第280話 姫将軍の計
280
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 木枯の月(一一月)七日。
クロードは、マルグリットとラーシュを救出した後、メーレンブルク領南部にある臨時キャンプで、ソフィ、アリスと共に負傷者の治療と避難民の誘導に腐心していた。
マルグリットとラーシュが契約神器の力で水攻めから守り、クロードらが大量の治癒薬を素早く持ち込んだことで、多くの命が救われた。
また緋色革命軍の非道な圧政から解放された民衆は、絶望に張り詰めていた相好を涙で崩して、笑顔を向けてくれた。
「ありがとうございました。命を救われました」
「公爵様は仰っていたんです。自分が倒れたならば、クローディアス・レーベンヒェルムを頼れと。うううっ」
「公爵様は正しかった。その、私達を逃がしてくれたユーツ領の兵隊さんたちはご無事でしょうか?」
「――大丈夫です。少し怪我をしただけ。皆さんは僕たちが必ず安全な場所までお送りします」
クロードは、避難民達を不安がらせないように明るく振る舞ったが、戦況はわずか数日のうちに悪化していた。
「これで、ユーツ領、ヴァリン領、ナンド領。三領の主力部隊が大敗したのか」
休憩時間になり天幕に戻ったクロードは、看護の疲れからか膝の上で丸くなったアリスを撫でながら、ソフィと共に机に置かれた地図を見ていた。
マラヤ半島の俯瞰図には、大小いくつもの×印が記されている。
この一週間で、大同盟が緋色革命軍との交戦で敗北した地点だ。
本来であれば、三領だけでなく、ルクレ領とソーン領の部隊も致命的な打撃を受けていたことだろう。
アンドルー・チョーカーが命と引き換えに、彼らを守り抜いていた。
「クロードくん、ゴルトさん達は南へ向かっているんだよね。やっぱりセイちゃんと戦いたいのかな?」
「ソフィ、その可能性は高いと思う。だから、コンラードさん達には、ひとまず首都クランにいるセイの元へ向かって貰った」
緋色革命軍の兵士達から聞き出した情報によると、ゴルト・トイフェルは、オーニータウンで交戦したセイに対し、好敵手じみた執着を抱いているらしかった。けれど、それが見せ札である可能性も否めなかった。
「ひょっとしたら、裏をかいて直接国主様を狙うかも知れない。だからレアとテル、ガルムに警護をお願いした。あとは――」
「クロードくんっ!?」
「たぬっ!?」
ソフィは赤いおかっぱ髪の下、黒い瞳を大きく見開いた。
アリスもまた、クロードの膝の上で黄金色の毛を逆立てる。
「終われないんだ。僕は、敵も味方も多くの血を流させてきた。それはあの大馬鹿野郎をぶん殴って、この国が、民が奪われてきたものを取り戻すためだ。こんなところで立ち止まっていられるか」
クロードの黒い瞳は、真っ赤な血を連想させる緋色に染まっていた。
「僕がチョーカーを引き込んだ。あいつは勝てと言い残したんだ。だから連れて行ってあげないと。ゴルト・トイフェルを倒して、ブロルさんをネオジェネシスを降伏させる。未来を掴む為に、僕は行く――」
クロードは、アリスを膝の上から下ろすと、幽霊のように陰気な影をまとって立ち上がった。
しかし、死に憑かれたような彼の手を、ソフィが隣に立って握りしめた。アリスもまた跳ねるようにして頭上に着地する。
「クロードくん、一人じゃ行かせないよ。わたしはレアちゃんに頼まれたんだ。連れて行くなら、チョーカーさんだけじゃなくてわたしたちもだよ」
「たぬっ。今度はたぬが、ちゃあんと守ってあげるたぬ」
クロードの赤い瞳が揺らぐ。ソフィとアリスを拒絶することが、彼には出来なかった。
彼は天幕の様に設置した転移魔法を補助する祭壇を見た。今すぐ彼女達を振り解いて、駆け込めばいい。けれど、二人の愛情が軽挙を許さない。そして不意に風が吹き、祭壇が光を発して魔法陣が描かれる。
「……これは?」
祭壇から現れたのは、転移魔法の巻物を手にした麗人と、しかめつらをした武人だった。
「セイ、それにコンラードさん!?」
「棟梁殿、ソフィ殿やアリス殿と仲が良いようで、善哉善哉。何かあってはいけないと慌てて来たのだ」
クロードは、背中から冷や汗を流しながら明後日の方向を向いた。まさに今やらかす直前だったからだ。
ソフィとアリスは、にこにこ笑顔を浮かべて見せつけるように抱きついていた。セイは、表情と裏腹に葡萄色の目だけは笑っていなかった。
コンラード・リングバリは、仏頂面のまま正面からクロードを見据えて告げた。
「辺境伯様、アンドルー・チョーカーめが言い残した遺言は、『絶対に勝て』です」
戦うのは、いい。けれど感情に任せて出撃して、果たして勝利が得られるものだろうか?
クロードは、自身が危うくベナクレー丘の敗戦を繰り返そうとしていたことを自覚する。
「棟梁殿、敵の目的は、棟梁殿を釣り出すことだろう。だから、それを逆手に取ろう!」





