第410話 創造者と地下室捕虜の別れ
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大同盟とネオジェネシスは、マラヤ半島の北・中・南部の三つの戦場でそれぞれ争っていた。
クロードが率いた遠征部隊は、南部エングホルム領でイザボー・カルネウスが指揮する要塞守備隊を包囲し――。
アリス・ヤツフサが同行した主力部隊は、北部メーレンブルク領でデルタ、チャーリーと共に戦う遊撃部隊と互角の山岳戦を繰り広げ――。
〝姫将軍〟セイは自ら陣頭に立って、中部ユングヴィ領の首都クランを守るべく、〝万人敵〟ゴルト・トイフェルの猛攻に耐え忍ぶ――。
「つまるところ、南は大同盟が優勢で、北は互角、中部はネオジェネシスに分がある。いずれかの戦場で確実な勝利を得た側が、最終勝利者となるわけだ。……ま、小生がいたなら、もっと早くに決着したわけだがっ!」
「貴君の場合、大勝か大敗かのどちらかだろうけどね」
ユーツ領領都ユテスの地下牢では……。
囚人服を着たカマキリを連想させる陰気な捕虜と、酒樽のように丸々した身体に白衣を羽織った男が、牢の柵越しに向かい合っていた。
「やかましいぞ、ネオジェネシスの創造者ブロル・ハリアンよ。クローディアスがエングホルム領を落とした以上、賭けは小生の勝ちだ。命を張った甲斐があったというものだ!」
捕虜はいつになく陽気な笑みを浮かべて両手でV字サインを作り、酒も入っていないのに千鳥足で踊り、酔っ払ったような声で軍歌を唄い始めた。
「……私が言うのもなんだが、貴君も大概に傍若無人だね。恋人のミーナくんに愛想を尽かされないよう、細心の注意をはらいたまえよ」
「お前らが閉じ込めているんだろうがっ。ああ、ミーナ殿の髪が、肌が、温もりが恋しい」
陰気な捕虜は、芋虫のように牢の中を這いずって、天を仰ぎながら悲痛な叫びをあげた。
「ぎゃおーす! 小生が解き放たれた暁には、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に、容赦なく仕返しをしてやるからなあ。恥ずかしい思い出のノートとか公表してやるっ」
「うわあ。それは勘弁してくれないか」
ブロルは捕虜の言動に後退りして、止めどなく冷や汗を流した。
「いけないいけない。雰囲気に飲まれてしまったよ。この鍵なんだが……」
ブロルは胸ポケットから鍵を取り出して、牢の錠前へ差し込もうとした。
「いやった。ラッキー!」
しかし捕虜の反応は、それ以上に迅速だった。
彼はまるで手品のように柵の鉄棒をくるりと引き抜いて、隙間からにゅっと腕を伸ばした。
「油断大敵、伏寇在側、注意一秒で怪我一生ってなあ」
捕虜は鍵を奪い取って牢から飛び出し、ブロルの首筋へ尖った鉄棒を押し当てた。
酒樽めいたネオジェネシスの首魁も、電光石火の早業には、怒るよりも先に感心するばかりだった。
「まいったな。どうやって脱出の手筈を整えたんだ?」
「ふひひひ。ベータが差し入れてくれたトレーニング器具とポージングオイルを使えば、音を立てずに柵を切るくらい楽勝よぉ」
どうやら囚われの捕虜は、ブロルの息子と趣味について語り合いつつ、さりげなく準備を整えていたらしい。
「貴君は特殊部隊の長としては、間違いなく最高の人材だよ」
ブロルは、心の底から捕虜を讃えた。
言うは易いが、行うに難しい。機に臨んで変に応じるという一点を見れば、世に並ぶ者なき傑物だ。
「でも、行き当たりばったりが過ぎるのは、どうかと思うなあ」
「ふひゃははは。負け惜しみご苦労っ。悪いが人質になってもらう。大丈夫、殺す気なんてないから大人しくして……」
ブロルはまくしたてる捕虜の手を掴み、尖った鉄棒で己の首を突いた。
「え、ええっ。ちょ、待て。やめろお」
捕虜が握る凶器は、ブロルの皮膚一枚を裂いて血を流すも、やがて首の肉に耐えきれずポキリと折れた。
「私は、第一位級契約神器〝イドゥンのリンゴ〟の盟約者だ。その程度の武器では、殺すことはできないよ」
「じ、冗談だったんだ。生意気を言ってすみませんでしたあ」
ブロルがひょいと肩をすくめると、陰気な捕虜はくるりと身を翻して土下座した。
「貴君は本当に愉快だなあ。白状すると、今日は逃がすつもりで来たんだ。だから、好きにしたまえ」
捕虜は陰気な顔を床に押し付けたまま、沈黙を守った。
どれだけの時間が経っただろう? ブロルがハンカチで血を拭い、なにか餞別に渡すべきだろうかと思案していると、絞り出すような問いかけが聞こえた。
「わけがわからん。なぜ今になって小生を見逃す? いや、なぜ今日まで小生を生かし続けた?」
「私は、貴君を邪竜ファヴニル討伐の切り札と考えていた。これまで不自由を強いて悪かったね」
ブロルの評価は、本心からのものだ。
しかし、捕虜は納得しかねるようだ。
「……ブロル、お前は邪竜に肩入れしていた筈だ」
「ずっと迷っていたよ。ファヴニルの過去には同情するし、共に戦いたいとも思って、いた、んだ」
ブロル・ハリアンが、クローディアス・レーベンヒェルムを名乗る少年と、〝グリタヘイズの龍神〟の三人で、新しい時代を切り拓きたいと願った過去に嘘はない。
「けれどファヴニルは、私のかけがえのない二人の友を傷つけた。だから、ケジメをつけにいくのさ」
ブロルが内心を吐き出すと、捕虜は慌てて立ちあがり、制止しようとばかりに、両手を大きく広げて挑みかかった。
「よせ、ブロル。アルファやベータを、お前を慕う子供達を置いて行く気か?」
捕虜は、傍若無人を絵に描いたような男だった。同時に、たったひとつしかない命を張るくらいには、友情に厚い漢でもあった。
「前言は撤回しよう。小生だって〝お前のエロ本を全て公開したい〟くらいにしか恨んでいない」
「ハハ、恨まれているのは本当だったか」
ブロルは、飛び込んできた捕虜の体をくるりと半回転させると、地上へ続く階段に押し出すようにトンと背を叩いた。
「最初から決めていたことだ。半端な覚悟で、クローディアス・レーベンヒェルムに敵対したわけではない」
かつては不健康だった捕虜の身体も、牢生活で変化したのか、目に見えてわかるほどに鍛えられていた。
「さらばだ、アンドルー・チョーカー。貴君と過ごした日々のことは忘れない」
〝万人敵〟ゴルト・トイフェルに特攻して辛くも生き延びた英雄――。
アンドルー・チョーカーは、目頭を押さえた。別れの時だと、理解したからだ。
「わ、忘れるなよ、ブロル・ハリアン。小生こそは大同盟の、マラヤディヴァ国最強の将軍だ。お前の首を落とすのは、邪竜なんかじゃないんだからな!」
ブロルは、捨て台詞を残して去る友を見送って、重い息を吐いた。
「これでいい。あとは私がいなくなった後、子供達が人間とうまくやれることを願うだけだ……。辺境伯、君には甘えてばかりだね」
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