第437話 ファヴニルの過去、勇者との対決
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一〇〇〇年の昔、ファヴニルは庇護していたグリタヘイズの住民に盟約者だった〝ファフナーの一族〟を殺され、悲嘆のあまり暴れ狂った。
「ファヴニルが最初に襲ったのは、アイツに追放されてヴォルノー島を去る〝神剣の勇者〟の交際相手マーヤと、その妹メアが乗った船だった」
クロードの弾劾に、青髪の侍女レアは緋色の瞳を閉じて悔恨に沈み……。他の三人は惚けたように驚愕した。
「……」
赤いおかっぱ髪の女執事ソフィは、グリタヘイズの巫女として探し求めていた、龍神が邪竜へ転落した理由を悟っただろう。
「なんで、たぬ? そんなことをしても意味がないたぬ?」
狸猫アリスは、直接の仇であるグリタヘイズの村人でも、悲劇の原因であるゲオルクの尖兵でもなく、追放した勇者の家族をファヴニルが襲ったことに衝撃を受けていた。
「アリス殿、意味はあるさ。八つ当たりか、決意表明か。ファヴニルはきっと、龍神だった過去の自分と決別したんだ」
姫将軍セイは血で血を洗う戦国の世界に生まれたからか、薄墨色の髪を風になびかせ、ファヴニルの選択を冷静に受け止めていた。
「お兄さまは」
クロードに抱かれたレアは、彼の腕の中で、喘ぐようにかすれた声で言葉を紡いだ。
「ファヴニルは家族を奪われた時、全てを憎みました。私達は神様になりたかったわけじゃない、大切な人達と平穏に過ごしたかっただけ。だから、夢を奪われたお兄さまは何もかもを台無しにしようとしたんです」
「それでも、僕はファヴニルに言うぞ。この大馬鹿野郎ってな」
クロードは、クロードだからこそ、最悪の仇で、最哀の同胞を許せない。
「と言っても、当時の手記には――龍が怒り、鍛治が民を守り、勇者が諍いを収めた――みたいな簡潔な文しか書かれてないんだ。レア、この時、いったい何があったんだ?」
歴史の生き証人たるレア、第三位級契約神器レギンはずっと背負い続けていた真実を口にする。
「御主人さま。私は、何もできませんでした。グリタヘイズの村人達を守ったのではなく、壊れてしまった現実から目を背けたんです」
クロードは事前にカワウソのテルから話を聞いていたため、レアが襲われる船に警告したり、人死にを減らそうと駆け回ったことを知っていた。
それでもファヴニルの膨れ上がった憤怒と憎悪は、レアが制御できる限界を超えていたのだろう。彼女は本質的に戦闘に向いていない。故に、事態を収拾したのは――。
「〝神剣の勇者〟と呼ばれた男は、船が沈み浜辺に打ち上げられたメアに、恋人だった姉のマーヤや、仲間のオッテルが殺されたと聞かされても、眉一つ動かしませんでした。
彼は私達の家族〝ファフナーの一族〟を殺めた犯人を捕らえて牢へ放り込み……
大陸から本隊を招こうとしていたゲオルクの尖兵達を一人も残さず壊滅させ……
山を砕き海を割って暴れるファヴニルをも、ひとりで打ち破ったのです」
クロードには、勇者の心中をうかがうことは出来ない。
激情が振り切れて冷静になったのか。失うことに慣れすぎていたのか。
いずれにせよ、世界を滅亡から救った男は、肉体だけでなく精神も強かったらしい。
「〝神剣の勇者〟は、私とお兄さまを、地下遺跡の奥深くに封じました。ゲオルクにもケジメをつける、と言い残して」
長い時間をかけて、約束は果たされた。〝神剣の勇者〟は大陸へわたり、諸悪の根源たる因縁の相手ゲオルクを打倒した。
「メアは、私達の家族〝ファフナーの一族〟の中で、唯一生き残った子供と結ばれたようです。彼女はマラヤ半島に漂流した姉マーヤと再会し、姉妹で勇者の遺した封印を広げていった。マーヤはユングヴィ大公家の祖先となり、メアの血はソフィ、貴女に継がれました」
「そっか、レアちゃん、教えてくれてありがとう。大丈夫、わたしも、きっと御先祖様も、貴女のことが大好きだから」
レアは正面をクロードに、背後からはソフィに抱きしめられてサンドイッチみたいになった。
最初こそ居心地悪そうに困った顔をしていたが、やがて力を抜いて身体を預けた。
「………ソフィ。私は貴方の事がわからなかった。憎いのか、償いたいのか、愛しているのか、何もかもがぐちゃぐちゃなんです」
「わたしはレアちゃんが好きだよ」
「レア、きっと感情ってそういうものさ。僕は、それでも君と一緒にいたいんだ」
三人が固く抱き合っていると、アリスが巨大な黒虎姿に変わり、ドーンと体当たりした。
「たーぬーっ、たぬも一緒たぬう」
セイもちゃっかりアリスの背に乗って、おしくらまんじゅうとばかりに飛びついた。
「そうだそうだ、水臭い。私達はもはや運命共同体だ。生きるも死ぬも一緒だろう?」
クロード、レア、ソフィ、アリス、セイの五人は睦みあうようにゴロゴロと転がった。
豪快に飛ばされたせいか、クロードは石碑の破片に頭をぶつけた。
「そういや、この封印って修復することはできないのか?」





