第20話 領主の天秤
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復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 晩樹の月(一二月)八日。午後。
クロードとレアが転移した、木造平屋建ての倉庫は、白い煙と血臭に満ちていた。
おそらく、外の農園だけでなく、倉庫の壁にも火を点けられているのだろう。
「辺境伯様っ」
「辺境伯様が助けに来てくれたぞっ」
倉庫の中心、カーペット代わりにイグサを撒いた土床の上で、丸くなって集まっていた老人や、怪我人、大切な領民達が自分を呼ぶ声に、クロードは胸がいっぱいになって、応えることができなかった。
わずか二〇人だが、生きていてくれた。それだけで、嬉しくて、胸が詰まったように声がでなかったのだ。
「ブリギッタ様っ」
悲痛な叫びをあげて、レアがブリギッタに駆け寄る。
彼女は、円の中心で、ズタズタに裂けた白い皮鎧を血の色に染めて、うつぶせに倒れていた。
「エリック……」
唯一の出入り口である青銅製の扉前で、エリックは仁王立ちになっていた。
黒い髪は血でぐっしょりと濡れて、金属片を繋ぎ合わせた愛用の鎧は、へこみ、穿たれ、斬られ、彼自身もまた、頭と腹と脚に深手を負っていた。
生きているのが不思議なほどの重傷でなおも、エリックは非戦闘員を守ろうと、死力を尽くしていた。
「意外に早かったじゃねぇか。待ってた甲斐があったぜ……」
「よく持ちこたえてくれた」
クロードの到着を知り、エリックは振り返ろうとして、崩れるように気を失った。
「皆に感謝を。生き延びてくれて、良かった」
エリックを倉庫中央に運び、クロードが降水の魔術文字を綴ると、倉庫の上空に魔法陣が展開し、叩きつけるように水を散らして焔を鎮めた。
部屋に満ちていた煙が消えて、屋根を打つ雨音と湿った水の匂いに、ようやく安堵したのか、領民たちは泣きながら起こったことを訴え始めた。
「あ、あ、あいつら農園をめちゃくちゃにして……」
「わしらを逃がそうとしたエリックとブリギッタをよってたかって嬲りものに……」
他の農園の従業員は、エリックとブリギッタ、他の冒険者あがりの戦闘経験者たちが協力して、どうにか逃がしたらしい。
しかし、テロリスト“赤い導家士”の襲撃で怪我をした者と、彼や彼女を庇うものは逃げるに逃げられず、包囲を突っ切るようにしてこの倉庫にたどり着き、立てこもったのだという。
レアと共に負傷者を治療しながら、クロードは農民たちの悲痛な慟哭に耳を傾けた。
「すみません。あっしらは辺境伯様の農園を守れなかった……」
「生きていてくれた。それだけで十分だ」
治療を続ける間にも、ガンガンと耳障りな破砕音と振動音が、倉庫を震わせた。
火が消えたことに気づいたテロリスト達が、扉や壁を破ろうとしているらしい。
(軍靴の音が聞こえてくる、か)
三〇年以上に渡り、“吉田清治証言に基づく強制連行”などという誤報、むしろ日本国を貶める捏造を行った大新聞等がよく使っている、お決まりのフレーズをクロードは思い出す。
彼らは軍隊による戦闘行為を悪し様に罵っても、テロリストによる虐殺や略奪、一部独裁国家で行われる惨劇を決して報じない。
イデオロギーに基づいて、絵空事を真実だと吹聴し、現実からは目をそむけて、見て見ぬふりを決め込むのだ。
震災の災害現場における命がけの苦闘を、無責任な逃亡だとでたらめに脚色した挙句に、真相が明らかになった途端、自分達を批判するのは間違いだのヒステリーだのと、悪びれもせずにうそぶく。
(現実から目を背けたのは、僕だって同類か)
そんな報道機関が大手を振るうような平和な場所で、不自由がない日常を謳歌していた。
警察に、自衛隊に、在日米軍に守られて、安全を与えられて当然のものだと、誤認した。
だから、忘れもしない先月の八日、ソフィが屋敷に勤めはじめた日――
『レア、ファヴニルは、昨夜も帰ってこなかったのか?』
『何かの準備が忙しいと、領辺境にあるペナガラン要塞に篭もっているようです』
『軍隊もろくにないのに、あんな廃墟で何をやってるんだか』
――軍隊の不備を認識しながら、何ひとつ有効な対応策を取ろうとしなかった。
(ちゃんとした軍隊のなかったチベットやウィグルが、どんな目にあったのか。竹島がなぜ韓国に奪われたのか、僕は知っていたはずなのに)
天秤は常に揺れている。
すべてを載せることも、すべてを救うこともできない。
選択は繰り返され、クロードが作ろうとした農園と、守れなかった領民の命、財産が失われた。
『クロード君の馬鹿ぁあああっ』
去っていったソフィの後ろ姿を思い出す。
どうして彼女が怒ったのか、どうしてレアが珍しく毒舌じみた忠言を行ったのか、どうしてイスカに呆れられたのか、クロードはようやくその一端を理解した。
(僕は、背負いきれない重荷から、死ぬことで逃げようとしているのか)
もし部長や会計がこの場にいたら、問答無用で鉄拳が飛んでくるだろう。
だが、もはや賽は投げられたのだ。今は、為すべきことを果たすだけだ。
手当を終えたクロードは立ち上がり、レアに向かって右手を差し出した。
「レア。日本刀を……、ソフィの薙刀に似た、片手剣は用意できるか?」
「はい。検索します。鋳造――“ハッチョウネンブツダンゴザシ”」
クロードの掌中に、白木の柄と鞘に包まれた、ひとふりの日本刀が現れた。
抜いてみると、刀身はずいぶんと年季が入ったこしらえで、背面にあたる峰の部分は焼け焦げてしまっていたが、振り回す分には問題なさそうだ。
「重ねて、鋳造――“ハチリョウ”」
続いて、クロードの外套がいずこかへ消えて、黒糸で革製の短冊を幾重にも繋ぎ合わせ、正面の胸板や肩を守る大袖に、八柱の龍が描かれた日本式甲冑を身につけていた。
おそらくは平安時代後期の大鎧だろうが、魔法による筋力増幅のおかげか、不思議と重量は感じられず、動作にも支障なかった。
(漢字で読み替えると、八丁念仏団子刺しに、八龍の鎧か。レアには悪いけど、コスプレみたいな名前と格好だな)
戦国時代、傭兵で鳴らした雑賀衆の侍が僧兵を切りつけたところ、八丁歩いて両断、絶命したという伝説をもつ刀に、悪源太こと源義平が着用したことで知られる名鎧である。
由来を知る演劇部員がもし居たら、「だったらちょうだい。今すぐちょうだい」とはりたおされること請け合いな台詞を内心で呟きながら、クロードは倉庫を歩き、青銅製の扉を開け放った。
「辺境伯、クローディアス・レーベンヒェルムだ。暴徒ども、今すぐ武器を捨てて降伏しろ!」
領民たちと作り上げた農園は、踏みしだかれ、焼き払われて、見る影もなかった。
クロードは胸を焼く激情を懸命に呑み込んで、周囲を警戒した。
赤い導家士による包囲人数は、およそ五百人以上。
マラヤディヴァ人もいるようだったが、大半は、共和国を含む外国人のようだ。
(こいつら、いったいどこから? そうか、十竜港から上陸したのか)
領土防衛上、最大の港が、同盟国ですらない海外勢力に抑えられているというのは、やはり危険過ぎた。
「久しぶりだな、辺境伯様。ダヴィッド・リードホルムだ。覚えているかい?」
テロリストの中から進み出てきたのは、トウモロコシ色の髪をコーンロウスタイルにまとめ、赤いダボダボのパーカーに似たチュニックとタイツズボンを着た、緑色の瞳の青年だった。
髪型はもちろん、服装の趣味までまったく違うが、彼の顔にはどこか見覚えがあった。
「ボリス・リードホルムの息子。アンセルの兄か!?」
「ひょうっ。そうとも、こいつは嬉しいねぇ」
首肯するダヴィッドを前に、クロードは動けなくなった。
そうだ。ファヴニルは襲撃の日に言っていたではないか。
『ボリス・リードホルム? ああ、あの口うるさい出納長か。代々の名士だかなんだか知らないけど、税金下げろ、無駄遣いやめろって、うざかったやつだ。そういえば、二人息子がいるとか言ってたね』
クロードは、テロリストによる騒乱を、ファヴニルが引き起こしたものだと思い込んでいた。
しかし、そうではなく、ファヴニルと先代のクローディアスに、父親を殺されたことによる反逆だとすれば、無関係の領民たちを巻き込んだやり方はともかく、ダヴィッドの動機自体はまっとうなものとなる。
「この蜂起は、父を殺した僕への復讐か!?」
戦慄するクロードに対し、ダヴィッドは微笑さえ浮かべて首を横に振った。
「まさか。あんな古くせえカビ野郎、死んでせいせいしたぜ」
予想外の返答に、クロードは困惑した。
どんな家庭事情があったにせよ、血をわけた実の父が殺されて、その言い分はないだろう?
「イオーシフ・ヴォローニン支部長からの親書だ。読んでくれよ」
混乱したクロードは、ダヴィッドに押し付けられた封書を拒否することもできず、受け取って目を通した。
水増し論文もかくや、といわんばかりの無駄に長くて薄っぺらな内容だったが、要約すると、『“赤い導家士”を中心とする、統一革命地方評議会なる機関を設立し、あやつり人形となれ』というものだった。
(こいつらの目的は、レーベンヒェルム領を制圧して根拠地にすることか)
その後、マラヤディヴァ全土の制圧を図るか、あるいは分離独立を図るかわからないが、無視できない戦力が送り込まれていることは確かだろう。
この情報は、おそらく首都繁華街で捕縛したテロリスト達を尋問することで、必ずやオクセンシュルナ議員をはじめ、マラヤディヴァ国中枢も知ることに違いない。
(ならば、たとえ僕が死んでも、マラヤディヴァ国の国軍が動き出す!)
クロードは、深く息を吸って、ダヴィッドの顔を正面から見据えた。
「ダヴィッド・リードホルム。知っているか? お前達が戦っていた少年と少女は、お前の弟の友人だぞ」
「ひょうっ。革命とは、闘争により勝ち取るものだ。我ら赤い導家士は、日和見主義や修正主義と決別し、正義のためには親兄弟、友人さえなげうつ覚悟がある」
「暴力革命か……」
『共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する』
会計先輩に散々読ませられたから、クロードは、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる共産党宣言の一文を、そらんじることさえできた。
だから、ダヴィッド達、赤い導家士が、そういう手合いであると、クロードは認識した。
「暴力だって? 違う、正義の執行さ。ま、オレもブリギッタの体は一度味わってみたかったから、死んじまうと残念だ。同志を増やす為に役立つだろうし、あの女、まだ生きてたか?」
「ああ、生きている。そして、もうお前たちが会うことはない。あいつらは僕が守る!」
クロードの返答に、ダヴィッドはヤニで黄色く染まった歯を、むき出しにして笑った。
「交渉は決裂かい?」
クロードもまた、三白眼を細めて唇を歪めた。
この世界で、地球史におけるハーグ事件や、ダッカ日航機ハイジャック事件の轍を踏むつもりはない。
「交渉だと? テロリストに譲歩はしない。どこの国が裏で糸を引いているか知らないが、お前たちは薄汚い犯罪者と侵略者だ。――拘束する!」
クロードが右手を大きく振るうや、紫色の閃光がほとばしり、宙空から鋼鉄の鎖が豪雨のように降り注いだ。
「悪いなァ。辺境伯様、その手品は対策済みだっ!」
ダヴィッドが赤く澱んだ光を放つ手斧を掲げ、他にも四人のテロリストが一斉に、同じような光を放つ細剣、薙刀、棍棒、盾を掲げた。
赤い光を浴びると、降り注ぐ鎖は、砂のように崩れ、塵となって消え失せた。
(ファヴニルっ。僕が振るう魔力を、制限しているのか!?)
テロリストたちは一斉にどよめいて歓声をあげ、立ちすくむクロードを笑い始めた。
「どうしたァ。ボクチャンひとりじゃなんにもできないのぉ?」
「ギャハハッ。悪徳貴族も、契約神器を使えなきゃあ、ただの能無しってわけだっ」
「ははははっ」
そして、赤い導家士たちの嘲笑の中で、クロードも静かに笑っていた。
「いや、十分だ。想定条件より、遥かにイージーだ」
なにせ、まったく神器の力を使えない、という状況を想定していたのだ。
おそらくは一万分のいち、第六位級まで減衰しようと、今のクロードには余りある力だ。
(五百人、全員を倒す必要はない。ダヴィッドを含めて五人倒せば、全員拘束できる。ファヴニルを相手に戦うことに比べれば、難易度ベリーイージーだっ)
クロードは、白木柄の日本刀、八丁念仏団子刺しの鞘を捨てて右手で持ち、左手で魔術文字を綴った。
(集中しろ。雨だれは、石さえ穿つ)
生み出した雷の飛礫は、都合100以上。
その全てを、クロードは契約神器の盾を持つテロリスト相手に、寸分たがわず同じ箇所に撃ち込んだ。
飛礫、一発の威力は弱くとも、精密な連続射撃によって金に縁どられた豪奢な盾は貫かれ、盟約者は感電したショックで失神した。
「ひょうっ。剣に惑わされるな。相手は魔法使いだ。つっこめ!」
「もやし野郎。力の差をみせつけてやるぜっ」
ダヴィッドに煽られて、契約神器の棍棒を大上段に振りかぶったテロリストが、突進してくる。
「メンタル豆腐先輩直伝……」
ここで必殺技でも使えれば映えるのだろうが、あいにくとクロードはそんなもの知らない。
祖父の家が元道場だった、という二年の先輩に「カッコイイ技を教えてくれ」と頼んだら、教えられたのは構えだった。
(たしか、車の構えのアレンジだとか言っていたっけ)
舞台の殺陣で、これでカッコもつくだろうと言われて首をかしげたが、今となっては逆にありがたい。
いきなりの実戦で、教えられた技をちゃんと使う自信なんて、クロードにはなかった。
(刀を右脇に引いて左肘を伸ばした脇構え、左足は引いて右足と一列にした足運びを心がける)
神器によって、腕力や脚力が増幅されているのだろう。
テロリストが接近して、棍棒を振り下ろす速度は、尋常でなく速かった。
だが、クロードにとって、敵の一撃は、演劇部の先輩はもとよりブリギッタと比べるのも馬鹿馬鹿しい、ハエが止まるようなのんびりしたスローモーションに見えた。
(相手の攻撃に合わせ、前に出した右足に重点を置いて左足を伸ばし、斬り込む!)
「死ねえっ、……お、おげのうぎゃああああ」
「あと、さんにんっ」
クロードは交差した瞬間、棍棒で殴りかかってきた暴徒の腕を、刀で正確に切り落とした。
彼自身もまた、反応速度、膂力とも、相当に底上げされている。また遺跡で積んだ戦闘経験とソフィの指導のおかげか、魔力も十全にコントロールできていた。
「馬鹿め。後ろがガラ空きだぁっ」
大集団に隠れるように忍び寄っていたテロリストが、クロードの背後から契約神器の細剣で突き込んできた。
「させません!」
しかし、直前に倉庫の中から飛び出してきた、青い髪と緋色の瞳もつメイド服の少女、レアがはたきを投げつけ、顔面に直撃したテロリストはたたらを踏んでしまう。
「な、なんで、はたきが加護を破って? ぎゃああああっ!」
「レア、助かる!」
振り向きざまに、クロードは返す刀を一閃、テロリストの両腕を切断する。
「これで、盟約者はあとふたり。命が惜しいものは退けぇええっ」
数を頼みに襲い来るテロリストたちを、斬る、斬る、斬りまくる。
クロードは、できるだけ腕と肢を狙ったが、命を奪うことになるかもしれない。
(覚悟は決めた。今の僕は、レーベンヒェルム辺境伯領の領主、クローディアス・レーベンヒェルムだ!)
血煙に恐怖したのか、赤いバンダナを巻いたテロリスト達が割れて、契約神器の薙刀を持つ盟約者への道が拓けた。
機を逃さず、クロードは突撃する。一瞬だけ目を合わせると、レアは頷いて、倉庫入口を守るべく残ってくれた。
「ダヴィッドっ、話が違う! こいつ強いぞ」
薙刀使いの叫びに、クロードは失笑する。
自分が強いだと? そんなわけがない。
「なあ、お前たち、スライムやゴブリンと戦った経験はあるか?」
「ね、ねぇよ。あんなよわっちいモンスター、戦うまでもない」
ああ、そうか、と、クロードは得心した。
妙に弱いと思ったのだ。こいつらは、人数や武器を頼みに暴れまわるだけで、命の危機に瀕したことも、実戦の経験もろくにないのだろう。
「残念だ。お前たちは知らないだろうが、スライムは僕よりずっと強いぞ」
「ふざけんな。そんなわけあるか」
「わからないのか? 僕が強いんじゃない。僕を支えてくれる皆が強いんだ」
もしも、エリックやブリギッタ達がいなければ、農園の領民は全滅していただろう。
もしも、アンセルやヨアヒム達がいなければ、暫定役所はとうに陥落していただろう。
もしも、ソフィがいなければ、クロードは魔法も使えずに自暴自棄になっていたに違いない。
そして、レア。ずっと傍で支えてくれた、彼女の献身あればこそ、クロードはここまで生きてこれた。
力はファヴニルからの借り物で、構えは男装先輩から教わったもの。
でも、そういうものなのだ。個人でできることなんてたかが知れている。
だから、ひとは寄り添い、家族や友人となり、部活やサークル、企業をつくるのだ。
個人は集うことで集団となり、集団は地域を構成し、地域がまとまることで国となる。
それを、――社会と呼ぶのだろう。
「ひとはひととの繋がりで生きている。それもわからず、壊し、傷つけるだけのお前達に、この領を好きにはさせない!」
「ちくしょう。死ねっ。あぎいいやぁああっ」
「あとひとりっ」
でたらめに振り回される薙刀を容易くかいくぐり、クロードは血刃をもって強制的に武装解除させた。
「ま、また、やられたぞ!?」
「どうなってんだっ。辺境伯は契約神器を使えないって話は嘘だったのか!?」
赤いバンダナを巻いたテロリスト達は、恐慌状態に陥っていた。
彼らはちゃんとした軍事教練を受けたわけではなく、社会人としての責務を果たしてきたわけでもない。
ただ猶予期間に溺れ、身勝手な正義感に酔い、より大きな集団の意思によって使い潰される端末に過ぎなかった。
集団や一方的な戦力差で無抵抗の相手を嬲ることはできても、自分が傷つき、死の恐怖に怯えることは真っ平御免だったのだ。
「距離をとるな。いっきにおしこめ」
「嫌だ。あの片刃の剣、切れ味良すぎるんだよっ」
テロリスト達による包囲はじりじりと後退し、遠巻きに弩を射たり、投擲物で牽制するだけ。
それは、クロードにとって待ち望んでいた展開だった。
矢よけの魔術で守られたクロードに、なんの変哲もない矢や石が届くことはない。
文字を綴り、炎や雷の飛礫を一斉に放って、テロリスト達の手や足を撃ち、無力化する。
たまらずダヴィッドは、契約神器の手斧を携えて、斬り込んできた。
「ちぃいいっ」
「ダヴィッドぉっ」
刀と手斧が交錯して火花が散り、魔力の渦が衝撃となって爆ぜる。
クロードは、乱れた足運びを整えながら、袈裟懸け、横薙ぎ、突きと繰り出すも、ダヴィッドは器用に受け流して、頭や胴を狙って手斧で殴りかかってくる。
「辺境伯様っ。アンタ、クローディアス・レーベンヒェルムじゃないなっ!」
「だったら、何者だというんだっ?」
「知るか。オレの知る糞ボンボンが、こうも戦えるわけがないっ。なのに、なぜオレ達に敵対する?」
コーンロウにまとめたトウモロコシ色の髪を振り乱し、刃を交えるダヴィッドの問いかけが、クロードには理解できない。
「エリックを、ブリギッタを、領民たちをお前は傷つけた。敵対しない理由がないだろうっ!」
「ひょうっ。そんなもの、正義の前では些細な犠牲だっ」
「些細な犠牲だとっ!」
力みすぎたクロードの切り下ろしは避けられて、ダヴィッドが踏み込みながら斧を突き立ててくる。
クロードが着込んだ鎧、横腹をまもる脇盾と篭手の一部が破損するも、無理やりに切り上げた二ノ太刀が、ダヴィッドの左腕をかすめた。
「そうだ。歴史は、新しいものが古いものを駆逐することで進んできた。新しい技術は、価値観は、それだけで尊い、正義なんだよっ」
「寝言だなっ」
ダヴィッドの斬撃がクロードの兜を一部砕き、すれ違いざまに放ったクロードの魔術の炎がダヴィッドの左肩を焼き焦がす。
「ぐぉっ。お、オレ達は世界を変えるんだ。そのために、古い世界は壊さなきゃ、そんなものにすがる古い人間は殺さなきゃ駄目なんだよぉっ」
「馬鹿ここに極まれりだ。新しい技術? 新しい価値観? それは、過去から連綿と続いてきた積み重ねの先端に過ぎない」
「違うっ。オレたちは、国境を壊し、国家を壊し、身分を壊し、社会を壊し、世界をひとつの家にする。それこそが革命っ、それこそが正義っ。過去とは違うまったく新しい特別な存在なんだ!」
「そう思い込んだバカは歴史上ごまんといる。過去という土壌に芽生えた新しい苗木は、成長して華を咲かせ、種を残し、次代に更なる新しい芽を生み出すだろう。芽吹かなかった苗木、枯れ果てたアダ花は土に戻り、新たな苗を育む大地の一部となる。お前たちはさしずめ、そのアダ花だ。特別だと思い込んだまま、失敗という教訓を残して大地に還れっ!」
「ふざけるなあっ。オレ達は正義なんだっ」
クロードが突きを放つも、隙の多すぎた一撃を避けて、ダヴィッドは右手で手斧を振りかぶった。
鎧をまとったクロードと違い、軽装だったダヴィッドの左手は、先ほど受けた炎のせいでもう満足に動かない。
だが、手斧は片手でも振るえるのだ。ダヴィッドは、この一撃でもって、クロードを殺し、決着がつくはずだった。
「ひょうっ!?」
しかし、右手の刀を捨てて、クロードの左手が伸び、ダヴィッドがかざす手斧の刃頭を掴んでいた。
「読み通り。こいつが、邪竜の爪牙だっ」
空間破砕の力をもって、クロードは第六位級契約神器、ルーンハチェットを握りつぶした。
「お、オレの神器がっ、選ばれた力がぁあああっ!?」
「拘束すっ、……ファヴニルっ!?」
間髪入れず、宙空から鋼鉄の鎖を引き出そうとして、クロードはごっそりと力が抜けるのを感じた。
疲労が逆流するように肉体を満たして、大鎧を着た今、立っていることすらままならなくなった。
(ファヴニルめ、更に魔力を絞ったのか)
「ちくしょおっ。ちくしょおおおっ」
手斧の柄に残った魔力が強化した、ダヴィッドの怪力には抗えず、クロードは力任せの打撃をまともに受けて吹き飛んだ。
(わかっていたことだ。僕は弱い。借り物のチカラで、ここまでやれたなら十分だ。ニーダル・ゲレーゲンハイト、どうかファヴニルを討ってくれ)
鎧の正面と横部にあたる、胸板と脇板が無残に砕け、半壊した兜もずりおちた。
まっさきに目に入ったのは、テロリスト達をふりほどいて駆け寄ってきた、レアの自分を案じる表情だった。
「領主様。傷は浅いです。どうかお気をしっかり」
「レア、すまない。ひとりでも、ここから逃げ」
パチン、と、小さな音が響いた。
「え?」
クロードはけが人だというのに、レアに頬をぶたれていた。
「ほんとうに、領主様は、まだまだ、駄目駄目のすっとこどっこいなんですから……」
もう立つことも叶わないクロードを、全身で庇うように、レアは小さな身体で抱きしめていた。
「ば、馬鹿。早く逃げろ。レアまで死ぬことはないっ」
「いいえ、領主様は私が守ります。それに、援軍が来ました。もう負けません」
そういえば、殺到するはずのテロリスト達の攻撃が止まっていた。
それどころか、どよめいて、四方八方へと逃げ出そうとする始末だ。
「領主様を助け出せ!」
農園で働いていた領民達や、ヴァン神殿の神官たち。
「テロリストめ、おれたちの国から出て行けっ」
怒りの叫びをあげる町民たち。
「エリック! 生きてるかぁ」
依頼によって関わった冒険者。
「ブリギッタお嬢様を救出しろ!」
カーン家の私兵を中心とする、マラヤディヴァ帰化人の一部。
彼ら、それぞれの動機や事情は異なるし、思惑や利害関係も違う。
しかし、故郷をテロリスト達から守らんとする、共通の大目的をもった人々が、手に手に武器をもって立ち上がったのだ。
天秤は常に揺れている。
すべてを載せることも、すべてを救うこともできない。
選択は繰り返され、クロードがあゆみ続けた果てが、いまここに結ばれた。
「レア。僕は弱い。けど、レーベンヒェルムのみんなは、強いんだな」
「貴方の領民ですから」
復興暦一一〇九年/共和国暦一〇〇三年 晩樹の月(十二月)八日。夕刻。
マラヤディヴァ国首都クランだけでなく、領都レーフォンを巻き込んだ一大騒乱は、終結へと向かおうとしていた。
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