第309話 イケイ谷要塞階段落ち
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復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 晩樹の月(一二月)二六日。
レーベンヒェルム領領警察と公安情報部は、領内に隠れ潜む工作員の一斉検挙を開始した。
各町村に駐在する領警察と、鉄道を用いて派遣された公安情報部員が協力し、スパイ組織のアジトやセーフハウスへと雪崩れこんだのだ。
「領都大火の阻止は、時間との勝負だ。二年前を思い出せ。俺たちが生きる街を連中に二度と焼かせるな!」
エリックは自ら隊の先頭に立ち、郊外の旅籠に偽装した、秘密キャンプへと飛び込んでいった。
隠れ潜んでいたテロリスト達がマスケット銃で応戦するも、第六位級契約神器ルーンバングルで障壁を展開し、並いる敵を警棒で殴り飛ばす。
彼が率いる領警察は、宿屋や酒場、武器屋といった物件を一軒一軒訪ねて、時には剣戟や銃火を交えつつ、虱潰しにテロリストをしょっ引いた。
「東の宿に不審者が泊まっている? 南の武器屋にも挙動のおかしい客が来た? 情報の御提供ありがとうございます」
ハサネもまた、通信貝で中継連絡を器用にこなしながら、逃亡する工作員を追跡していた。
壁を垂直に走り、屋根を飛びこえ、ナイフと手錠を振るって次々と無力化してゆく。
彼が育てた公安情報部は、情報面で八面六臂の活躍を見せていた。元は犯罪者や食い詰め浪人だった男たちも、立派に更生を果たしていた。
「エリック隊長に続けっ」
「ハサネ所長を唸らせてやるぜ」
「辺境伯様も見ていらっしゃるぞ。恩返しをするのは、今この時だ!」
レーベンヒェルム領は、過去を問わない。
領役所にも領軍にも、かつて本物のクローディアスに抗った反逆者が多く在籍していた。新しく領に加わった冒険者や傭兵だって、脛に傷持つ追放者や逃亡者が多く混じっていた。
領民達は、新しい同胞を温かく迎えいれた。塗炭の苦しみに喘いだ経験があるからこそ、苦海に溺れた人々と手を取りあって歩むことを選んだ。
同時に彼らは、領主であるクロードと共に創り上げてきた居場所、新たな故郷たるレーベンヒェルム領に仇を為す者を許しはしなかった。
「おれたちの街は、おれたちが守る。テロリストなんていらない!」
「我らの高潔な正義を、生命の革命を理解しないバカどもどもがっ。死ね死ね死ねええいっ」
かくして、戦場からは遠く、されど大切な命を守るための戦いが領都レーフォンにて幕を開けた。
クロードもまた、ドゥーエと名乗る傭兵と共に、領都西部にあるイケイ谷へと馬車で向かっていた。
『ドゥーエさん。僕たち、前にどこかで会ったこと無いかな? たとえば、農園とか、演劇会場とかで?』
クロードが投げかけた質問に、赤いスカーフを被った傭兵は、黒い右片目を瞬かせ、機械仕掛けの左腕を軋ませて、おどけるように答えた。
『へへっ。オレはガキの頃からやんちゃばかりしていてね。畑で真面目に働いたことはないし、劇場みたいにお上品な場所にも、縁はありませんぜ?』
『すまない。人違いだったみたいだ。よろしくお願いします、ドゥーエさん』
クロードは、ドゥーエ隊の傭兵一〇人と握手を交わして馬車へと乗り込んだ。
表情を窺うに、きっと彼は嘘を吐いていないのだろう。
ただ、この時ドゥーエからは取ってつけたような語尾が消えていた。
「もうすぐ現場に着きますな。辺境伯様に頼りされるなんて、光栄でゲス。いっちょ〝泥舟〟にでも乗った気持ちで、任せてつかあさい」
果たして、天然なのか故意なのか。
ドゥーエの言動は、どこまでも胡散臭かった。
「到着前に改めて説明するね。僕たちが捜索するのはイケイ谷にある廃工場だ」
この物件は、元はテロリスト団体〝赤い導家士〟に通じていた外国企業のものであり、その後も幾度かオーナーが変わったものの、今もまた詳細不明の外国企業が書類上所持していた。
そんな怪しげな工場が、これまで見逃されてきたことには当然ながら理由がある。
要は公安情報部がテロリストを監視するための罠の一つだったのだ。
しかし、ここ数ヶ月はまるで人の出入りが確認されていない。
である以上、考えられる可能性は二つだろう。
問題無い只のハズレか、厳重な監視を潜り抜ける程の大当たりのどちらかだ。
「辺境伯様、調査はオレ達に一任していただけるんでゲスね?」
「うん、好きにやって欲しい。すでに工場は接収済みだし、付近の民間人も退避させてある」
「へへっ。許可はいただきました、ゲスよと。おう、やっちまおうぜ」
ドゥーエ達は、工場の内部を隅々まで確認した後、各所に炸薬を仕込んで起爆用の魔法陣を描き始めた。
(ああ、なんか覚えがあるなあ)
二年前、部長の養女であるイスカと出会った時のことだ。
クロードは、首都クランのホテルを爆破して街を火に包もうとした〝赤い導家士〟と交戦した。
そして、奇しくも今、発破を仕掛けているドゥーエという傭兵にもある疑惑がかけられていた。
(彼が、イシディアで壊滅した赤い導家士の生き残りじゃないか? ね)
実のところ、それだけなら重大事ではないのだ。
元赤い導家士の構成員というなら、領軍で隊長を務めるイヌヴェやキジーだってそうだし、罪を贖って日々を暮らす元構成員なんていくらでもいる。問題は……。
「辺境伯様、耳を閉じておいてくださいよ、そーれ!」
ドゥーエ達が離れ、クロードが遠目から見守る中、廃工場は火を吹いて、まるで積み木を崩すようにバラバラになった。
「ビンゴだ。地下に要塞が隠れているでゲスよ!」
落下する廃材を、大地に描かれた光り輝く魔法陣が受け止める。
廃工場の地下には、広範な施設が隠されていたようで、中央には出入り用のハッチが露出していた。
「この規模なら、……アレだって隠せるかもな」
ドゥーエが意味深に呟いた瞬間、ハッチが地下側から開かれて、毒々しい蛾のような羽をはためかせた怪人物が飛び出した。
おそらく、アリ型装甲服と同じようなパワードスーツを着込んでいるのだろう。
「同志よ、迎撃の準備だ。外にいる旧世界の遺物はじゅうい……」
それ以上、情報を与えるわけにはいかなかった。
「鋳造――雷切、火車切!」
クロードは跳躍し、二刀でもって斬り伏せた。
雷で右の羽を裂き、炎で左の羽を焼いて、蛾の怪人を地へと叩き落とす。
「ひゅーっ。カッケー」
「あれが鋳造魔術か。初めて見たぜ」
隊員達が歓声を上げるが、高所にいたクロードには見えていた。
カメレオンのように色を変えて景色に溶けこんだもう一体のテロリストが、階段をぬるりと上ってくることを。
奇怪な装甲服をまとったテロリストは、鞭のような触腕を地上目がけて振るおうとした。
「今日のオレは血に飢えている。忌まわしき白光の気配に、失った腕と瞳がうずくのさ」
しかしその直前、驚異的な速度で踏み込んだドゥーエが左腕の仕込み刃を振るい、カメレオン怪人の首と触腕を刈り取った。
異界のパワードスーツを着た悪影響か、首の無い遺体は赤い血の代わりに緑や青の結晶を撒き散らし、豪快な音を立ててハッチから階段を転がり落ちる。
(ハサネさんによると、赤い導家士にはとてつもなく腕が立つ傭兵が協力していた)
イケイ谷を渡る風に吹かれて、赤いスカーフに隠れたドレッドロックスヘアが宙を舞う。
(外様ながら、事実上の古参メンバー、幹部でもあった男。彼の名前は、ロジオン・ドロフェーエフ……)





