第251話 ネオジェネシスの旗揚げ
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ブロル・ハリアンは、街道の惨劇も町の騒動も気にとめること無く、伝書鳩によって届けられたオットー・アルテアンの辞表を手に、役所執務室のソファにでっぷりとした身体を沈めた。彼に付き従う白髪銀眼の美女アルファもまた、隣に腰掛ける。
「丁寧に辞表を置いていくとはね。引き継ぎの準備まで完璧なのは私への嫌みかね? さらばだ、オットー、古き友よ」
「創造者様。見逃して良いのですか? 今からでも軍勢を向ければ、非武装の劣等種などすぐにでも食らい尽くして見せます」
「必要なら、もう一度捕まえればいいだけのことだろう。アルファ、膝を貸してくれ。戦を考えるよりも、君とこうやって過ごす方が心安らぐ」
「はい。創造者様、お寛ぎください」
ブロルはアルファに膝枕されながら、ぼんやりと窓の外を見た。
「創造者様は、地区委員長を嫌っていると認識していました」
アルファが耳元でぽつりと呟くと、ブロルはくすぐったそうにまなじりを緩めた。
「嫌いだよ。オットーは君たちの事を嫌っているからね。でも、私の本心を知っているただひとりの友でもある。仇どものリスト作りを手伝ってくれたのも彼だ」
ブロルは思う。
あの純真無垢な女男爵は、マルグリット・シェルクヴィストは知るまい。
彼が屋敷で食料として処刑した人々が、法律に裁かれること無くどれほどの悪事を重ねて来たのか……を。
「オットーには、人が裁くのと法が裁くのは違うと何度も止められたよ。そうとも、ただしいのは彼だ。もしも誰もが、ルールや約束事よりも感情を重んじるようになったら社会は成立しない。そんな国は最低の極みだろうさ。けれど、私はこうする他ないんだ」
「いいえ、創造者様こそが正しいのです。創造者様の思い通りにならない、この世界こそがおかしいのです」
ブロルは、アルファの頬に手を伸ばして触れた。
オットーは、彼女たちのことを身代わりだと断言した。
お前はかつて失ったものに耽溺しているだけだとも。
「私とオットーは、幾度も奴らに報いを与えようとしたよ。そのたびに法律に阻まれた。だから緋色革命軍には期待した。結果は最悪だ。法治よりも酷い情痴政権、仇どもはますますつけあがるばかりだ。ならば、私が革命しよう。古い汚れのない新しい生命たる君たちと共にこの国を統べよう。ダヴィッド・リードホルムと緋色革命軍を討ち、クローディアス・レーベンヒェルムと大同盟を打倒して、まったく新しい国を作る。たとえそれが、邪竜の掌の上であったとしても」
「すべては、創造者様の御心のままに」
ブロル・ハリアンは、どこまで自分の言葉を信じていたのだろう。
ユーツ領は未開発地が多いといえど、複数の領と隣接する好立地にあった。
それは攻めるに易い反面、守るに難しいということだ。
だからこそ、不死身の兵士が必要だった。絶対に死なない兵士に守られてこそ、彼はマラヤディヴァ国を巡る国取り合戦という土俵にあがることができる。
しかし、その前提はすでにクロードによって崩されている。
「アルファ、最後まで私の傍に居てくれるかい?」
「はい。我々は、いいえ、アルファはこの生命が消えるその時まで、創造者様を愛し続けます」
ネオジェネシスは、緋色革命軍親衛隊を撃破し、ユーツ領の領都ユテス一帯を支配下においた。
またエカルド・ベックの伝手で送りこんだ"新生命"と、私欲に駆られてブロルの決起に賛同した兵士たちが、ユングヴィ領、グェンロック領の一部を制圧。ネオジェネシスは、新勢力としての旗揚げに成功した。
(エカルド・ベック。酔狂な男だ。いいや、過去ばかり見ているという意味では、私も、あの商売人も、かの邪竜も、同じ穴のムジナなのかもしれない)
やがて陽は落ちて、執務室は闇に包まれた。衣擦れの音がかすかに響いた。





