第452話 蘇る死者
452
復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 晩樹の月(一二月)一二日未明。
マラヤディヴァ国を構成する一〇の領は、恐慌状態に陥っていた。
空は黒雲に閉ざされて、触れるだけで生命力を奪う白雪が降りそそぐ。
それでも、人々は信じていた。
クローディアス・レーベンヒェルムとその仲間が、〝赤い導家士〟〝楽園使徒〟〝緋色革命軍〟といった国難を乗り越えてきたように、今回も解決できるに違いない、と。
しかし――。
「顔なし竜が各地の地下遺跡より出現。感知魔法はノイズが激しく、迎撃用の地雷魔法陣も起爆しません。飛行自転車は出せないのですか?」
「この雪は、体力だけでなく魔力も食らうんだ。空からの偵察や攻撃は不可能だ。もちろん船も使えない」
「司令部への連絡も繋がらない。俺達だけでどこまでやれるか」
大同盟軍を再編した国軍の兵士達は、呪われた雪によって通信が寸断され、海空の戦力や魔法道具も無力化されて、圧倒的劣勢に立たされていた。
「マラヤディヴァの民よ、今宵カミは帰還した。鮮血と悲鳴を捧げるがいい」
「偽りの善、嘘っぱちの社会、何もかもを破壊して、新世界を始めましょう!」
更に、全長三〇mもの巨大な機械竜がマラヤディヴァ国上空を旋回すると、呼応するかのように、ねじくれた樹木に似た塔が各領の中心に立った。
赤い血肉で構成された生物的な外見の塔は大地から命を吸うように脈動し、街を守る結界を弱め、地下遺跡からモンスターを呼び寄せてしまう。
特にユングヴィ領では、塔の内部からニーズヘッグが三体出現し、首都クランに向けて北上を始めた。
「ああ、雪が、雪が入ってくる」
「北山道は怪物に占拠されたし、南の街道からは顔のない竜が近づいてくるそうだ。もう、だめだ。最初から無理だったんだ」
「国主は、悪徳貴族は、何をやっているんだ。国はどうして俺達を助けないんだ」
希望を抱いた分、絶望を直視した反動も大きい。
ユングヴィ領首都クランは動揺し、ヤケになった民衆が暴れ、兵士達も諦めて武器を捨てる者さえいた。
モコモコとした髪の羊少女ミーナと、元漁師の公務員スヴェン・ルンダールは、応援に派遣された臨時キャンプで、避難してきた急患や負傷者の手当に奔走していたが――。
暴徒が無力なケガ人や、老人、子供達を襲うのを見て、二人は思わず手をあげた。
「この軟弱者、恥知らずっ」
「やって良いことと悪いことがあるでしょうが!」
ミーナが木製の笛で張り倒し、スヴェンがモップを銛のように振り回すと、ヤケになった烏合の衆はたちまちのうちに降参した。
そればかりでなく、どこかで見た覚えのある数人が、氷雪となって崩れ落ちた。
「こいつら、見たことあるです。確かユーツ領で討伐されたテロリスト。もう死んでいるはずなのに、死者を真似た雪のゴーレムですか?」
「ええっ、空飛ぶサメの次は歩く死人? 勘弁してください。おれ、船幽霊みたいな怪談が大の苦手なんですよ」
ミーナとスヴェンは、目を白黒させながら顔を見合わせるも。
「オ、オレたちはのせられただけだ」
「悪いのは国よ、世間よ、私は悪くないっ」
暴徒達は、緊迫した状況にもかかわらず、いっそう荒ぶるばかりだった。
「同じニンゲンなのに、他人のせいにするなっ」
「だから、自分より弱い奴を襲うのか。よくお天道様の下を歩けるな!」
ミーナとスヴェンが一喝すると、感情のままに騒いでいた集団はしゅんと鎮まりかえった。
「だいたいニンゲンの集まりに、ニンゲン以上のことができるわけないでしょう?」
「貴方達は国家を、万能の神様かなにかと勘違いしているのでは?」
ミーナとスヴェンは知っている。
羊乙女が愛したアンドルー・チョーカーも、元漁師が敬愛するクロードも、決して特別な存在ではない。
ただ必死で生きて、道を切り拓こうと戦い続けただけだ。投げやりになって暴れるだけで、いったい何が出来るだろうか?
「おれには帰りたい故郷があるから、こうやって手助けしてる。アンタ達はこの首都クランに住んでいるのに、守りたい奴も戦う理由もないのかよ?」
「南から山みたいな竜が三匹も迫ってるんだぞ。戦うなんて冗談じゃない」
「どうせオレ達には何もできないんだ。諦めるしかないんだ」
スヴェンの呼びかけにも、暴徒達はくってかかるか、うつむくばかりだった。
「スヴェン君。――アンドルーの仇討ちのため、エステルちゃんを守るためって、頑張ってきたけど、もう愛想が尽きました」
ミーナはよほどショックだったのか、耐寒ローブを目深にかぶり、疲れきった足取りでキャンプを出てしまう。
「ミーナさん……」
「お嬢さん……」
スヴェンや多くの者は力なく見送ったが、いかにもアウトローといった風情の暴徒の一人が吐き捨てるように罵った。
「ハハ、なんだバケモノ女が偉そうに。オレ達は正しい、間違えたのは他の連中だ。だから、何をやっても許されるはずだ。だってオレ達は正義なんだから!」
サンシタ暴徒は野犬のようにキャンキャンと吠えたが、治療中だったひとりの若者が杖で彼を殴り飛ばした。
「おい、お前は緋色革命軍で無抵抗の人々を殺したビクトル将軍の部下じゃないか。僕は確かにお前が死んだのを見た。どうして生きているんだ?」
「か、身体が崩れる。ち、ちくしょう。せっかく、いきかえったのに、くそおおっ」
チンピラは地面をかきむしりながら、肉体が雪となって散った。
信じられない光景に、負傷者も暴徒も言葉を失うが、ひとりの女がヒステリックに喚き始めた。
「これは呪い、魔法、いいえ陰謀よ。国主や悪徳貴族が、無実の私たちを罠にかけようとしているのよ!」
ヒステリー女は声を大にして、混乱する人々の思考を誘導しようと試みた。けれど。
「……アナタ、楽園使徒よね。〝血の湖〟に食べられたと聞いたけれど、こんな巡り合わせもあるのね。息子の仇、死ね!」
ひとりの白髪女性が進み出て、楽園使徒の残党らしき女を救急箱で殴りつけた。
「ば、ババアが、なんてことを、ちくしよお。ちくしょおおお」
老いた淑女の一撃は、殺意とは裏腹に弱々しかったが、品のない女性は粉雪となって四散する。
「や、やめろお。わしに回復魔法をかけるんじゃないっ。このアホどもがああ」
おまけに、治癒術師から手当を受けていた、ひげもじゃ中年男の身体が陽光が射した雪だるまのように溶解した。
人々は、想像もしなかった光景に愕然と膝をついた。世のことわりが乱れ、生死の境界が曖昧になっている。けれど……。
「スヴェンさん、力を貸すよ。どういうわけか知らないが、死人が歩いているんだ。俺は、家族をあいつらから守りたい」
「おにいさん。私もヤツらの好きにはさせない。何か手伝えるかな」
「オ、オレもだ。死人に操られるなんて冗談じゃない。オレはオレの意思で戦う」
「アタシもっ。上がどうとかなんて言っていられない。黙って殺されるのはまっぴらよ」
あるものは、愛情と勇気から。
あるものは、怒りと憎しみで。
あるものは、ただ生きる為に。
理由は違えど、俯いていた人々は、苦難を前に再び立ち上がった。
「うっす。まずは治療魔法で雪人形を割り出します。これは国主様や辺境伯様だけじゃない、〝おれたちの戦い〟です。皆さん、邪竜ファヴニルに一泡吹かせましょう」
かくしてスヴェンを中心に、首都クランを取り巻く情勢は変わり始める。
けれど、キャンプを去ったミーナは変化を知る由もなく、厚いローブ姿のまま街を出た。彼女は一人で南から街へと迫る顔なし竜を止めようとしていた。
「アンドルー。アンドルー・チョーカー……。ミーナは頑張ったよ、最後まで戦うよ。だから、もう同じ場所へ行ってもいいかなあ」





