されているということだ。期待に応えなければいけないということだ。
『姫将さま』
『月夜の戦乙女』
『神の寵児』
そうでなければ、皆の瞳が失望に曇ってしまう。
『あれが麒麟児?』
『賢しいだけの小娘』
『面汚し。器ではない』
セイは、震えていた。恐怖で息が出来ない。
世界は色を失い、白と黒の二色に染め替えられた。
(だいじょうぶ、大丈夫だ。私は努力してきたはずだ。皆の期待に応える戦歴を重ねて、そして)
星は大地に落ちる。汚泥にまみれる。
武具を剥ぎ取られ、ぼろきれをまとった白髪の鬼女が滂沱の涙を流している。
『お前が求めた勝利は決して得られない』
うろんな過去の記憶と、今の恐怖がごたまぜになって、白黒の書き割りを引き裂いてゆく。
いつこの場に来たのだろう。逆光で顔が見えないクロードが、彼女の愚かさを糾弾する。
『お前は、勝ち方さえ知らない、戦う術さえも分からない。いらないよ、お前なんか友達じゃない』
そうして、白と黒の世界はまだらになって砕け、セイは激痛と共に意識を取り戻した。
正座した膝の上で、ぬいぐるみのような黄金の獣がぐでんぐでんと変な踊りを踊っている。
「せぇいちゃん、こぉのみずうおいしいたぬぅう」
「副隊長殿、ちょっと飲みすぎで、食べすぎです……」
「あ、アリス殿、自重してくれぇえっ」
幻夢は、ゆめまぼろしに過ぎない。
酔っ払ったアリスを必死でなだめたあと、セイは茶を口に含み、芋もちを食べた。
けれど、まるで砂を噛んだかのように味がしなかった。