第336話 欲望
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「さあ、蛇のあぎとよ。吹雪となって、食らいつくしなさい」
ドゥーエの防御が弱まったことで、エカルド・ベックの吹雪が猛威を奮い始めた。
ベックがストレンジ・ニーズヘッグと呼ぶ生命力を食らう雪は、街道の街路樹を枯らし、石畳を風化させ、国主達を守って動けなくなった負傷兵達を喰らおうとした。
「こ、ここまでか。辺境伯様、ご武運を……」
「いいや、皆、生きることを諦めるな。鋳造――」
クロードの創り出す万余のはたきが、大同盟の仲間達を庇って、ベックの翼が生み出す無数の雪に激突する。
はたきは雪を払うも、わずかな魔力を食われて消える。
(僕がはたきを作るのに必要な魔力と、ベックが雪を生み出すのに消費する魔力。果たしてどちらが大きいかな?)
狙うは消耗戦だ。
クロードとレアが慣れ親しんだ、日常的な掃除道具――。
作るのに負担の少ないはたきを用いて、ストレンジ・ニーズヘッグを無駄撃ちさせ、ベックを消耗させる。
「今のうちに担架を運びます!」
「もうすぐ医師も到着します」
よしんば、膠着状態に持ち込んでも構わないのだ。その間に負傷兵達の救助が進む。
ここは、レーベンヒェルム領の領都レーフォンだ。援軍だって遠からず集まってくる。そうなれば、髪飾りへと変わったレアを救うチャンスだって生まれるだろう。
「ハハハ、素晴らしい。土壇場でなんという執念、なんという輝きか。さすがは、クローディアス・レーベンヒェルム。あの方が見出した盟約者だ!」
クロードの目論見は、ベックにとって甚だ都合が悪かったらしい。
はたきと吹雪の激突がどれだけの時間続いたか……。
柿色の髪の詐欺師は吹雪による遠距離戦を中断し、上半身の一部をウジに変貌させての中距離戦に切り替えてきた。
ベックは、身体のそこかしこから何十本もの触腕を伸ばし、氷で作った剣や斧を叩きつけてくる。
「エカルド・ベック。レアを返してもらうぞ!」
クロードもまた意識を切り替える。
右手に掴んだ雷切から紫電を発して触腕を焼き払い、低い姿勢で距離を詰めて脇差から牽制の炎を放つ。
レアが力を貸してくれてくれているのか、灼熱の炎が間欠泉のように噴きあがる。
膨大な熱量が、ベックを丸焦げにする寸前……。
「もはや、彼女は私のモノですよ。鋳造――というのでしょう?」
ベックが人差し指を鳴らす。
炎の間欠泉は、突如として創り出された氷雪の壁に阻まれた。
「素晴らしい手札だ。これこそ第三位級契約神器レギンを組み込んだ、ストレンジ・ニーズヘッグの新しい力。貴方の侍女は実に素晴らしい道具です」
ベックが、指を鳴らしながら手を一振りする。
巨大な壁はイガグリのように棘が生えて、クロードを押しつぶそうと倒れ始めた。
「辺境伯、ここは任せな。面汚し野郎め、今度は間男に転職か」
ドゥーエがムラマサを片手に、クロードの隣へ駆けつける。
彼の左義手から鋼糸が射出され、雪の杭壁を木っ端みじんに粉砕した。
「……間男? 私こそが、最新にして最高の融合体。すべての人間、ネオジェネシス、契約神器が伏して称えるべき存在だ」
ベックの攻勢は途切れない。崩れ落ちる壁の背後には、一〇門もの雪製大型弩が据え付けられていた。
甲高い発射音が次々と鳴り響き、丸太どもある太矢が着弾した無人の道路には、クレーターが二つ深々と刻まれる。
「ベック、思い上がるな。お前はダヴィッドやアルフォンスと同じ、邪竜の玩具だ」
クロードは大小二刀を用いて雷と炎を重ね合わせ、十文字を斬るようにして五矢を切り裂いた。
「語るに落ちたな。貴様は革命を成し遂げたいのではなく、腐った独裁者になりたいだけだ!」
ドゥーエもまた、円舞を踊りながら三矢を一刀で断ち割った。
「……心外ですね。あの程度の者達と同じにされては困ります」
しかし、クロードとドゥーエの進行を阻むかのように、ベックが指を弾く。
雹翼が瞬き、氷雪の槍衾が立ちはだかる。
これでは、まるで攻城戦だ。
とても一人を相手にしているとは思えない。
ベックは鋳造魔術で武器や防衛設備を作りながら、芝居がかった身振りと手振りで勝ち誇る。
「ダヴィッドは高慢さから強化を欲し、アルフォンスは虚栄から同化を願った。ですが、私は彼らよりずっと賢明です。この世のすべての権力と財宝を独占することで、平等という革命を実現してみせるのだから!」
クロードは酔っ払ったように、空っぽの演説をぶつベックが哀れで仕方が無かった。
(僕だって、一度は力に溺れたことがある。きっと誰もが胸の中に欲望を秘めている)
クロードにとって最大の宿敵であり、因縁の存在である邪竜ファヴニルだってそうだろう。
彼は、神焉戦争で愛する人々を失い、龍神として守護したグリタヘイズの村とも決別したことで、貪欲に力を追い求めて強くなった。
それでも、どうしようもなく違う点があるとするならば、ファヴニルは――自らの欲望に――真剣だった。
「ベック。平等って単語の意味を、辞書で引け」





