第328話 真なる契約
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接吻を交わした後……。
青髪の侍女は、幼子が駄々でもこねるようにクロードの胸を叩いた。
「いけません、領主さま。私は、邪悪な鍛治師レギンの名を戴く契約神器です」
今のレアには、普段の毅然とした気配はまるでない。
近づかないで、でも遠くへ行かないでとばかりに、両手でクロードを掴んで離さない。
「レア。前にも言っただろう? 舞台の上で悪役に割り振られたからって、本人の善悪には関係ない」
クロードはレアを見つめたまま、あやすように、噛み砕くようにゆっくりと告げた。
ファヴニルを討つと決めたのは、悪役の役名を名乗っているからではなく、彼の行動がどうしようもなく非道で邪悪だからだ。
(もしも別の世界で、別の選択を経たならば、万に一つ、和解する可能性があったかも知れないけど……)
赤い導家士に始まり、緋色革命軍に楽園使徒、ネオジェネシスと、かの邪竜はあまりに多くの災禍を引き起こした。
クロードも、レーベンヒェルム領も、マラヤディヴァ国も、もはやファヴニルを打倒しなければ一歩も前に進めない。
「レアの優しさも、善良さも、僕はよく知っているよ」
「でも、私はニンゲンじゃない。貴方に好かれる資格なんてないんです」
「そんなの関係ない。僕は君が好きだよ、レア」
クロードは、これが証だと言わんばかりにレアを抱き寄せた。
けれど彼女は俯いて、瞳から溢れる涙は止まらない。
「私は、信じません。他の誰かが同じことを口にしても、絶対に信じない。だって、ニンゲンは裏切るから」
血を吐くように絞り出された悲嘆に、口を挟めなかった。
やはり、一千年前のグリタヘイズ村で何かがあったのだ。
「……だから、兄さまだって、あのように変わり果ててしまった」
クロードは、ファヴニルとレアの兄たるオッテルから、ある程度の事情を聞き出していた。
ファヴニルは世界終焉の後、龍神としてグリタヘイズ村に迎え入れられて、ヴォルノー島に住む人々を守護していた。
しかし、グリタヘイズ村は外国の干渉もあって、新旧住民間の対立が深まり、神剣の勇者が来訪したことをきっかけに、一触即発の危機的状況に陥る。
勇者は争いを嫌って島を去ろうとしたが、ファヴニルは追いすがって彼の船を沈め、結果として妹もろともに遺跡へ封印された。
(ここがオカシイんだよ。どう考えても、追う必要がない)
ファヴニルが……。
去ってゆく厄介者を追って、わざわざ交戦した理由は何だ?
愛して育んだ村人に、封印されてしまった由縁は何だ?
善良さをかなぐり捨てて、悪逆非道を尽くす邪竜へ変貌した経緯とは何だ?
「領主さま。貴方だけは信じられる。貴方は時々目が節穴で、根っからのお人好しですが、ずっとそこだけは変わらなかった」
レアの喘ぐような言葉に、クロードは苦笑いする。否定したいが、否定できない。
「私も貴方のことが好きです。でも、でも、ずっとずっと貴方が怖かった!」
クロードは泣き叫ぶレアを抱きしめて、彼女の背中を撫でさすった。
「貴方の親愛が憎悪に変わる日が、微笑みが敵意に変わる日が、おそろしくてたまらなかった」
「そんな日は、来ないよ。何度だって言う僕は、レアのことが好きだ」
クロードは宥めるが、レアの震えは止まらない。
「貴方に打ち明けたかった。許して欲しかった。けれど、変わってしまった兄さまが恐ろしくて、貴方が殺されてしまうんじゃないかって怯えて。なのに、貴方はちっとも逃げようとしなかった!」
クロードは思い返した。
そう言えば、レアはずっと彼を逃がそうとしていた。でも、なんだかんだで最後には力を貸してくれたのだ。
「……領主さま、本当に私を奪ってくれますか? 変わり果ててしまった兄さまを止められますか?」
「うん。僕の本当の名前、小鳥遊蔵人にかけて誓う。レア、必ず君を連れ出すよ。ファヴニルは、僕が倒す」
クロードは力強く、愛しい女性を抱きしめた。星の瞬きと蛍の輝きに包まれて、二つの影がもう一度、一つに重なった。
「クロードさま。第三位級契約神器レギンの名において、契約を結びます。私は、レアは、小鳥遊蔵人を愛しています。私の心は貴方と共に」
クロードが、右手の人差し指にはめた虜囚の指輪。
血のように赤く濁った宝石に、仄かな炎が灯る。
ここに、真の契約は結ばれた。





