第267話 玩具継承
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レベッカ・エングホルムは、血塗れのネックレスを拾い上げて、妖艶な笑みを浮かべた。
「ゴルト、ダヴィッドおにいさまの死を悼む必要はありませんわ。おにいさまは、とうに本願を叶えていたのだから」
「本願っ。邪竜がつけた首輪に貪り食われるのが本願だとでも言うのか?」
「ええ、これ以上ない程に上等な末路でしょう。最期まで夢に溺れて逝けたのだから」
華奢な令嬢の酷薄な台詞に、牛ほどもある巨体の将軍は鼻白んだ。
「ねえ、ゴルト。貴方は正しい人生、正しい歴史ってどう思うのかしら?」
「レベッカ、何を言っておる。人生にも歴史にも、正しいも間違いもあるか。好む好まざるに関わらず、辿った軌跡、つまり結果に過ぎん」
「実証主義に基づく模範解答をありがとう。ゴルトって、こういうところ普通なのよね」
「いったい何を……」
顔をしかめるゴルトをからかうように、レベッカは唇に指をあてた。
実のところ、世界で唯一人、彼女だけはこの枠に括られない。
レベッカが得た巫覡の力は、『並行世界を覗き見て、可能性に干渉する力』だからだ。
だからこそ、彼女は、ダヴィッド達の歪みを一際強く理解できたのかも知れない。
「そうね。人によって見方や解釈こそ千差万別でしょうけど、人生も歴史も実際に起きたことはひとつだけ。でも、ダヴィッドおにいさまと、その同志たちにとっては違うのよ」
「は?」
「おにいさま達にとっては、どんなに荒唐無稽なデタラメでも、自分たちに望ましくて都合が良いものが正しい人生、正しい歴史。逆に実際にあった望ましくない出来事、不都合な真実は、すべて間違った人生で間違った歴史――ということよ。整合性なんてまるで無視して、前後の辻褄がまったく合わなくてもね」
ゴルトは開いた口が塞がらなかった。
それはもう、人生でも歴史でもなんでもない。
正しいも間違いも勝手に決めて妄信した、砂上の観念であり空虚な認識だ。
しかし、反論は出来なかった。なぜなら、心あたりが多すぎたからだ。
「じゃあ、何か。ダヴィッドが、緋色革命軍が推し進めようとした革命ってやつは?」
書を焼き、言論を封殺し、ただ一色のイデオロギーに染めようと殺戮と弾圧に踊り狂ったのは――。
「自分の人生と、このマラヤディヴァ国の社会体制、紡いできた歴史。それらを偽物の捏造で、本物の真実を押し潰したかっただけよ。どこかに心ある革命家がいたならば、呆れるくらいの救いようのなさね」
「ああ、なるほど。然らば、悼む必要はないな。ダヴィッドめは、とうに目的を果たしていた。ファヴニルから偽りの力を与えられ、〝一の同志〟という偽りの地位を得て、偽りの栄華を極めて、最後まで偽りのまま逝ったわけだ。あえて言うならば、こやつの野望を阻んだのが、あのクローディアス・レーベンヒェルムというのが皮肉か」
レーベンヒェルム辺境伯という偽りの地位に甘んじながらも、ただひたすらに邪竜を討つという真実の目的に向けて邁進する青年。
「そうね。あのいけすかないバカは、はじめてダヴィッドおにいさまに会った時に、おにいさまの目指していた革命が偽物だって見抜いたみたいだもの」
「あやつも、悪徳貴族など名乗らねば良かったものを」
「さて、どうかしらね。他に選択肢も無かったようだし……。もしもあのスカポンタンが最初から正道を行く世界があったとすれば、案外貴方も向こうの陣営についていたんじゃない?」
「よしてくれ。〝たら〟〝れば〟を言い続けても、現実は何も変わらない」
ゴルトは肩をすくめ、レベッカも頷いた。
「ワタシはね。ダヴィッドおにいさまが、彼の邪悪さが愛おしいの。ああも無様を晒して、最後まで見苦しく死ぬ。おにいさまを選んで良かった。こんなにも幸福で、世界が輝いて見える」
レベッカ・エングホルムは、正しいものを憎み、悪しきものを愛している。
「だから、このネックレスはワタシが継ぐわ」
「お前も、ファヴニルの玩具になるのか?」
「あら? ワタシはファヴニル様の巫女よ。むしろ誉れというものでしょう?」
レベッカ・エングホルムは、血の滴るネックレスを首からさげた。
ドレスが鮮血に彩られ、言いようのない妖しさと美しさを醸し出した。
「レベッカ。お前の覚悟を認めよう。おいを好きに使うと良い。ただし――」
「ええ、姫将軍セイは好きになさいな。あのヨハンネスでさえも敗れたのです。勝てるとすれば貴方くらいのものでしょう。それでは手はず通りに――」
「メーレンブルク領を陥落させ、ブロル・ハリアンと合流する。短い三つ巴じゃったの」
復興暦一一一一年/共和国暦一〇〇五年 紅森の月(一〇月)一〇日。
緋色革命軍は指導者である〝一の同志〟ことダヴィッド・リードホルムが、大同盟の統率者であるクローディアス・レーベンヒェルムとの一騎討ちの末に戦死したと発表。
しかし、肝心の死体が発見されなかったことと、直後に親衛隊が粛清されたこと。
以上の二点から、後継者であるレベッカ・エングホルムとゴルト・トイフェルが前指導者を暗殺したという噂が、マラヤ半島を席巻した。
緋色革命軍は四分五裂の混乱状態に陥ったが、ダヴィッドを惜しむ声は……彼の派閥であったはずの親衛隊からも上がらなかった。
ただ、実の弟であるアンセル・リードホルムだけが、遠いレーベンヒェルムの地でささやかな葬儀をあげた。
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