第443話 逆転する時計
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クロードとレアは力を合わせ、ファヴニルが使役する、海を埋め尽くす異形の腕を焼き払った。
空と海を割って立つ巨大な雷と炎の剣が、夜闇を裂いて朝焼けが如く照らし出す。
「ファヴニル。僕は一人で戦ってるんじゃない。皆の祈りが聞こえるだろう?」
クロードの五感は、魔術によって拡大されている。
町の、領の、国中の人々が、青年領主と邪竜の一騎討ちを見守っている。固唾を呑んで、明日と勝利を願っている。
「祈り、か。馬鹿馬鹿しい」
ファヴニル。
かつて龍神として崇められ、邪竜に堕ちた金髪の少年は、剣塔に照らされて白く波立つ海上に立ち、赤い瞳を歪めて吐き捨てた。
彼は傷ついた竜腕をニンゲンのものに戻すと、魔術文字を綴って滑るように加速する。
「クローディアス、キミも見てきたはずだ。指導者が悪いと罵りながら支援を乞い、感謝もなくふんぞりかえって、鬱憤を晴らそうと外敵を引き入れる。そんな、無責任に救いだけを求めるバカどもをっ」
「ファヴニル。邪竜に堕ちて、人々をデタラメで扇動していたお前が言うことか!」
クロードも運動場を踏みしめるが如く、波立つ水面を蹴って間合いを詰める。
マラヤディヴァ国レーベンヒェルム領の海辺。同じ場所で始めて、違う道を選んだ二人は、己が心のままに衝突した。
「アハっ、甘い言葉に縋ったのは当人だろう。自分から望んで騙されて、騙されたから罪がないとでも言うのかい?」
「詐欺師が、上から目線で吠えるなっ」
クロードは切断の魔力をこめて愛刀を振るい、ファヴニルもまた手で空間を断ち割る。
青年領主と邪竜の化身、二人が重ねた七色の光は複雑な軌跡を描きながら爆発し、沖合に巨大なクレーターを開けた。
二人の攻防の余波は、大波となって浜辺を洗い、流れる河との境界に渦をつくる。
「……真実も嘘も変わらないさっ。何もかもがうまくいくように丸投げし、うまくいかなかった全てをお前のせいだと呪うのがニンゲンだ。まったくもって度し難い!」
『お兄さま、千年前のあの時と今は違います』
クロードとファヴニルは、荒れ狂うエネルギーのど真ん中で殴り合い、斬り合いを続ける。攻防の余波は大波となって浜を飲み込み、堤防を激しく打った。
「レギン、愚かな妹。時間なんて関係あるか、ニンゲンはいつだって支配されたがっているし、支配したがっているのさ」
「何もかもを一緒くたにして放言か。確かにくそったれの軍閥や革命家気取りの虐殺者はいた。でもそれ以上に、僕は仲間達に支えられて、ここまでやってこれたんだ!」
口論の間も――。
ファヴニルは舞い上がる飛沫を鉄杭へ変え、レアは散らばる魔力ではたきを作った。
青年と邪竜が切り結ぶたびに、数えきれない飛び道具がぶつかって相殺される。
「放言ね、果たして例外はどちらかな? クローディアス、受け入れろよ。カリヤ・シュテンやロジオン・ドロフェーエフが来た並行世界も、この世界も変わるものか。〝四奸六賊〟は、彼らのような悪党は、何もかもを食い尽くすよ。もう諦めろ!」
クロードは八丁念仏団子刺しで斬りつけるも、ファヴニルの重なる攻撃に耐えきれず、愛刀を海へ叩き落とされた。
好機とばかりに繰り出される魔法攻撃のラッシュを、今度はレアが盾を作って受け止める。
『お兄さま。ニンゲンは悪人ばかりではありません。私はそれを御主人さまと見てきた。共に支え、共に歩いてきたんです』
クロードは、レアの悲痛な叫びに胸が痛んだ。
ここだ。〝ここ〟こそ、自分達をわかつ原点だと闘志を燃やし、徒手空拳で殴りかかる。
「ファヴニル、受け入れろだの、諦めろだの。一〇〇〇年前に同じ詐欺の文句にでもひっかったか? 世に悪党がごまんと居ようが、僕が僕の意志で生きることをどうして諦めなきゃいけない?」
クロードは拳で突き、足で蹴り、最後に頭を叩きつけた。
「なあ先達よ。お前こそ投げやりになって、諦めたんじゃないか? 人が思い通りにならないからって癇癪を起こすな」
邪竜にとって予想外の一撃だったか?
むしろ敢えて受けたのか?
互いの額がぶつかって、熱い血がしぶいた。
「後進が、言ってくれるじゃないか。人の悪性を知ったからこそ、次の階梯へ踏み出したんだ」
ファヴニルが、赤い舌をちろりと見せる。
クロードは攻撃を続けようとするも、足が水底からがっしりと掴まれた。
「クローディアス、勘違いしないでおくれ。ボクはニンゲンを愛している。財宝に勝る輝きを愛している。輝きを慈しむために、邪魔なゴミを処分したいだけさ。チェックだ!」
クロードが先程焼き尽くした海水腕を、ファヴニルは足元に一本だけ隠していた。
厄介なことにあっという間に増殖し、周囲一帯が腕に飲まれた。
「そのうるさい口を黙らせてあげる。キスしよう」
「あいにく、先約済みだ」
『お兄さま、こればかりは絶対に譲りません!』
クロードはいまだ自由な上半身の両手で、ファヴニルの肩をがっしりと掴んだ。
『御主人さま、決めます』
「やろう、レア。これで、どうだああ!」
悪徳貴族と呼ばれた青年は、背後で灯台のように海を割って立つ、雷と炎の大剣を振り下ろした。
レアが精密に操作すれば、二刀がクロードを焼くことはない。だからこそ彼は、邪竜の化身たる金髪の美少年を両手で縫い止め、エックス字に斬りつけた。
熱と衝撃は無数の腕で黒く染まる海を割って、白い蒸気と波飛沫が雲のように広がった。
津波にさらされた堤防が悲鳴をあげ、氾濫した河が逆流する。
「ああ、痛い。苦しい。素晴らしいっ」
ファヴニルは目に見える深傷を負ってなお、緋色の瞳に歓喜の色を浮かべていた。
二つの塔が海を攪拌する中、クロードの掌中から少年の影が消える。
「もう一度だ。もう一度やろうよ、クローディアスっ。時よ遡れ。術式――抱擁者――起動!」





