第446話 兄弟喧嘩
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復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 晩樹の月(一二月)一一日夜。
クロードは始まりの浜辺で、遂にファヴニル打倒に成功する。しかし、宿敵の肉体は無数の呪符となって散った。
「認めるよ、一騎討ちはキミの勝ちだ。だから次は、戦争を始めよう。ボク達の終末戦争をさ!」
ファヴニルは宣戦布告と共に、国中に伏せていた決戦兵器ニーズヘッグを起動。
生命を喰らう純白の吹雪が渦を巻いて、虫が歌う森を、花々が香る山を、人々の灯火が宿る街を飲み込んでゆく。
神話に唄われる世界の終末が如く、マラヤディヴァ国の未来は失われたかに見えた。
「負けない。邪悪な竜には屈しない。みんなが帰る場所は、わたしが守るんだ」
クロードの恋人の一人である、赤いおかっぱ髪の女執事ソフィは契約神器・魔術道具研究所の中心塔で通報を受けるや、最上階に準備した祭壇の上で舞い始めた。
「龍神様、どうかお力をお貸しください」
ソフィは一〇〇〇年前、ヴォルノー島に住む人々を救った龍神を敬い、祀ってきた〝ファフナーの一族〟の末裔だ。
信仰の対象だったファヴニルは、外国の陰謀と身内の裏切りで、災厄の邪竜へ堕ちてしまったが……。
「わたしは祈る。矛盾だなんて思わない」
ソフィの意思は、柔らかな風となってマラヤディヴァの大地を渡った。
クロード達が各街に設置した碑石が光を発し、破邪の結界を最大出力で展開する。
不可視の障壁がドーム状に空を覆い、降りそそぐ命を喰らう雪を浄化して、無害な水の結晶として大地に還した。
「カリヤ・シュテンより通達、メーレンブルク領で結界の発動を確認したわ」
「マルグリットです。ラーシュくんと一緒にいます。グェンロック方伯領、起動を確認」
「マルクだ。ナンド領も無事起動した」
通信魔法が飛び交い、防衛作戦は無事成功したかに見えた、が――。
時を置かず、契魔研究所の敷地内で戦闘音が生じた。斥候兵が喉も裂けよと叫びをあげて、邪竜の襲来を知らせる。
「ファ、ファヴニルが来たぞ。総員、踏ん張れ。ここが命のかけどころだ」
「ファヴニルが来た? クロードくんとレアちゃんは無事なの!?」
ソフィは想い人と好敵手の身を案じて、ソ思わず足を止めてしまう。
そんな彼女の背を、灰色のカワウソが水かきのついた前足でぱんと叩いた。
「キュッ、止まるナ嬢ちゃン。クロオドとヘタレ妹は勝っテいる。でなきゃ、負けヘビがこっちへ来るハズないカラな」
カワウソのテル。彼の正体は邪竜ファヴニルと鍛治レギンの兄貴分であり、一〇〇〇年前の終末戦争を生き残った契約神器だ。
豊富な戦闘経験がなせる技か、実際に目で見てきたかのように戦況を把握していた。
「結界をフルパワーで安定させるマデ、もうチィと頑張れ。出かけに言ったように、兄弟喧嘩の始末はオレがつけてヤる」
「テルさん、ぜったい生きて帰って来てね」
「キュキュッ、勿論ダ。アンタ達と泣虫妹の結婚式を見ルまで、オレは死ネない!」
テルは尻尾を振って跳躍し、塔の最上階から勢いよく飛び降りた。
灰色の小動物は、真っ逆さまに落ちながら霧のように溶けて姿を変える。
柔らかな毛皮が裂けて肉体が全長五mまで膨張、背からはコウモリに似た翼が生え、爬虫類の鱗が全身を覆ってゆく。
テルは、かつてルンダールの遺跡を騒がせた〝火竜オッテル〟の姿を取り戻していた。
「ファヴニル、この陰険蛇め!」
テルは守備隊が壊滅したのを見るや、喉から灼熱の吐息を放射した。
白い雪が舞う空と、灯火の消えた黒い大地を切り裂くように、真っ赤な炎の閃光がほとばしる。
「オッテル、死に損ない兄貴か!」
奇襲を受けたファヴニルは、避けられないと判断し、球状の魔法陣で全身を覆った。
テルが放った灼熱の吐息は、魔術文字で作られた球体の守りを粉砕するも……。
ファヴニルもまた、ニンゲンの体から尻尾と翼の生えた半人半竜の姿へと変身し、ブレスを受け止めていた。
さすがに消耗が大きいのか息を荒げ、体からは湯気が立ちのぼっている。
「こノ悪ガキめ。よクもオレの名前を騙ってくれタな、折檻の時間だ!」
オッテルは即座に追撃し、前足のワンツーから繋げたストレートパンチで、動きの鈍ったファヴニルを大地へ叩きつけた。
「誰が、誰に折檻するだって?」
半人半竜の少年はいくつかの倉庫を巻き添えに吹き飛ぶも、着地の瞬間にお返しとばかりに熱閃を発して、空を駆ける兄貴分の顔を焼いた。
「熱チッ。器用な真似ヲっ」
「恥知らずのカワウソめ、ボクが名前を使ってやっただけありがたいと思え」
ファヴニルは魔法陣から火球を放ちつつ距離を詰め、火竜姿のテルと戦闘機のドッグファイトが如く殴り合う。
契魔研究所の屋根が吹き飛び、資材置き場がひしゃげる。熱を帯びた拳が互いの鱗を砕き、肉を焼いて骨を軋ませた。
「ありがたいもクソもあるカ。テメエのせいで、オッテルの名前は〝イカれた革命家気取りの黒幕〟扱いダゾ? 風評被害もハナハダしいワ。この低品質海賊版野郎!」
「強さを盛ってやったんだから、有情と思え。オマエが立っていられるのも、ボクから信仰を横取りしたからだろうがっ」
契約神器と呼ばれる存在は、その名の通り神の器としての側面がある。
盟約を結んだ契約者に留まらず、自身に向けられた感情の揺らぎ、魂の震え、すなわち信仰を糧とするのだ。
「仕返しのつもりだったのに、こうも生き汚いなんてとんだ誤算だったよ」
ファヴニルはテロリスト団体〝緋色革命軍〟の指導者ダヴィッド・リードホルムに手を貸した際、自らの手で葬った〝第三位級契約神器オッテル〟の名前を騙った。
しかし、テルは辛くも海底で生きのびていた為、民衆がファヴニルに向ける感情エネルギーの一部が流れたのだ。
「ハッ、生き汚いはオマエだろうガ。おおかた、クロオドと重量級妹にやられてコッチへ来たんだろウ。負け蛇ナラ、らしく尻尾巻いてクタばってろ」
「言ったな!」
ファヴニルは魔眼に力をこめて、変化の大魔術を行使しようとして、違和感に気づいた。
彼とテルは互角の兄弟喧嘩を演じていた。それが、そもそもおかしいのだ。
第二位級契約神器であるファヴニルと、第三位級契約神器のオッテルには、埋めがたい差があるはずだ。
だとすれば、可能性はひとつ――!
新たな盟約者を得たに違いない。
「クローディアスはあり得ない。オッテル、このエセキツネめ。どこのチンピラと盟約を結んだ?」





