第442話 闇を裂く光
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復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 晩樹の月(一二月)一一日。
約束の日。クロードは桜貝の髪飾りとなったレアを後ろ髪に結んで、邪竜ファヴニルと波立つ海の上で刃を交えていた。
「レギンっ。この泥棒猫が、ボクとクローディアスの間に割って入るんじゃない!」
「ファヴニル、お前との契約は打ち切った」
クロードの指摘は当然のように無視されて、マグマめいた殺意が空気を煮詰める。
大技がくるのだ――!
「関係ない。クローディアス、キミの魂も肉体も、ボクのものだ!」
ファヴニルの瞳が、鮮血のように赤く輝く。
邪竜な竜の視線は、呪いとなって世界をむしばみ、青年領主を取り巻く白波や水飛沫を灰色の石へと変える。
「勝手なことを抜かすなっ。鋳造――!」
『お兄さま、その執着は妄念ですっ。――八丁念仏団子刺し!』
クロードは雷切と火車切を魔力に戻し、レアから最初に贈られた刀に創り変えた。
主従二人は息を合わせて空を斬り、虹色の軌跡を描く剣閃で呪いの視線を霧散させ、海上に浮かぶ石像を崩壊させた。
「つれないなあ、クローディアス」
美しい少年は二人をあざけるように舌を鳴らし、金銀の糸で織られた裾からサッカーボール大の球形魔法陣を生み出した。
ファヴニルが細い両腕を差し入れると、二mはあろう巨大な爬虫類の前足へと変化する。
「クローディアス。レギンを選ぶなんて、趣味が悪いぞ?」
「黙れ。レアへの暴言は、僕が許さない」
クロードは刃を押し出すように突撃、ファヴニルの竜足から生えた三本の爪と鍔迫り合いを演じた。
歯牙にもかからなかった初めの頃とは違い、互角以上の戦闘を繰り広げている。
しかし――。
『御主人さま、私のことはいいんです。お兄さまの挑発に乗ってはいけません』
レアの戒める声が聞こえる。
「わかっている。悔しいけど、これでもまだアイツの方が強いんだ」
クロードは攻撃の手を緩めない。
ファヴニル本来の姿は、やはり人間よりも竜なのだろう。
人型の腕であった時は傷つけられた鱗も、刃を通さぬほどに硬くなっている。
「守ったら負ける。だから攻め続ける。その為に、皆と一緒に三年準備したんだ」
クロードは石を貫き人間を真っ二つにする魔剣、八丁念仏団子刺しを振るって、幾度となく斬りつけた。
「よくわかっているじゃないか、クローディアス」
一方、ファヴニルは巨大な竜腕を文字通り己が手のように操って、呵責のない連続攻撃を加えてくる。
「キミは兵を鍛え、街道や運河を通し、マラヤディヴァ全土に新しい封印を施した。今のボクには盟約者がいないから、まさに千載一遇の好機だろう。褒めてあげる、よくぞ最上の戦場を作りあげた!」
邪竜はゲラゲラと笑いながら、二本指で槍のように突き、拳で斧のように殴り、平手で大剣のように凪いだ。
クロードは辛くも直撃を避けたものの、圧倒的な力に振り回されて、ピンボールのように空中を前後する。が……。
「鮮血兜鎧展開!」
それでも、青年領主は諦めない。
彼はこれまで人類最強オズバルトをはじめ、勇者の末裔ドゥーエ、異界剣鬼シュテンといった達人たちとやり合ってきたのだ。
「ファヴニル、お前の強さとデタラメさはムカつくほどに知ってている。一撃が効かないなら、千撃で穿つまで。骨は拾ってやるから、海の藻屑になるといい」
クロードは物理無効の粘液鎧を用いてファヴニルの乱撃をいなしながら、愛剣で竜の爪先や鱗を砕き、雷や炎の砲弾を発射して腕を焦がす。
青年領主の猛攻たるや、まさに嵐か竜巻か。パワーとリーチ差をものともせず、着実にダメージを重ねてゆく。
魔剣の刃は竜腕の鱗を削いで皮を破り、ついに肉と骨に至った。
「アハッ、アハハッ。嫌だね」
それでも、ファヴニルの余裕は崩れない。
巨大化させた腕を砕かれつつも艶然と微笑み、しなをつくってウィンクを飛ばす。
「だってキミ達はボクより弱いじゃないか。千撃なんて甘い甘い。数を使うっていうのは、こうやるんだよ。ほら、おかわりだ」
邪悪なる竜が片目を閉じた瞬間、海が様相を変えた。
よくある怪談の船幽霊が如く、沖合を満たす海中から、全長三mはあろう青黒い腕が飛び出してくる。
「くそ。おかわりって、こんなわんこ蕎麦はいらないぞ」
『御主人さま、アレらは海水を変化させたものです』
巨大腕はクロードを追いながら増殖し、その数は瞬く間に海と空を覆い尽くした。
窮地に陥った青年はとっさに愛刀で切り捨てるも、一本切った時には一〇本の腕が生まれている。
材料に際限がないのだから、このままではジリ貧だ。
「諦めろ。どれだけ優位を重ねても、キミじゃあボクに勝てないっ」
ファヴニルが鈴の鳴るような声で断言すると、一〇〇〇〇を超える海水腕がクロードを引き裂かんと三六〇度全方位から迫った。
そのさまは津波か土石流か。
強い魔法耐性を有する防護服も、物理攻撃を無力化する粘液も、数の暴威には抗えずに、ツナギと血鎧の一部が食いちぎられた。
「レア。はたきをっ――」
『はい、御主人さま』
クロードは、契約神器たるレギンに呼びかける。
彼の後ろ髪を縛る桜貝の髪飾りから涼やかな声が響き、主従の周囲を布付き棒で埋め尽くした。
「この期に及んで掃除用具だなんて、やっぱり勝負を投げたのかな?」
ファヴニルは鼻で笑い飛ばす。
万を超える巨大な水腕は、はたきで作られたバリケードをボリボリと飲み込んでしまう。
「「――からの変化!」」
けれど、それはクロードとレアの仕掛けた釣り餌だ。
「出でよ。雷切、火車切!」
『お兄さま、私達の絆が貴方の狂気を終わらせる!』
クロードとレアが撒いた掃除用具は、海水腕の中で繋がって、巨大な打刀と脇差に変貌し、剣の塔を思わせる雷と火の柱となった。
二振りの刀は、夜の空と黒い腕に挟まれた沖合を浄化し、朝焼けの如く照らし出す。
「ファヴニル。僕は一人で戦ってるんじゃない。皆の祈りが聞こえるだろう?」





