第295話 運命の分岐点
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「クロードおにいちゃん……」
「ボス子ちゃん、よくひとりで頑張ったね」
クロードは、震える少女の肩を抱くと背中をそっと撫でさすった。掌からじんわりと体温が伝わってくる。
彼の眼前には、雪がしんしんと降り積もる凍り付いた世界がある。
クロードは、ボス子を責める気にはなれなかった。
きっとこの並行世界は、こんなカタチでしか救われなかった。
「もしも僕達がいる世界で終末戦争を止めるなら……、その気象兵器とやらが融合体の実験にかけられる前に、全部壊してしまえばいいのか?」
クロードの問いかけに、ボス子は青灰色の瞳を曇らせて首を横に振った。
「たとえ壊しても、作り直すのは難しくないよ」
「四台もある上に、スペックは人工降雪機と変わらないんだものなあ」
たとえ破壊に成功しても、兵器利用を考える者が現れた時点で、簡単に再建されることだろう。
「……それともおにいちゃんは、あの子を、イスカちゃんを殺す?」
ボス子の涙でかすれた声音からは、冷たい恐怖と、わずかに熱い嫉妬が読み取れた。
「……馬鹿を言っちゃいけない。それこそ代わりに誰かが押し込まれるだけだよ。結局はその国の政府と軍部をどうにかしないと根本的な解決にならない」
実のところ、クロードには国の目星はついている。
しかし、じゃあ何とか出来るかというと困難だ。そもそも規模が大きすぎて、一国の問題では収まらなくなってしまっている。
「厄介だな。世界を変える。国を変える。――そう言っても、世界革命とやらを目指した〝赤い導家士〟みたいになったら本末転倒だし」
クロードがいるマラヤディヴァ国だけに留まらず、西部連邦人民共和国、イシディア共和国、その他、数え切れない国々が被害に遭っていた。
「〝赤い導家士〟さんたちも、並行世界によっては人助けをしている場合もあるみたいだよ。たいていは変な人たちをいっぱい入れて、過激なことになっちゃうけど」
「いくら図体が大きくなっても、最初の目標を見失っちゃ、どうしようもないさ」
クロードは胸の奥で息を吐いた。旗揚げ時の意図はどうあれ、ダヴィッド・リードホルムみたいな輩を大勢抱え込めば、組織の色だって変わるだろう。
あのテロリスト達が、どんな綺麗事を夢見ていたとしても、実行したことは大量殺人に略奪強盗、人身売買といった卑劣な犯罪に過ぎないのだから。
「心配しないでくれ。イスカちゃんは絶対に大丈夫だ。部長が、ミズキさんがいる。アリスがいて、僕だっているんだ。彼女の未来は絶対に変わる。変えてみせる」
「そうだね。貴方なら出来るかも。そういう並行世界を最近観測出来たから」
ボス子は、泣くような笑うような、涙で崩れた顔で微笑みかけた。
「はっきり言うね。おにいちゃん達がいる世界で、イスカがボス子になる可能性は、少なくなった。運命の人が、クロードおにいちゃんが、ふたりのお友達が、破滅に至る道筋をことごとく壊していったから。それでも」
――そうして、世界を滅ぼした少女は、残酷に言い切った。
「それでも、ラグナロクはくるよ」
クロードは、ボス子の肩を抱く手に力を込めた。
諦めるなと、自分はまだ諦めていないと伝えるために。
「それが、……人々の望みだから。第一位級契約神器は、いわば先触れだよ。世界を作り替えられることを知った誰かが、古い世界を焼いて、新しい世界を生み出そうとする。それはクロードおにいちゃんも知っている、気づいているんじゃない?」
ああ、そうか。と、クロードは今更のように理解した。
ブロル・ハリアンに最後の一線を越えさせたのは、やはりこの終末の映像だったのだと。そしてファヴニルもまた、千年の昔から同じ事を望んでいた。そして――。
「……確かに、違和感があった。マラヤディヴァ国は海路要衝だ。僕たちが内戦でドンパチやっているのに、どの国も停戦仲介を試みず、むしろ双方に傭兵を参加させていた」
レーベンヒェルム領復興には、サムエル達傭兵の協力が不可欠だった。
一方で、緋色革命軍のゴルトが率いる部隊や、旧ソーン領の支配者マグヌスが雇った私兵の中にも、大勢の傭兵が含まれていた。
ハサネ達、公安情報部が調べた限りでは特別な裏はなさそうだったが……。
「ファヴニルは、レーベンヒェルム領に代わる神器強化の手段として内戦を引き起こした。同じことを考えて、戦争に参加した者や、戦争の拡大を望んだ者だっているだろう」
ファヴニルが嘲った言葉が、クロードの耳に反響する。
ヒトは、カミサマのように強大な力を振るうことに憧れるのだろうか。
「ボス子ちゃん。仮に第一位級契約神器を得て、虹の橋を渡ったとして、どれだけ変わるんだ。変えられるんだ?」
「わかんない。この世界はわたしが終わらせちゃった。以前に神剣の勇者って呼ばれたひとは、ほとんど変えずに人として生きて、人ととして死んじゃったみたい」
ファヴニルは、千年前の勝利者たる勇者を露骨に非難していた。
しかし、クロードはむしろ最終勝利者となりながら、あくまで人間をまっとうした勇者の精神を高潔だと思う。
(テルが見せてくれた映像にあった、チンドン屋みたいな服のセンスは褒められたものじゃないけどね)
クロードが後頭部に向かってブーメランを投げていることをつゆも知らず、ボス子は彼に応えるように身を寄せて耳元へ唇を寄せた。
「クロードおにいちゃん」
金髪が揺れる。青灰色の瞳が、赤く、より青く染まる。
「わたしが観測できた並行世界は、たったひとつを除いて、どれもこれも悲劇的な結末だった。きっと、今が分岐点なんだ」
彼女は歌うように、泣くように、惑わせるように、濡れた声で真実を告げる。
「ラグナロクは絶対に起こる。わたしがいなくても、新しい世界や野望の成就を求める誰かが、必ず鍵を手に入れる。でもね、考えてみて。元の世界に帰ろうとする、おにいちゃん達は、関わる必要なんて……ないんだよ?」
破滅に至る道筋をことごとく壊していった――は、これまでクロードの奮闘と、シリーズ過去作主人公達の努力を指します。
またボス子ちゃんが観測した『たったひとつだけ例外だった世界』とは、書籍版のことです。
エピローグにあった通り、書籍版世界のクロード達は終末を乗り越えました。





