第419話 因果は巡り、応報する
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ブロル・ハリアンは、レベッカ・エングホルムの首を落としたものの、ファヴニルによって時間を巻き戻される。
再演された戦場で――、小太りの男が白衣から伸ばす手刀は、赤髪の悪女に届かなかった。
ブロルが地を蹴ろうとした瞬間、復活した人型竜兵の爪で背後から串刺しにされたからだ。
「アハハ、いい気味よ。ワタシが見る未来は絶対なの。粋がった挙句に無様を晒して、いったいどんな気持ちかしら?」
レベッカは桜貝の髪飾りでまとめた赤髪を振り乱し、青く輝く瞳に狂気を瞬かせながら、血に染まる白衣を見おろして笑った。
「ふふっ、満足だとも。この展開こそ私が狙ったものだから」
ブロルは背後から胸まで貫かれながらも、平然と地を蹴って鬼女へと手を伸ばした。
「使い魔の目を通して、クロードとダヴィッドの戦いを見た。時間の巻き戻しは強力無比な魔術だが、若干の間隔が必要だ」
ブロルの指先は白糸めいた触腕に姿を変えて、レベッカの燃えるような赤髪から桜貝の髪飾りを引きちぎる。
その髪飾りこそは、彼女たちが奸計によってクロードとレアから奪った、第三位級契約神器レギンの半身だ。
「ブ、ブロル。ブロル・ハリアンっ……」
邪竜の巫女は、思わぬ反撃に慌てふためくも時すでに遅い。
「レベッカ、忠告しただろう? 平行世界観測にばかり頼るものではない」
ブロルの真なる目的は、最初から桜貝の髪飾りの奪回だった。
レベッカが予測する未来を踏まえた上で、わざと勝利を誤認させた。
鮮血に染まった白衣から、転移の巻物が転がって、ふくよかな肉体を包み込む。
「目的は果たした。お暇するとしよう」
「ま、待ちなさい。転移阻止の結界は張ってあるはずっ」
「お前がニーズヘッグを暴れさせたから、壊れたよ」
ブロルは、森羅万象を食らう蛇雪の特性すらも計算に入れていた。
レベッカは断片的な未来を観測し、結果だけを重視した結果、重要な過程を軽んじるという失策を犯したのだ。
「ああああ。ブタめ、ウジめ、殺してやる。絶対に殺してあげるわぁああっ」
レベッカ・エングホルムは、何処かへと消えたブロル・ハリアンを求めて、喉をかきむしりながら声を涸らして絶叫した。
見下していた相手に徹頭徹尾、いいようにやられたのだ。
『……我が巫女よ、頭を冷やせ。ニーズヘッグの攻撃を急所に受けた以上、ブロルはもう長く無い。死体は人型竜兵に確認させればいい』
「で、ですが。それではレギンが、忌まわしい辺境伯の手にわたってしまうかも」
『……むしろ泥棒猫に、格の違いを見せつける楽しみが増すというものさ』
ファヴニルは首飾りを通じて、興味が無いとばかりに言い捨てた。
彼がエカルド・ベックに領都レーフォンを襲撃させたのは、あくまで最愛の盟約者を寝とった妹への叱責に過ぎなかったのだ。
『ブロル・ハリアン。キミの輝きは美しかった。でも惜しかったね、善性にしがみつくならば、最初からクローディアスにつくべきだった……』
ファヴニルの独白を聴きながら、レベッカは赤い唇をちろりと舐めあげた。
彼女の瞳は青から黒に戻っていたが、怨みの炎はいっそう強く燃えていた。
黒々とした恨みがましい視線の先、南方の森林地帯では、ブロルが這うようにして泥の道を進んでいた。
「もう少し格好をつけたかったがね」
ファヴニルが指摘したように、彼はすでに致命傷を負っていた。
肉体が耐えきれず、転移も中途半端に終わった。裂けた胴体から零れる赤い血肉が白い氷雪へ変わり、ボロボロと崩れてゆく。
彼が左手に抱いた黄金の果実。アルファの正体たる第一位級契約神器イドゥンの林檎が盟約者の傷を癒やそうとするも、すでに林檎自体が半ば雪となっていた。
「……マスターは、ずっと良い男でした。あんなにも弱っていた私を救ってくれた」
ファヴニルは〝緋色革命軍〟のような支配下においた犯罪組織から、第一位級契約神器イドゥンの林檎を発見し、魔力の大半を奪い去った。
邪竜から遊戯の一環として残骸を渡されたブロルは、半壊した彼女をあらゆる手段を尽くして復活させた。
ブロルは契約神器が意識を取りもどしたことを悟られぬよう、ネオジェネシスの長女アルファという偽りの身分で隠して慈しんだのだ。
「私は人間が大嫌いです。一〇〇〇年前の終末を越えても、争うことをやめない。だからマスターと同じ、新しい時代を夢見た。もう叶わないけれど……」
黄金の林檎から熱が消えてゆく。
アルファは、冷たい雪となって崩れてゆく。
「最初は娘として、次に妻として過ごした日々は幸せでした。ブロル、最愛のマスター、貴方を愛しています」
「アルファ。私も愛している。先に待っていてくれ」
ブロルは愛する伴侶が粉々になっても、彼女を決して手放さなかった。
四つん這いで、太陽が輝く南を目指して、のたうつように泥地を進んでゆく。
辛いが、耐えられる。彼の人生は、まさに苦難の連続だったのだから。
「人はわかりあえない。心も体ももろく、傷つけ合う。ならば、痛みを共有できる群体となればいい」
残念ながら、机上の空論に過ぎなかった。
ハインツ・リンデンベルクらは同胞の痛みを知ってなお、平然と悪事を尽くした。
「ファヴニルは、私を自分が同じだと――言っていた。きっとその通りなのだろう。私が群体の祖となろうとしたように、家族を奪われた彼もまた〝この世の全てを食らう竜〟になろうと決めたのだ」
どれほどの悲痛が、どれほどの嘆きが、道を誤らせたのだろう?
「だから、止める。同じ始まりを、同じ無念を抱いた男として、ファヴニルの邪悪な夢を実現させるわけにはいかない」
ブロルは白雪のまじる赤い血を吐きながら前に進もうとするも、不意に乾いた音が響いた。
ついに四肢すらも雪に変わって、動けなくなったのだ。
おまけに血の臭いを嗅ぎつけたのだろうか、森を根城とする野犬が唸りをあげながら集まっていた。
「これも因果応報、悪党の末路というわけか」
ブロルは、仇といえ貴族や商人に死を賜ることをためらわなかった。
ならば、お鉢が回ってきたのも当然だと、諦めの息を吐いた、まさにその瞬間――。
「どけい野犬どもっ。ベータと共に編み出した、小生の奥義を見せてやる。マッスル・スマート・ライトニング!」
想像もしなかった形で、因果が応報した。
「アンドルー・チョーカー……」
両手からほとばしる雷光で野犬を蹴散らして、ブロルの最期を看取る者が現れたのだ。





