第453話 色惚け隊長の帰還
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ミーナは象牙色の髪と巻いた羊角を、フードつきの耐寒ローブで隠し、首都クランの防壁に手をかけ、登攀して乗り越えた。
死者を模した雪人形の影響か、街は混乱の只中にあり、見咎められることはなかった。
「本当はわかっているの。ニンゲンには、良い面もあれば悪い面もある。あの人だって、そうだったから」
異世界から来た羊族の少女が愛した男、アンドルー・チョーカー。
彼は女好きでいい加減でチャランポランだったが、恋人や友人の為に命を賭ける勇敢な男でもあった。
「アンドルー。貴方は両足がぶるぶる震えていても、顔だけは朗らかに笑っていた」
ミーナは思い出す。彼女が愛したチョーカーという男は、軽薄な笑みこそ浮かべるが、一度決めたことにはどこまでも真剣だった。
誰もが断った、クローディアス・レーベンヒェルム暗殺作戦を成功寸前までこぎつけた。
不可能とされた、人類最強オズバルト・ダールマンが守る魔術塔を攻略した。
無謀だった、山越えからの高山都市アクリア解放を成し遂げた。
「あなたが、あきらめ、なかったから」
そんな男であればこそ、〝万人敵〟ゴルト・トイフェルが率いる軍勢から恋人のミーナ達を逃し、戦友たるクロードに逆転の道を繋いで命を落としたのだ。
ミーナは己の手で復讐を果たせなかった。クロードと姫将軍セイが勝利した後、ゴルトは自ら炎の中へ消えたという。
時の流れは止まらない。けれど、愛した男の残した思い出は今も胸に輝いている。
「ミーナも、いっしょだよ」
羊乙女が街道に降り立つと、街道は黒々とした闇夜と、純白の吹雪の二色に染まっていた。
地平線の先には、紅一点。邪竜が作りだした、ねじくれた木に似た塔が立っている。
三匹の顔なし竜は塔より出て、他の色は許さないとばかりに、土や草や花へ滅びの雪を撒きながら迫り来る。
「蛇には酒というのが、よくある伝承でしょ。酔っ払ちゃえ」
ミーナは腰にさげた皮袋から、魔法の葡萄酒を振り撒いた。酒精は空気に溶けて、人間も、動物も、精霊や器物すらも酩酊させる。
「「GAAA!」」
けれど多少動きが鈍り、乱れたところで、全長五〇mの巨蛇は危険極まりない。
三匹が身をよじらせるたびに、大地は揺れて、木々が倒れた。その上、雪がミーナから魔力と生命力を奪ってゆく。
「ちょっとでも時間を稼ぐの。そうすれば、アンドルーが守ったあの人、クロードが必ず邪竜を倒してくれる」
ミーナは魔法の木笛を吹き鳴らした。
笛の音は風の刃となってニーズヘッグを斬りつけるも、呪いの雪と厚い装甲に阻まれてしまう。
「「GIYAAA」」
ミーナは顔なし竜に傷こそつけられなかったものの、挑発には成功した。
三匹の巨竜は、羊族の少女を苛立たしげに凝視した。一部の鱗を外して砲弾のように飛ばし、あるいは数千もの白い触手を伸ばして、強引に捕らえようとする。
ミーナは皮靴を脱ぎ捨て、素足を蹄へと変化させた。人間離れした脚力で、疾走と跳躍を繰り返し、怒りに目が眩んだニーズヘッグを街から外れた森へと誘導する。
「アンドルーなら、こうする、からっ」
優位な戦場を作り、あるいは罠へ誘い込むのが、彼女が愛した男の得意分野だった。
けれど、戦力差は絶大だ。蟷螂がどれだけ斧を振りかざそうと、三体もの巨竜に勝てるはずもない。
怪物が突進するだけで、木々は横倒しになり、岩は砂山のように散った。
「アンドルー。アンドルー・チョーカー……。ミーナは頑張ったよ、最後まで戦うよ。だから、もう同じ場所へ行ってもいいかなあ」
少女は善戦するも、三匹の蛇はいたぶるように巧妙に退路を断って、遂に三方から包囲されてしまう。
「「GAAA」」
瞳も耳もない竜が、一文字に裂けた大口を開いた。三匹は歓喜の咆哮をあげて、競うように生贄の羊へ喰らいつく。
ミーナは、なすすべもなく肢体を八つ裂きにされる――。
「マッスル・スマート・ライトニング!」
――あわやという、一瞬。
カマキリのように神経質そうな横顔の男が、怪物の横っ面を青紫の雷をまとった拳で思い切り張り飛ばした。
「う、うそお。殴ったあ?」
男は、契約神器らしき短笛を吹きならしている。自身の肉体を極限まで強化しつつ、雷の魔法を使って格闘戦を挑んでいるようだ。
「ふははっ。たかが蛇の二、三匹。ベータの基礎トレと、ゴルトの地獄訓練メニューを潜り抜けた小生のお、敵ではないわあっ」
カマキリめいた神経質そうな印象の男は、電光に彩られたフックで一匹を転がし、アッパーカットで一匹を宙にかちあげ、チョップで触手を裂きつつ一匹の脳天を割る。
「うおおお、隊長に続くぞおおっ」
男の機先を制する攻撃を皮切りに、南方の塔から北上してきた兵士達が、大型の武器を手に三匹の大蛇へと斬りかかった。
「なんじゃい。デカブツめ、塔の青銅ゴーレムの方が歯応えがあったぞ」
中でも突出しているのは、まさかりを振り回す牛の如き体躯の男だろう。
彼に率いられた一団は、武装の隙間や装甲の僅かな傷を丁寧に砕き、魚でもおろすかのように三体のニーズヘッグを解体した。
「GAAA」
「GAAAA」
「GAAAAA」
断末魔の絶叫が、三度響き渡る。
「ゴルト・トイフェル。生きていたのっ?」
ミーナが見ても判別がつく。
まさかり男が率いる兵士達は、かの姫将軍セイの部隊以上に強かった。
そんな真似ができる将帥は、このマラヤディヴァに〝二人しか〟いない。
呆然と大蛇の末路を見届けると、彼女を救ってくれた男がコートを肩にかけてくれた。
「お嬢さん、こんな雪夜に出歩いては体の毒だ。ここは超カッコイイ小生と愉快な仲間達に任せて、後で御礼のキッスなどをお願いしたい。って、ありゃ?」
ミーナは心臓が早鐘のように鳴り、あまりの音響に潰れるかと思った。
彼女はフードを外して、自分を助けてくれた、下心丸出しの男の顔を正面から見た。
あり得ない、けれど、この場ではあり得てしまう再会だった。彼らは、ファヴニルが作った塔の方角から現れたのだから。
「ゆ、雪人形? 貴方、さてはアンドルーの贋物ね!」
「ミ、ミーナではないか。ちがう、今のは浮気じゃない。いわば紳士的挨拶だから、おねがい許してくれえ」
互いの認識こそ、すれ違っていたものの……。
恋する乙女は激情をこめた木笛のフルスイングで、色惚け隊長の顔面を張り飛ばした。
あとがき
間が悪いと言いたいところですが。
チョーカーの場合、自業自得でしょう( ˊ̱˂˃ˋ̱ )





