第392話 ドゥーエ、地雷を踏む
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復興暦一一一二年/共和国暦一〇〇六年 若葉の月(三月)。
クロードは、邪竜ファヴニルが引き起こしたマラヤディヴァ国内戦で、名だたる勢力を平らげて、統一へ王手をかけていた。
すでに国土の七割を奪還、国主グスタフ・ユングヴィも救出し、残る敵勢力はブロル・ハリアンが率いる魔法生命体〝ネオジェネシス〟のみ。
そして、ブロルは邪竜ファヴニルに操られた犠牲者ゆえに、これまで戦った外道や詐欺師達とは異なり、和解の余地があった。
クロードは、恋人関係にある守護虎アリス・ヤツフサと姫将軍セイに、マラヤ半島北方の防衛を任せ――。
新たに仲間となったドゥーエと共に、膠着状態にあったマラヤ半島南方の要塞群を攻略――。
ブロルと直接会談し、彼とネオジェネシスを邪竜の支配から解放するため、破竹の勢いで進軍を続けていた。
しかし、そんな二人の前にに立ちはだかったのが、異界剣鬼シュテンである。
クロードにとっては友人、苅谷近衛の祖先にあたり、ドゥーエにとっては師匠にあたる豪快な筋肉男。
変幻自在の軌跡を描く剣技〝燕返し〟と、森羅万象を雪片に変える魔性の吹雪〝顔なし竜〟の力を振るう剣鬼を前に、二人は苦戦を強いられた。
若葉の月(三月)二七日。
クロードとドゥーエは、シュテンへ乾坤一擲の勝負を挑んだ。
ドゥーエは鋼鉄製の左義手を犠牲にするも、師匠たるシュテンの燕返しを破って物干し竿を両断し――。
クロードは、妖刀ムラマサに棲む、亡きドゥーエの姉弟達の力を借りて、顔なし竜を破壊した――。
二人は、不可能と思われた作戦を見事に完遂したのだ。
「ハハっ。まさか、まさかこのような結末があろうとはっ」
初老の筋肉達磨男は、げらげらと笑いながら膝をついた。
へし折れた物干し竿と、真っ二つに割れた顔なし竜の端末。先程まで彼が着ていた女性用ビキニアーマーの残骸が、荒れ果てた丘陵に転がっている。
「あの邪竜は、おれを竜に無理矢理変える仕掛けを用意していた。ヤツの罠ごと切り捨てるなんて、想像もしていなかった」
シュテンは、黄金色に染まる空の下で、晴れやかな笑顔を浮かべた。
クロードが見るかぎり、さっきまで偉丈夫の身体に巣食っていた禍々しいエネルギー、異界剣鬼の根源とおぼしき気配がさっぱりと消えている。
「クロード、ドゥーエ……。ワタシは人間が嫌いよ。綺麗なものは汚れ、真っ直ぐなものは捻じ曲がってゆくから」
クロードはシュテンの悲嘆を聞いて、奥歯を噛み締めた。
勇者が後世へ託した祝福はいつしか呪いとなり、名刀は時代と共に妖刀と成り果てた。
かつて人々を救った善良な龍神もまた、最悪の邪竜へと堕落している。
「でも、変わるからこそ強くなり、洗練もされるのね」
変化には、悪いものもあれば、良いものもある。
クロードもドゥーエも、二年前とは比較にならない程に成長を遂げたのだから。
「人生迷子の馬鹿弟子と、憎んだ血族の生き残りの縁者が、ワタシを超えた。ありがとう、貴方達の勝ちよ」
クロードはシュテンの礼に、ぐっと拳を掲げた。
ドゥーエもまた、ドレッドロックスヘアをたなびかせ、右手に手ぬぐいを掴んで駆けてくる。
「師匠ぉおおっ、まずは股間のものを仕舞え!」
「それはっ、正論、ねっ」
ドゥーエの全力を込めたツッコミの拳が、シュテンの顔面へ直撃した。
「……素っ裸で仁王立ちはないよね」
クロードは、落日の丘陵に巌のごとき巨体が音を立てて沈むのを、座り込んで見送った。
ドゥーエの行動は、ここまでは常識の範疇であっただろう。
「師匠め。いい歳して股間のものをぶらぶらさせやがって」
自慢の髪をドレッドロックスヘアに編み上げた戦友は、黒い隻眼でパチンと目配せして、生身の右手を差し出した。
「そうだ、クロード。先日、商業都市ティノーで、いい店を見つけたんでゲス。今からでも口直しに、綺麗なオネエちゃんの裸を見に行きましょうや」
クロードは、ドゥーエが的確に地雷を踏んだのを知って絶句した。
(ああ。なるほど、こういうことかあ)
クロードは、何かを言おうとして何も言えなかった。
今も、彼の愛する青髪の侍女レアと、赤髪の女執事ソフィが、他のネオジェネシスと戦っている。
ドゥーエも承知の上で誘ってきたのだから、本音はいたわりとからかいが半分半分だろう。
(でも、間が悪い。タイミングが最悪だ)
ドゥーエは、知るはずもないだろう。
クロードの身体には、彼が葬った姉弟一八名がいまだ取り憑いているのだ。
その中の一人。これまで必死に彼を庇っていたドゥーエの嫁、三番目が心無い一言にブチ切れていた。
「鋳造――斬奸刀」
クロードはせめてもの情けと、殺傷力の少ない道具を作り出した。
頭がぐらんぐらん揺れて、背中が凍りつくように寒い。もはや意識を保つのは困難だ。
「……ドゥーエさん、あとはよろしく。話し合って、ちゃんと謝るんだよ」
「おいおい、クロード。打ちどころが悪かったゲスか? 師匠に謝る理由なんぞありませんぜ」
ドゥーエが勘違いするのも仕方がない。
けれど、師匠に謝る必要はなくても、他の姉弟に詫びる理由ならば山ほどあるだろう。
クロードはもはや説明することも叶わずに、ドゥーエの手にひかれるがまま立ち上がり、意識を手放した。
『ソッカア、女の子の裸を見たいんだァ』
次の瞬間。
クロードの口から漏れ出た声は、冥府の底もかくやというおどろおどろしいものだった。
「く、クロード。どうしたんですかい? 顔色が真っ青で、まるで幽霊にでも憑かれたようじゃないでゲスか」
ドゥーエの見込みは正しかった。
クロードは首が奇妙に傾き、口からは泡を吹いて、瞳がぐるりと裏返っている。
何よりも死別してなお忘れるはずもない、懐かしい気配を感じていた。
『コノ、浮気者ガああああっ』
「く、クロード。目を覚ませ。悪霊がのっとっている。だいたいストリップくらい多めに見てくれても良いだろう。人生の先輩からのアドバイスってヤツだ」
『その言い回し、あたしと気づきながら悪霊呼ばわりか。許さんっ、アンタなんてぶっ殺してやる!』
その後、クロードに取り憑いた幽霊姉弟が振るうハリセンで、ドゥーエが袋叩きにあったのは言うまでもない。
『このバカ、大バカ、超バカヤロウ』
『そう短慮だから、いつも人生バッドルートだと気づけっ』
『生きろとは言ったけど、ここまでボンクラに生きろなんて言ってませんわっ』





