第201話 悪徳貴族と反攻の烽火《のろし》
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年。
年明けから夏にかけて、クロードたち大同盟とダヴィッドが率いる緋色革命軍の戦線は、膠着化していた。
大同盟はマラヤ半島に唯一残った拠点である港町ビズヒルを要塞化し、塹壕を幾重にも渡って掘り進めながら、緋色革命軍の本拠地である元エングホルム領領都エンガを目指した。
一方、緋色革命軍もまたエンガ防衛の要であるエングフレート城塞から商業都市ティノーにかけて厳重な防衛体制を構築、険しい地形を利用した砦群をハリネズミのように連ねていた。
双方の軍も黙って見ていたわけではなく、互いに幾度かの突破作戦が試みられたのだが、すべて失敗に終わった。
この頃、クロードたち大同盟は疲弊した軍の再編とヴォルノー島の統治回復で手一杯であり、緋色革命軍もまたマラヤ半島を統一すべく軍を北上させていたため、主力を欠いていたのである。
その結果――防御側の圧倒的な優勢が確立し、攻撃側はにっちもさっちもいかない袋小路に陥った。
「棟梁殿。すまぬが、あれは無理だ。船で迂回して北から攻めよう」
「一の同志よ。あの厳重な防衛を破壊しても、手に入る土地は寒村ひとつ。やっとれん、まるで収支があわんぞ。艦隊で領都レーフォンを落とした方がまだマシじゃ」
ついには司令官二人も匙を投げて、マラヤディヴァ国を巡る内戦は、陸戦から海戦へと舞台を移した。
ゴルト・トイフェルは司令官に復帰するや、占領下で散逸状態にあった旧マラヤディヴァ国海軍を取りまとめ、ルクレ領海軍の名将ヨハンネス・カルネウスを登用して提督に任じた。
ゴルトの怜悧な智謀とヨハンネスの豪快な統率、何よりもダヴィッド・リードホルムへの恐怖で躾けられた緋色革命軍艦隊は、グェンロック領沖海戦で大同盟艦隊に完勝する。
しかし、窮地に陥った大同盟側も、老将ロロン提督が乗る旗艦”龍王丸”を中心に艦隊を連携させ、防衛に徹して緋色革命軍の侵攻を水際で阻止した。
ロロンとヨハンネス、過去には海賊と官軍として火花を散らした両提督の軍事手腕は伯仲していた。大同盟と緋色革命軍は、互いに決定的な打撃を与えることが叶わぬまま時間が流れた。
「何か、何かきっかけを作らなきゃ……」
「ふん。つまらないことだ。我が力は無敵にして至高! クローディアス・レーベンヒェルムを血祭りにあげる趣向をこらすだけのことよ」
突破口を求めて同盟領を走り回るクロードと、戦地で敵兵を惨殺しながら弄ぶダヴィッド。
対照的なトップの姿勢と同様に、統治下の都市群も真逆であった。
大同盟の町が穏やかな日々を過ごしたのに対して、緋色革命軍が占領した町では粛清と虐殺の嵐が吹き荒れていたからだ。
☆
レーベンヒェルム領とヴォルノー島を湧かせた豊穣祭から、およそ一ヶ月が経った涼風の月(九月)一五日。
ユーツ領の辺境にある高山都市アクリアで、反逆者の公開処刑という血生臭い祭りが執り行われようとしていた。
ユーツ領は、エングホルム領の北部、東のグェンロック領と西のユングヴィ領に挟まれた内陸部に位置している。南国であるマラヤディヴァ国では珍しく、領地の大半が霧深く涼しい高地にあった。
高山都市アクリアもまた例に漏れず、キャベツやトマトといった高原野菜や、マーヤが広めたとされる蕎麦を特産とする静かな町だった。
しかし、緋色革命軍に占領されてから、街の平穏は失われた。
「これより公開処刑を開始する。罪人どもは所定の位置まで歩け。お前たちが今背負っているものは、犯した罪の重さであると知るがいい」
目が血走った代官の命令で、鞭打たれた傷も生々しい半裸の老若男女が四人、両腕と背中に縛りつけられた重い板を背負い、衆人環視の中で広場へ向かう街道を連行されていた。見せしめである。
「お前たちは、緋色革命軍の完全なる正義、公正、普遍を汚した。これは報いである」
代官は飢えたカラスのように目をぎょろつかせ、酔っ払ったように犯罪者たちの罪状を喚きたててた。
だが、兵に脅されて処刑を見守る町人たちは知っている。今日、処刑される全員の罪状が、冤罪か、いいがかりに過ぎないことを。
「この者、不正な手段で蓄財した資本主義の走狗。この者、奉仕活動中に反政府運動をそそのかした分離主義者。この者、風紀を乱した売春婦。この者、幼いながら貴重な薬を独占しようとした悪党。革命裁判所はいかなる犯罪も見逃さない」
ある資産家の老人は緋色革命軍の軍人に一方的に殴られて、囚われた。ある若者は、強制労働で倒れた友人を庇って反逆者と見なされた。
ある婦人は代官に言いよられて拒んだが為に虜囚の身となり、ある少女は病床にあった母親のため薬の配給をいつも以上に願ったことを反革命的であると牢に入れられた。
裁判もまた悪質だった。サインすらされていない出所不明の怪文書や、誰が書いたのかもわからないメモ書き、雇われた詐欺師やペテン師によるつじつまの合わない証言などが根拠とされ、容疑者の有罪が確定した。
緋色革命軍は、無実を訴える容疑者に『もしも冤罪であるならば、自分が〝無実ではなく有罪である〟という証拠を出せ』という、狂った理論を押し通して死罪を申し渡したのである。
重ねて言おう。『自分が〝無実ではなく有罪である〟という証拠を出せ』だ。彼らはもはや正気を失っていた。
「私は悲しい。しかし、貴族主義や資本主義に汚染された人間は、涙を飲んで処刑しなければならない。なぜならば、もっともこの世で最も重い、人道を犯した罪であるからだ」
そのように狂った外道の論理でも、代官たち緋色革命軍の中では正しかった。
彼らは自身を無垢なる民衆を導くエリートであると思い込んでおり、選良種たる彼らの機嫌を損ねたことこそ、この世でもっとも重い罪に他ならなかったからだ。
「おいジジイ、とっとと歩け。遅いんだよ」
「ザマァないなあ、クソ雑魚があ」
「ああ臭え。反革命の腐った性根が匂ってたまらねえ」
「ケッ。こんな年から悪行だなんて、恐ろしいガキだ」
真新しい灰色の軍服を着た親衛隊員たちは足を引く老人をあざ笑い、若者を殴りつけ、婦人に石を投げ、転んだ少女を足蹴にした。
町民たちは痛々しげに目を背けた。彼らには抗うすべはなく、ただ自身の身を守ろうと慄くばかりだった。
無実の囚人たちは、緋色革命軍の嘲笑を浴びながら広場まで辿りつき、T字型の処刑台に磔られた。
「偉大なる指導者、一の同志たるダヴィッド・リードホルムの慈悲の下、諸君たちに贖いの機会を与える! 改悛の言葉はあるか?」
代官の表情は歪んだ歓喜と狂信に満ちていて、命乞いを受け付ける気はなかった。
だから、死を前にした四人はせめてもの抵抗とばかりに、小さな声をあげた。
「なにが、なにが偉大なる指導者、一の同志だ。ダヴィッド・リードホルムなんて、ただの人殺しの独裁者じゃないか!」
「言論を弾圧し、表現の自由を踏みにじり、思想の統制をはかり、虚偽を正義とうそぶく。緋色革命軍とやら、お前たちはただの盗賊だ」
「いずれ神様の罰がくだるわ」
「いつか、いつかローズマリーさまがかえってきて、みんなをたすけてくれる」
代官は囚人たちの言葉にいた気分を害したのか、顔をかきみしりながら、歯をむき出しにして声を荒らげた。
「一の同志への不敬。完全なる正義にして公正、普遍たる我らへの侮辱。禁止された宗教への依存、忌むべき貴族主義者。貴様たちはもはや人間とは呼べん。よって魔獣のエサとする。見よ。先進たる我ら緋色革命軍は、キメラを作りだす技術さえも手に入れたのだ」
灰色服の軍人たちが荷馬車を開けると、ウジにもカエルにも似た白い肉塊が呻き声をあげながら地面に降り立った。
猛獣のように低い唸り声をあげる口は縦に裂けていて、血のように赤い液体がドロドロと滴り落ちている。
白い妖獣は全身から無数の触手がうにょうにょと飛び出し、味見でもするかのように四人の身体を舐めさすった。死を前に、絹を引き裂くような悲鳴があがる。
「さあ泣けわめけ。我らの正義に抗うものなど、どこにもいない!」
「ここにいるぞ」
「え?」
誰もが耳を疑った。
シンと静まり返った広場に、冴えない少年、否、青年が歩み出た。
黒目の小さな三白眼と陰気な横顔はいかにも頼りなく、ボロボロのローブをまとったシルエットは細くてまるでもやしのようだ。
青年は、ユーツ領で流通していた数打ちのサーベルを抜き身でもっていたものの、新兵だってもっと堂の入った構えを決めることだろう。
代官や灰色服の軍人たちは意味がわからないとばかりに失笑し、町人たちは呆然と青年の奇行に見入ってしまった。
ただ、白いウジにもカエルにも似た妖獣だけは理解した。
この人間が、とてつもなく恐ろしいものであることを。
ゆえにキメラは全身の触手を鞭のようにしならせて伸ばし、大口を開いて頭から危険物を喰らおうとした。
次の瞬間、赤い鮮血が迸る。
「ごめんな」
「ッ!?」
青年は剣を一閃、襲い来る触手を断ち切って、キメラの首を落とした。
「い、一の同志からの授かりものがぁああっ」
「生命の冒涜だ」
青年は足をとめずに広場の中央へと走り寄り、磔にされた老人の、若者の、婦人の、幼子の拘束を解いた。
「ば、ばかめ。まんまと誘い出されたな。この公開処刑は、反革命分子をあぶり出すための作戦だ」
「知ってるよ。たちの悪い竜が同じことをやっていたから」
青年は彼にとっては重く、他者にとってはピントの外れた返答で応じた。
「なんの御伽噺だ? そんなもの、完全なる正義にして公正、普遍たる世界には不要だ。我々、緋色革命軍は進化する。親衛隊が与えられた最新にして理性の鎧を見るがいい! 親衛隊、特殊武装を許可するッ」
代官が叫ぶと、灰色の軍服を着た男たちが一斉に灰色の仮面を被った。魔術文字が波うちながら軍服を覆い、メタリックな装甲に変化する。
顔は短い触角の生えたドクロのようなヘルメットで覆われ、節とくびれの目立つ造形はさながらアリのようだ。
「これこそ異界の技術を引き継ぎ、我らが完成させたパワードスーツ。使用者に常人の数倍のパワーとスピードを与え、銃弾をも弾く無敵の兵士だ。そのような古臭い剣でいったい何ができるというのだ?」
代官が勝ち誇ると同時に、青年はアリ兵士の腕と足をサーベルで貫き、瞬く間に斬り伏せた。
「は?」
青年は舞うように斬って、突いた。五〇人はいただろう親衛隊兵士たちを、自らには一撃すらかすらせることなく、ドミノ倒しのようになぎ倒した。
「……関節部が脆く、魔力付与にも弱い。これじゃ、悪魔くん二号の方がよっぽど強いじゃないか」
ウサギちゃん二号に変なあだ名をつけないでと、ある少女は抗議したが、青年に改める気はなかった。
暴走時のいかにもな格好と、火と見せかけて熱した水蒸気を噴き出す悪辣さは、悪魔と呼ぶに相応しい。
「貴様は、貴様はッ。よくもおお」
代官もまた親衛隊に引き続き、自らの姿を変じる。
角のように伸びた長い触角と、巨大な大顎がついた造形はカミキリムシに似ながらも、どこか当世具足を連想させる奇妙な美しさがあった。
「この鎧こそは、非業の死を遂げたドクター・ビースト様が残したオリジナルのひとつ。死んで償え!」
「か、カッコいい? やっぱり爺さんの方が、ショーコよりデザインセンスあるじゃないか」
好敵手の少女には聞かせられないツッコミを入れながら、青年は代官へと斬りかかった。
しかし、青年の腹部を狙い、代官の触角が槍のように伸びた。
不意をつかれた青年は、間一髪で受け流すもサーベルが砕けてしまう。
「ふははは。これで武器も無くなった。泣き叫びながら死ねぇええっ」
青年は思う。問題ない、と。
武器ならば、最初からこの手の中に――。
砕けた破片が、雷をまとった打刀と、炎を帯びた脇差へと変化する。
「鋳造――雷切! 火車切!」
青年の二刀流は、再び代官が放った触角の刺突を見事に受け止めた。
武器の衝突でボロのローブが千切れて、青年が着込んでいたレーベンヒェルム領の軍服が露わになる。
「鋳造魔術、雷と炎の魔剣に、怨敵の軍服。そうか、そうだったか。貴様は、悪徳貴族クローディアス・レーベンヒェルムかぁああっ」
「そうだ。僕は、クロード。正義に仇為す悪として、お前たちの正義を糺しにきた!」





