第210話 悪徳貴族の逆落とし
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 涼風の月(九月)一八日午後。
オトライド渓谷関所を巡るユーツ領解放軍と緋色革命軍の緒戦は、アンドルー・チョーカーが親衛隊を撃ち破ったことで、解放軍が優勢に立った。
しかし、緋色革命軍参謀”女男爵”マルグリット・シェルクヴィストが、第六位級契約神器ルーンブレスレット”月想”の力を解放したことで情勢は一変する。
マルグリットは”重さ”を自在に操り、チョーカー隊の動きを鈍化することで突進をいなしつつ、砲弾ほどに破壊力を増した関所守備隊の銃撃で追い払ったのだ。
緋色革命軍はじりじりと戦線を押し上げ、ユーツ領解放軍は対抗するすべもなく圧殺されようとしていた。
「……という風に見せかけるのが作戦っす。この渓谷は狭くて火力を集中させやすい。もし正面突破を挑んだならば、死傷者続出です。オレたちは敵主力を関所から釣りださなきゃいけない」
ヨアヒムは、解放軍陣地に集まった幹部の前でそう告げた。
彼の提案に、ローズマリー・ユーツ侯爵令嬢は大きく頷き、ヴィルマル・ユーホルト伯爵は目を瞑った。そして、アンドルー・チョーカーは地団太を踏んだ。
「ぐぬぬ。小生の晴れ舞台のはずが、こんなことになるとは。レ式魔銃は五〇丁あるのだろう。敵に勝る射程を活かして削るというのはどうだ?」
「シェルクヴィスト卿の神器能力が”重さ”じゃなければ、いけたんすけどね。ハエ叩きのように叩きおとされて終わりっしょ。転移魔法頼みの補給で弾丸も少ないんす。奪ったマスケット銃の弾を加工できなくもないすが、今回は無理っす」
「わかった。参謀長の指示に従う。次だ。次こそは大活躍して小生の名を轟かせてくれるわ」
もうっとくに、敵味方から”マラヤディヴァいち非常識な男”と、怖れられているじゃないか。
ヨアヒムとローズマリーはそう目配せをし合ったが、チョーカーは気付かずに前線指揮に戻った。
「もうすぐ時間ね。辺境伯様はちゃんとやってくれるかしら」
「オレっちの尊敬する主君すよ。ローズマリー様、大船に乗ったつもりでいてくだい」
ヨアヒムのローズマリー様という呼び掛けに、侯爵令嬢は寂しそうに口元を引き締め、彼女の縁戚たる伯爵は複雑な表情を浮かべた。
そして、同時刻――。
オトライド渓谷関所では、マルグリットが全長三mの青銅兵士像を二体起動させて、後方の守りにつかせていた。
「参謀! 攻め方が消極的に過ぎます。どうしてゴーレムを遊ばせておくのですか。我が軍は優勢です。いま攻撃に用いれば、あのように小さな陣地など容易く破壊できるものを」
「いいえ、守備隊長。わたしたちの優位は、敵軍によって謀られたもの。我々を関所から引き離した上で、別働隊を突入させるのが本命でしょう」
マルグリットの眼鏡が日差しをあびて、キラリと輝く。
中年の守備隊長は気圧されたものの、彼女の推測が机上の空論にしか聞こえず、勝利の機会を逃してはならぬとばかりに食い下がった。
「敵の主力は騎馬隊です。ここは渓谷で北も南も山に挟まれている。別働隊など、いったいどこから来るというのです?」
「騎馬隊だからこそ、下馬することだって出来ます。徒歩で山を登り、無防備な敵後方を突く。ラーシュ君ならきっとそう考えるはず」
「ラーシュ・ルンドクヴィスト男爵。イーサク様の遺児、ですか」
「だから、わたしたちは彼らの策を逆手にとります。主力は漸進しつつ、後方はゴーレムと私たちが抑える。こうすれば別働隊を捕らえ、本隊に降伏を呼び掛けることだって叶うでしょう」
マルグリットは、その英明な知性から解放軍の作戦を半ば以上読んでいた。しかし――!
「参謀っ、大変です。敵部隊が、”騎馬で”北の崖を駆け下ってきます」
「なんですって!?」
ここで、クロードたちは彼女の想定を上回った。
ユーツ領解放軍は、別働隊にありったけの強化魔術をかけて山上へと登り、真っ逆さまに落下するかの如き勢いで崖から駆け降りたのだ。
先頭に立つのは黒い大虎に変化したアリスと、彼女の背に乗ったクロードだ。
「全員覚悟を決めろ。これより逆落としを開始する」
「セイ様の地獄の訓練に比べれば、この程度どうということはない!」
マルグリットが読めなかったのも無理はない。
一ノ谷でこんな無茶をやらかしたのは、日本史でも五指に入るだろう軍事指揮官、源義経と死をも恐れぬ坂東武者たちである。
加えるなら、義経ならやりかねないが、それでも創作の疑いありというハチャメチャな作戦だ。
当然、クロードは決行にあたって切り札を用意していた。
「オレのマル姉への愛が皆を照らします。術式――”日慕”――起動!」
ラーシュの掲げた儀礼剣が金色の光を発し、ミーナが革袋から広げた酒霧を輝かせる。
騎馬隊は、まるで羽が生えたかのような足取りで険峻な坂を下り、軽やかに川原へと着地した。
「ラーシュ君の神器能力は、マルグリットさんの逆だ。味方は”軽く”速度を増して、敵の攻撃や衝撃は”軽く”弱くなる。でも、これって飲酒運転じゃないかな?」
「たぬはぁ、くろおどをおんぶしてるだけたぬっ。ひっく。いい気持ちたぬう」
「って、酔ってるう!?」
クロードが愕然としている間にもアリスは千鳥足で疾走して、関所は眼前に迫った。
川原の石を跳ね飛ばしながら走る二人の前に、巨大な青銅兵士像が鉄条網を広げて立ちはだかる。
「見破られていたか。でもっ」
「ひっく。みんな見るたぬ。たぬとくろおどのぉ、らぶらぶあたぁーっく!」
人騎一体とはこの事か。
クロードが打刀で一体のゴーレムの膝を斬り伏せるや、アリスは崩れ落ちる兵士像を駈けあがって首を後ろ足で蹴り落とした。
「おおーっ。さすがは」
「そんな、あり得ないっ」
二人は、両軍の感嘆と悲鳴を浴びながらもう一体に向かって跳躍する。
マルグリットの支援を受けたゴーレムは力強く、鉄条網を投げつけながら、巨体を活かした打ちおろしを叩きつけた。
されど、クロードとアリスもまたラーシュの祈りを背負っている。
アリスは軽やかに鉄条網を避けるや、爪でゴーレムの両腕をズタズタに斬り裂きつつ肩口に着地、クロードが脇差しで額に魔術文字を刻み込んだ。
「熱止剣っ」
「二人の愛はさいきょうたぬっ」
地に舞い降りたクロードとアリスの背後で、一体のゴーレムが首と足を失って崩れ落ち、もう一体は全身から炎をあげて塵と化す。
「マスケット隊、撃って!」
「雷切よっ」
クロードは雷のカーテンを展開、マルグリットが命じた銃撃を焼き払う。
もしもラーシュが居なければ叶わなかっただろう。
けれど、ルーンブレスレット”月想”と、ルーンソード”日慕”は、二人の愛情の深さゆえに互角だ。
ここにマルグリットの備えは潰え、勝敗は決した。
もはやユーツ領解放軍の挟撃を阻むすべはない。
「銃火は僕とラーシュ君が防ぐ。このまま関所を落とすぞ」
「あれが、クローディアス・レーベンヒェルム」
マルグリットは、戦場でがっくりと膝をついた。
彼女が、初めて見た悪徳貴族は強すぎた。
緋色革命軍のトップたる覇者、”一の同志”ダヴィッド・リードホルムすらかすむほどに。
「マル姉! オレだ。ここにいるぞ。今、そっちへ行く」
いまや乱戦となった眼前で、懐かしく愛おしい栗色の髪の少年が戦っている。
「ラーシュくん……」
マルグリットは思わず婚約者に手を伸ばそうとして、関所守備隊長によって俵抱きに抱えられた。
「守備隊長、何をするの?」
「お逃げください、参謀。貴女は、あの悪徳貴族の毒牙にかけるには惜しい」
マルグリットは、恐怖に体を震わせた。
ユーツ領を含む緋色革命軍の占領地では、クローディアス・レーベンヒェルムの悪行が、無いこと無いこと山のように盛られて喧伝されていたからだ。
「でも、誰かが責任を取らなければ。そう、まだ戦ってる同胞を逃がさなきゃ……」
「それは、守備隊長たる俺の役目です」
「待って。私も――」
「御免っ」
守備隊長はマルグリットを当て身で気絶させると、関所に停めてあった船に押し込めて、下流にある港町ツェアへと逃がした。
「おう。てめえら、ここが命の賭けどころよ。俺たちによくしてくれた女男爵の為に踏ん張るぞ」
「おおーっ」
マルグリットは、狂気に陥った緋色革命軍の中では、数少ない良識派として部下たちに慕われていた。
ゆえに、関所に篭る守備隊は、彼女を逃す時間を稼ぐために死兵となった。
「くっ。参謀は、マルグリット・シェルクヴィストはどこだ?」
「クローディアス・レーベンヒェルム。悪徳貴族よ、彼女を凌辱しようなんざ、百年早い。どうしてもって望むなら、俺たちの屍を乗り越えて行けや」
「ひっく。ふんぬ。アイツ、なにでたらめ言ってるたぬ? ぶっ飛ばすたぬ」
「あ、あぁ――ッ。駄目だ、アリス。できるだけ殺すな」
クロードはアリスの背上で頭を抱えつつも、怒って暴れようとする彼女をなだめた。
「た、たぬーっ!?」
「ラーシュ君、僕のせいだ。すまん」
「いいえ、悪いのは偽りを吹き込む緋色革命軍です。それに彼らもまたオレたちの同胞。辺境伯様、迷惑をかけてすみません」
この後、クロードとヨアヒムは命令を変更、ユーツ領解放軍は関所守備隊の大半を生け捕りにして、太陽が沈む前にオトライド渓谷関所を陥落させた。
しかし、彼らが目指したラーシュとマルグリットの再会は叶わなかった。
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