第409話 ネオジェネシス戦争の明暗
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復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 花咲の月(四月)八日。
クロード達は、エングホルム領領都エンガを奪回した。
レーベンヒェルム辺境伯の影武者となり、ベナクレー丘で手痛い敗戦を経験してからおよそ一年と半年。今や彼は、押しも押されぬ国家の大黒柱として成長を遂げた。
クロードが天下分け目の決戦に勝利したとの知らせは、瞬く間にマラヤディヴァ国中を席巻し、各地で干戈を交える大同盟とネオジェネシスに大きな影響を与えた。
「たぬたぬっ、クロード愛しているたぬっ♪」
北方のメーレンブルク領とグエンロック領の境界。ギブネ山脈で戦っていたアリス・ヤツフサは喜びのあまり、猫にもタヌキにも似た黄金色の獣姿で、しっぽをぶんぶん振り回しながら、鞠のように戦場を跳ね回った――。
「あははっ、こいつはたまげた。辺境伯は、たった三ヶ月でハインツ・リンデンベルクが守る無敵要塞線を突破して、あのイザボー・カルネウスが篭もったエングフレート要塞を陥落させたのかい? こいつは、ぼくも気張らないとねっ」
神官騎士オットー・アルテアンは、アリスが小躍りしながら敵を蹴散らす様を見守っていたが、やがて火の消えた紙タバコを携帯灰皿に放り込み、一万余の軍勢を率いて積極攻勢に出た――。
「獅子心中の虫だったハインツ・リンデンベルクはわかる。だけど、あのイザボー・カルネウスが敗北するなんて!?」
一方、守勢に回ったネオジェネシス北面軍は大きく動揺していた。
指揮官であるデルタもまた、エングホルム領陥落の報告を受けた衝撃で、父たる創造者ブロルからの預った大切な眼鏡を取り落とした。
幸いただの眼鏡ではなく、生命力を操る鎌へ変化する第六位級の契約神器だ。壊れることはなかったが、陣中に悲鳴のように甲高い音が響いた。
「デルタ、どうしたの?」
異音に気づいたデルタの姉チャーリーが、二房に分けた長い白髪をたなびかせ、タコとコウモリに似たぬいぐるみを抱きしめながら駆けつけた。
「何でもないよ、姉さん。いますぐにでも逆転してやる。それで、何もかも元通りだ」
デルタが虚勢を張っているのは明らかで、チャーリーはとても見ていられなかった。
「デルタ、もしも領都ユテスに戻りたいなら行っていいよ。少人数なら、確保した転移魔法陣だって使えるもの」
姉は弟の気持ちを察して、気丈にも背を押した。
「心配しないで。アリスちゃん達は、わたしがこの契約神器と一緒に、食い止めてみせるから」
デルタは、チャーリーの言葉に思わず鼻をすすった。本音を言うならば、すぐにでも父の元へ馳せ参じたかった。だが……。
「姉さん、それは出来ないよ」
デルタは奥歯を噛み締めながら、浅い呼吸を繰り返して、大切な眼鏡を掛け直した。
彼はギブネ山脈周辺の地図を広げて、羽ペンをインク壺にひたす。
「ぼくは、ずっと辺境伯様や姫将軍に憧れていた。ゴルト司令やイザボー隊長のように戦いたかった。でも、それは姉さん達を守りたいからだ」
デルタの周囲には、混乱する二万もの同胞がいる。もしも私情で職務を投げ出せば、きっと一生後悔するだろう。
「すでに戦争の大勢は決した。エングホルム領を失った今のぼくたちネオジェネシスに、メーレンブルク領とグエンロック領を維持する財貨も食料もない。けれどまだ、出来ることがあるはずだ。全力でユーツ領へ後退する」
「ぜったいに、もう一度パパや、みんなと、ご飯を食べようね。その時はきっと、アリスちゃんも一緒に」
デルタとチャーリーは、すぐさま部隊をまとめあげて後退を開始した。
しかし、山岳地帯を大軍で移動するのは、ネオジェネシスの卓抜した身体能力をもってしても困難だった――。
ほぼ同じ頃。
マラヤディヴァ国首都クランに程近い、ユングヴィ領の山岳地帯では、姫将軍セイが伝書鳩の足に結ばれた手紙を読むや、唐突に高笑いをあげた。
「ふふふ。はははは。あーっはっはっは」
「「ああっ、セイ司令がマズ飯の作りすぎでおかしくなったぞ!」」
参謀長ヨアヒムはよれたソフトモヒカンをかきむしり、出納長のアンセルはそばかすの浮いた頬を真っ青に染めて、慌てて奇行に走る上司へと駆け寄った。
「ま、マズ飯って言うなっ。愛情はたっぷりこめているんだぞ!」
「「愛情の有無で、飯の味は決まりません」」
「しくしく……」
セイは日頃の凛とした気配はどこへやら、容赦の無い正論に屈してさめざめと涙を流した。
「それで、総司令。首都から連絡があったようですが、いいニュースですか、悪いニュースですか? 辺境伯様がレアさんと結婚式でも挙げましたか?」
「おい、なんてことを言うんだ。リーダーが結婚するならソフィ姐だろ。ま、まさかアリスさんが抜け駆けしましたか!?」
「……おひ。お前達が私をどう見ているか、よくよくわかったよ」
セイは本気で食事をマズく作ってやろうかと思案しつつ、あまり差がないことに気づいてイラっときた。
深呼吸して気分を換え、たった今届いたばかりの朗報を鈴が鳴るような声で告げる。
「棟梁殿がエングフレート要塞を陥とし、領都エンガとエングホルム領を奪回した」
アンセルとヨアヒムは相好を崩し、互いの右手を伸ばしてハイタッチを交わした。
「辺境伯様を信じた甲斐があった。勝った、勝ったぞっ」
「それでこそリーダー。我慢比べの日々ともおさらばだっ」
大同盟とネオジェネシスの戦争は、北部戦線が拮抗しているために、〝エングホルム領を制圧するか〟〝首都クランが陥落するか〟の競争となっていた。
クロード達が肥沃なエングホルム領を抑えれば、ネオジェネシスの戦争継続は困難となるが――。
もしもゴルトに首都クランを奪われていたならば、大同盟は国の象徴を奪われた上に、戦線が分断されて窮地に陥っていただろう――。
「薄い勝機だったが、棟梁殿は見事に掴んでくれた。昨年に負傷した兵士たちも続々と復帰して、もはや大同盟の勝利は揺るがない。参謀長、出納長、急いで軍を動かすぞ」
セイが頬を紅潮させているのは、追い詰められていた鬱憤を晴らしたい、というだけではないはずだ。
アンセルとヨアヒムは、いったいぜんたいどういうことかと顔を見合わせた。
「「セイ司令、戦争はもう終わるんじゃないんですか?」」
「いいや、ゴルト・トイフェルは〝戦争を終わらせない〟よ。きっとファヴニルへの協力を続けるだろう。アイツの強さを尊敬するし、憧憬もする。だからこそ、いまここで引導を渡す」
セイ率いる首都防衛軍は、昨年末の負傷から回復した将や兵士達を加えて前進を開始――。
大斧を背負って熊にまたがった偉丈夫ゴルト・トイフェルもまた、退路を捨てて応戦する――。
〝姫将軍〟と〝万人敵〟は、それぞれ三万の兵を率いて、首都クランに近いマーヤ河で激突した。
「よい、よい。真っ向勝負と行こうじゃないか。ブロル・ハリアン、お主も悔いのない選択を!」





