第362話 血塗られた道
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ドゥーエも、様々な経験を経た今ならばわかる。
ガングニールは、自分と幼馴染を待ち受ける結末に薄々感づいていたのだろう。
だからこそ、〝四奸六賊〟から、血なまぐさい世界から手を引かせようとしたのだ。
彼女はドゥーエと幼馴染を愛し、慈しんだ。
災いを退けるために身体を鍛え、厄を乗り越えるために数々の知識を教え、怯える野良猫を包み込むように両腕で抱きしめてくれた。
(けれど、幼いオレは信じなかった)
ガングニールは、カラスの濡れ羽が如き艶やかな黒髪と、猫の目に似た黄金の瞳、雪のように白い肌と、彫刻のように長い手足を持つ絶世の美女だった。
けれど、その姿は、かつての主人である〝黒衣の魔女〟の姿を真似たものだ。
ガングニールがドゥーエを見出したきっかけもまた、主人と同じように勇者の面影を残す末裔を手元に置きかったから。……そう、他ならぬ彼女自身が言っていた。
(はじまりは始まりに過ぎない。敵対したヤツと同じ釜の飯を食ったり、同胞と信じたヤツが裏切るなんてこともあるんだ。最初は興味本位で拾ったガキを、本当に愛しちまう〝姉〟だっているだろうし、利用し甲斐のあるバアさんを本気で慕う〝弟〟や〝妹〟だっているだろうよ)
ドゥーエも彼の嫁も、ガングニールを愛していたからこそ、戦いから遠ざけようとする彼女の姿勢に強く反発した。
(オレたちは末妹を、他の姉たちを助けたいのに、どうしてわかってくれない? ブリキ人形のように玩具箱に閉じ込められるのはたくさんだ。そんな風に思っていたっけ)
ドゥーエが髪を編んで、ドレッドロックスヘアを結い始めたのもこの頃だ。
(オレは〝神剣の勇者〟じゃない。アンタの無聊を慰める玩具じゃない。そう見せつけたかった)
結局、ドゥーエと幼馴染は成長すると、預かった武器を手に隠れ家を飛び出した。
(オレ達は、何も知らず知ろうともせず、戻れない川を渡っちまった)
ドゥーエは、かつてクロードに伝えた結末を、もう一度口にするべく腹に力を入れる。
どれだけ探し回ったか、二人は引退した老指導教官を見つけ出し、彼の協力を仰ぐことで遂に尻尾を掴むことに成功した。
「オレ達が転々としていた研究所を見つけて、解放しようとした時、洗脳された姉貴と弟妹達が襲ってきました」
いつもふんいきにきをくばり、おどけてなごませてくれたおとうとがいた。
――――――――――――――――――――――――――――ころした。
いふくがやぶけるたびにぬってくれた、かていてきないもうとがいた。
――――――――――――――――――――――――――――ころした。
いつもれいせいで、なかまのためにちえをめぐらせるおとうとがいた。
――――――――――――――――――――――――――――ころした。
オレとよめをいちばんにおうえんして、おくりだしてくれたいもうとがいた。
――――――――――――――――――――――――――――ころした。
殺した。
殺して、殺して、殺しつづけた。
なぜだろう。救いにきたはずなのに、どうして愛する弟妹の屍で塔を積み上げているのだろう?
弟妹達は常人ならざる強さと引き換えに、誰も彼もが〝四奸六賊〟の操り人形と化していた。
嫁は激戦の中で倒れて戦闘不能になり、ドゥーエもまた片腕が折れて、片足がくだけた。
それでも戦った。生きるために、嫁を生かすために。
姉弟を誰かひとりでも取り戻すために――!
(オレが巫覡の力に目覚めたのは、この時だった。オレは自分だけが生き延びて、誰一人救えなかった)
ドゥーエが襲い来る敵をすべてを葬って研究所の最奥に辿り着いた時、緊急脱出路めいた区画で立ちはだかったのは、尊敬する姉だった。
『姉さん。アンタは、自分が何をやっているのかわかっているのか?』
『ワタシは、お前の、姉なんかじゃない』
どうやって勝てたのか、思い出せない。
がむしゃらだった。ただ熱を感じていた。ただ涙がボロボロとこぼれていた。
『……生きなさい。アナタが最後の家族だ。アナタが生きているのなら、ワタシ達は無かったことにならない』
姉は憑物でも落ちたような表情でドゥーエの頬を撫でると、そう言い残して事切れた。
目覚めた巫覡の力が、生き延びることに特化した異能へと成長したのは、この遺言がきっかけだろう。
(オレは死ねない。死ぬわけにはいかない)
ドゥーエは回想を胸に秘め、緊張に満ちた広間を見渡した。
誰もが自分と姉弟を心配しているのだと伝わってきて、大同盟の善人さが嬉しくも悲しかった。
クロードは、ポーカーフェーイスに努めようとして顔がぐちゃぐちゃになっていた。
女執事のソフィが困惑をあらわにしているのは、この先に勘づいたからだろうか?
「オレと嫁は、全員に始末をつけました。研究所は燃やしました」
それでおわり。
若き日の嫁と同じ顔をした薄桃色髪の少女ミズキが、家族の仇とばかりに睨みつけている。
(気持ちはわかる。もしもオレがアイツの立場なら、たとえ並行世界であったとしても、家族の仇を生かしてはおけない)
ドゥーエは、悲嘆にくれる広間と心騒がせる少女から目をそらして、窓の外を見た。
ニーズヘッグ……エカルド・ベックを葬ったレーベンヒェルム領の空は、青く澄んでいる。
雪は降らない。
否、この世界で、終末の雪を降らせるわけにはいかない。
(オレは嘘を吐いている。全員始末した……だって? デタラメもいいところだ。研究所を滅ぼしても、末妹だけは見つけることが出来ず、行方不明だった。当時のオレは、アイツが雪を降らせることになるなんて想像さえもしなかったんだ)





