第321話 前祝いの悪夢
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イケイ谷の決戦から二日明けて。
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 晩樹の月(一二月)二八日。
この二日間、領警察本部の灯火は深夜になっても消えることは無かった。
クロードは、領警察の幹部たるエリック、公安情報部の責任者であるハサネと共に、作戦の残務処理に取り組んでいた。
レーベンヒェルム領は、ネオジェネシスが秘密裏に組織した大小二〇のキャンプを撃滅し、工作員三〇〇名を捕縛・殺傷した。
これまでわざと泳がしていたエージェント達も含めて、根こそぎ討滅したといっていい。
作戦開始から三日間、クロードと共に働きづめだったエリックは、机に突っ伏して目をしょぼしょぼさせながらぼやいた。
「……クロードよぉ。お前は見事に融合体を仕留めたし、俺達も頑張った。領都大火計画阻止作戦は大成功だ」
「うん、エリック。みんなよくやってくれた。捜査官にも、領民にも死者が出なかった。誇らしい成果だ」
カネない、モノない、ヒトもいない……。
ないない尽くしで始まったレーベンヒェルム領だったが、数多の危機を乗り越えて遂には、大規模テロの事前阻止すら為し遂げた。
「でもよ、クロード。この成果もよ、ネオジェネシスの計画の内かも知れないんだな」
「あくまで可能性だよ。僕達は勝ちすぎた。だから、兜の尾を締め直そうってことさ」
クロードは、ネオジェネシスの計画が終わっていないと確信している。
けれど、幽霊姉弟からの忠告だけにとどまらず、開戦以来ずっと勝ち続けているという状況は不自然なのだ。
公安情報部長のハサネもまた、そんな現状を危惧する者のひとりだった。
「辺境伯様がベータなる幹部から聞き出したところ、ネオジェネシスは自分達の死を――予備の肉体で目覚める迄のインターバル――としか認識していません」
「へっ、死んでも次がある。いや、死んじまうって考えさえないってことか」
エリックは、ハサネの指摘に鳥肌が立っていた。
彼は元冒険者であり、今も危険な治安組織に身を置いている。
死とは身近な恐怖であり、だからこそ〝死〟の概念を持たない存在が、理解不能なのだろう。
「エリックさんの言う通りでしょう。ネオジェネシスから見れば、これまでの連戦連敗すら、ただの布石かも知れない」
「……そんなの、生きているって。いや、悪い。戦った相手にかける言葉じゃあないな」
エリックは、愚痴をとりやめた。
クロードは、討ち果たしたベータに敬意を抱いている。
彼自身もまた命のやり取りをしたネオジェネシスに対し、思うところがあったのだろう。
「そういや、クロードよぉ。国主様が年始にユングヴィ領に帰りたいって言っていたが、認めて良かったのか?」
「グスタフ閣下にとっても故郷で領地だもの。ちゃんと自分の目で確認したいのさ」
ユングヴィ家は、一千年以上に亘る歴史があり、土地や民との結びつきも極めて強かった。
クロード達ヴォルノー島大同盟が首都クランで歓迎を受けたのも、あくまで国主の味方だったからだ。
「私も本音を言えば、国主様には安全な後方にいていただきたい。ですが、領地から長く遠ざけていれば、民衆があらぬ疑いを抱くでしょう」
「そういうものか。俺はやっぱりマツリゴトは苦手だわ。外で暴れている方がいい」
エリックは机から背筋を伸ばして、それとなく逃げようとしたが……。
「鋳造――」
「エリックさん、どこへ行こうというんです?」
彼の足首には、すでにクロードの鎖とハサネの縄が巻きついていた。
「わあったよ。やるよ、やればいいんだろう!」
クロードは、エリックの態度があまりにヤケッパチだったから、ちゃんとフォローを入れることにした。
「エリック、ハサネさん。この仕事が終わったら、二日間休んでくれていい。領内のネオジェネシスには打撃を与えたし、次に何か仕掛けてくるとすれば、挨拶に国主様を招く三一日だろう」
「ありがたいですね。そろそろ葉巻が恋しい。辺境伯様もお休みになられては?」
ハサネの提案に、クロードは首を縦に振った。
「うん。僕も明日から二日休みを取るよ」
「強敵相手に連戦だったんだろ。ベッドでゴロゴロしても誰も文句を言わないさ」
「休める時に休むのも、良い戦士の条件です」
「……実は、レアとデートしたいんだ」
次の瞬間。
エリックとハサネの動きが変わった。
まるで燃料切れのエンジンに、最高級ガソリンを注いだかの如く、算盤を弾き文章を綴り資料を添付し補足を記して署名する。
二人は猛烈な勢いで仕事を進めると、机に完成させた書類を叩きつけ、争うように連絡用の通信貝を手に取った。
「ブリギッタ。今すぐ起きろ。屋台でもなんでもいいから、晩飯の手配を頼む。あのクロードがレアさんをデートに誘うってよ!」
「非番の捜査員はすぐに集まりなさい。秘蔵の葉巻と酒を馳走様しましょう。なんと、辺境伯様がレア様を逢引に誘います」
「エリック、ハサネさん。なに言っちゃってるの? なんで広めるの?」
そして、前祝いという名の悪夢が始まった。
「ちょっとエリック、ガセじゃないでしょうね!
「辺境伯様、ついにヘタレから脱却するんですか!」
「信じていました。やる時はやる男だって」
「良かった。ちゃんと女の子が好きだったんですね」
どこに隠れていたんだと言わんばかりに、領警察や領役所の職員が駆けつける。
「み、皆は僕を何だと思っていたの?」
「「女関係がまるでヘタレな悪徳貴族」」
まさに悲報!
クロードの印象は、幽霊姉弟にとってのドゥーエと変わらなかった。
「おかしいだろっ、なんでだあああっ!」
宴に巻き込まれたクロードが残務処理を終えたのは、明け方だった。





