第314話 肉体と精神と
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クロードの眼前で、投げ飛ばしたはずのベータは床を砕きながら立ち上がった。
「蘇るのは別人だと? 言いがかりはやめてもらおう」
ベータは山のごとき雄々しい肉体を震わせ、ロケットでも飛ぶかのような勢いで突っ込んでくる。
クロードは大振りな拳をかわし、巨漢の軸足を蹴って勢いにのせるよう投げ飛ばす。
体重差も筋力差も隔絶しているならば、相手の力を利用して倒すしかない。
「ベータ、肉体を複製するだけなら出来るだろう。けれども劣化か進化か、微細な差は必ず生まれる。まったく同じ肉体なんてことはないんだ」
旧型パソコンや携帯端末のデータを丸ごと新型パソコンに移植した時、それはまったく同じ物だろうか。
キーボードの感触が違ったり、レスポンスが早くなったり、便利にあるいは不便になってはいないか?
機種が同じでも、まったく同じなんてあり得ないのだ。ましてや生命ならば――!
「だからこそ、人格と記憶。〝なかみ〟が大切なんだ」
ベータは音を立てながら転がるも、血の混じったつばを吐いて立ち上がった。
「我々は旧人類とは違う。魂を重んじる、まったく新しい生命なのだ」
ベータも戦いの中で学んでいるのだろう。より小刻みに、より鋭いラッシュをかけてくる。
クロードはごつい拳を必死でいなすも、火と雷の余波を浴び、何より拳の重さに頭が煮立つようにぐらついた。
「ベータ。〝なかみ〟が一緒だって? 古い肉体から新しい肉体に移した時、まったく同一のものであるという証明を、いったい誰ができると聞いているんだ?」
クロードは嘔吐感をこらえながらもベータの腕を引き寄せて、裏返すようにして投げ飛ばす。
(強い。こっちは一発貰ったら終わりなのに。向こうは全然応えちゃいない。これがネオジェネシス……、いや修練の力)
クロードが何度床に叩きつけても、ベータは不屈の闘志で舞い戻る。
彼の鍛えあげられた肉体と精神が、尋常ならざる耐久力として昇華されていた。
「証明なんていらない。このベータをベータたらしめる情報が同じならば、次の肉体も同じように生きるだろう。ネオジェネシスは永遠だ」
「えいえん、だとっ」
幾度もの交錯を超えて、ベータの拳がついにクロードを捉えた。
砲弾のような一撃を受けて、視界が明滅する。
意識を失わずに堪えられたのは、それこそ意地に他ならない。
(ベータは強い。恵まれた肉体もあるけど、引き出したのは当人の努力だ)
クロードは羨ましかった。ベータの輝きが眩しかった。
だからこそ――、彼が大切にしている肉体を軽んじていることが許せない。
「……そんな永遠があるものか。魔法や契約神器だって万能じゃないんだぞ。精神と肉体を簡単に切り分けられると思うなっ」
クロードはベータの腕を両手で掴み、豪快な一本背負いを決めた。
「それだけ鍛えたのに、どうして生命の重さがわからない?」
会心の一撃だった。さしものベータもダウンからすぐには立ち直れない。
「……ああ、その通りだ。生きるには魂と肉体の両方が不可欠だ」
ベータはあえぐように呟くと、再び立ち上がろうとして遂に果たせなかった。
「クローディアス・レーベンヒェルム。やはり貴方に出会えて良かった。本当は、我々に死を教えてくれた恩人のことを知りたかったんだ」
クロードは、必死で呼吸を整えた。
身体が熱い。眩暈がする。剛腕を貰った影響か、酔ったように距離感が失われている。
「ベータ。仇討ちを望んでいるのか?」
戦争だからお互い様、と割り切れるものでもないだろう。
しかし、ベータは太い首を横に振った。
「……これも人間との差か。同胞と分かり合えるからといって、常にテレパシー頼りはよくないなあ。上手く伝えられなくてすまない。このベータ、生きるという価値を教えてくれた貴方には、感謝しているんだ」
ベータは語った。
姉アルファがユーツ領山中でクロードと交戦した時、肉体が無限再生するはずの同胞が初めて死を迎えたこと。
彼らはすぐに保存記録から復元されたものの、ベータには違和感が残ったこと。
「このベータも、蘇った同胞を同一存在だと信じきれなかった。ネオジェネシスもまた不死ではない。そう気づいたからこそ、我が肉体を鍛えたんだ」
「だったら、戦う以外の道を探そう。僕は別にブロルさんと争いたいわけじゃない。討つべき敵は他にいるんだ」
クロードは驚きながらも、ベータに手を差し出した。
けれど、彼はその手を振り払った。
「断る。一度きりしかない生命だからこそ、意味を見出したい。創造者が憧れ、姉が恐れ、妹が惑い、弟が敬う貴方に勝ちたい」
ベータが愛して誇った肉体が溶けて、ウジのように変化する。
「だから、もう手段は選ばない。第五位級契約神器ルーンベース〝展迷〟よ。わが身を捧げよう」
ベータの身体に、戦闘場の外側を塞いでいた武器、毒や酸といった罠が吸い込まれ、腐臭漂う巨大な怪物へと変貌した。
「我が命、我が肉体、我が心を糧に、ネオジェネシスの未来を切り開く!」
「ベータ、このっ、ばっきゃろおおっ」





