第445話 終末の雪、再び
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復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 晩樹の月(一二月)一一日。
黄昏時が終わり、夜が始まる頃……。
クロードは過去に契約を交わした海辺で、遂に宿敵ファヴニルへ王手をかけた。
異世界から招かれた転移者は、無骨な刃で金銀の糸で織られたシャツを貫き、美しくも呪わしい少年の胸板へと突き立てた。
「「熱止剣!」」
クロードは必滅の魔術文字を刻み込み、彼の髪飾りとなったレアが魔力を支える。
炎と光が溢れて、人々の生命を踏みにじってきた悪魔ファヴニルの肉体を焼き尽くす。
悪徳貴族の影武者を押しつけられた地球の青年はここに因縁を清算し――。
邪悪なる竜は、南国の空のように透き通った満足感と、血塗れの黄金が如く濁った狂信を浮かべ、――無数の呪符となって散った。
「……僕が、偽物を勘違いしただって!?」
「いいや、クローディアス。この身体は作り物だが、ここにいる魂は本物さ。認めるよ、一騎討ちはキミの勝ちだ。だから次は、戦争を始めよう。ボク達の終末戦争をさ!」
ファヴニルの端末たる肉体は、土産とばかりに宣戦を布告して消えた。
次の瞬間、激闘の余波で荒れに荒れていた海が不気味なほどに静まりかえった。
堤防を割ろうといななく大波の轟音が消えて、雨のように降りそそぐ飛沫が時を止めたかのごとく凍りつく。
「ファヴニル、いったい何をした?」
クロードは海上に浮遊しながら、不自然に静まった周囲を見渡した。
ばら撒かれた呪符の影響だろうか――?
吹きすさぶ風の音が止まる。
連夜コンサートに励む虫の歌が途絶える。
磯の匂いも花の香りも感じ取れない。
『御主人さま。雪が降ります!』
レアが叫ぶ。
空を舞い、海上に漂う呪符が竜巻のように螺旋を描いて天を突き――。
紫から黒に移りつつあった夜空が、ガラスを殴りつけたように白く引き裂かれた。
「レア、何が起こっているんだ!?」
『システム・ニーズヘッグです。エカルド・ベックが領都レーフォンを襲った時と同じ反応が、マラヤディヴァ各地で拡大中!」
ニーズヘッグとは、北欧神話において、宇宙を支える世界樹の根ををかじる蛇を指す。
ファヴニルによって、〝奈落の蛇〟の名を与えられた術式は、森羅万象を地獄へ落とすべく機能を開始した。
「アイツ、戦う前から仕込んでいたのか」
雪が降り、海が凍てつく。
雹が吹き、森が氷に閉ざされる。
霜が覆い、街の灯火が消える。
『お兄さま、何と愚かなことを。このままでは、ドゥーエ様やシュテン様が見てきた結末のように、何もかもが終わってしまう』
生命と魔力を喰らい、並行世界では人類と文明すらも葬った、終末の雪が吹き荒ぶ。
南国の生命に満ちた騒々しい夜は、明けることのない死の吹雪に塗りつぶされた。
「レア、大丈夫だ。たかが終末のひとつやふたつ、僕達なら乗り越えられる!」
クロードは諦めない。
懐から通信用の水晶玉を取り出し、即座に仲間たちへ連絡を入れる。
「作戦を第二段階へ移行する。セイは軍の指揮を取ってくれ。アリスは遊撃しつつ合流地点へ向かえ。ソフィ、キミが反攻の要だ。すぐにそっちへ行くから……、ソフィ?」
姫将軍からは「任せろ」という凛とした返答が、守護虎からは「たぬ」という元気な吠え声が返ってきた。
しかし、契約神器・魔術道具研究所で、怪物災害阻止の指揮を執る女執事からの反応は無かった。
「……くそっ。一騎討ちも僕達を引きつける為の策かっ」
『御主人さま、読み通りではありませんか。ソフィには頼れる用心棒がついています。勝負はここからです!』
「ありがとう、レア。弱気になった。挟み討ちの好機だ。今度こそ決着をつけてやる」
クロードとレアは、ソフィの反応が途絶えた契魔研究所へと足を急いだ。
同じ頃、彼と彼女の仇たるファヴニルもまた、予備の端末に魂を移して、二人と同じ場所を目指していた。
「悪いね、クローディアス。変化と変身の魔術はボクの得意分野だ。一回殺されたくらいじゃあ、死んでやれないね」
金髪の美少年は、羽衣めいたドレスシャツをたなびかせ、通信遮断の魔術を展開しつつ疾走する。
「とはいえ、一騎討ちに負けるとは思わなかったよ。クローディアスはたった三年で、ボクの一〇〇〇年に追いついた。軍の展開も早いし、ニーズヘッグも阻まれている。最高じゃないか、キミを選んで良かった」
ファヴニルは、目をかけた宿敵の成長に満足気に微笑んだ。
マラヤディヴァ国は内戦の終結後……、復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 恵葉の月(六月)から晩樹の月(一二月)にかけて迅速な復興を果たした。
戦争の傷跡は大きかったものの、国を食い物にする虐殺者、略奪者、売国奴が壊滅したことで新体制が整い、外圧をはねのける意思決定と執行が可能となったのだ。
都市計画には、クロードが準備した対怪物災害の戦闘教義が色濃く反映されて、街全体を覆う結界がニーズヘッグの猛威に耐えていた。
「クローディアスは、稀有な指導者で盟約者だ。だから、ボクにも相応のドウグが必要だ。邪魔な結界も壊せて一石二鳥ってね!」
ファヴニルは、いくつもの塔が立ち並ぶ契魔研究所を破壊しながら進む。
「邪竜発見! ファヴニルめ、やはり結界の要たる此処を狙ってきたか」
「辺境伯様は必ず戻られる。策が成るまで時間を稼ぐんだ」
「うおおお、やってやるぞお」
大同盟の兵士達は、一分一秒でも阻もうと、必死の交戦を続けていた。
けれど、防衛隊が銃弾や魔法を放っても、かすり傷すらつけられない。
金髪の美少年が手を一振りするや、兵士たちはズタズタの肉片となって散る。
「物足りないなあ。ニンゲンの力とやらを見せてみなよ。ボクに輝きをくれ。取るに足らないゴミなら焼却処分だよ?」
邪竜はそう嘲笑った直後に足がすくみ、走るのを止めた。
第六感、あるいは生存本能とも呼ぶべき何かが、恐怖と共に警鐘を鳴らしていた。
「ほざケ。灰になるノは、テメエの方だ!」
「この声はオッテル、馬鹿兄か!?」
夜の闇と白い雪が彩るモノクロの戦場に、赤い一筋の炎がほとばしる。





