第194話 悪徳貴族と豊穣祭『同盟領展示』
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クロードたちは、特別製の梅干が引き起こした悲劇を知る由も無く、試作農園展示場を後にした。
二人が手を繋いで再び広場に出ると、不意にパンを配っている一団に遭遇した。
「環境開発部からのお土産です。鉄道記念のあんこ饅頭ですよ。これを食べなきゃ豊穣祭は始まらない。おひとつどうぞ!」
環境開発部は、レーベンヒェルム領の都市計画を策定する部署である。
領内の道路やトンネル、港湾に橋梁といった工事所管や、船舶と鉄道による水運と陸運、加えて観光振興も担当している。また今回の豊穣祭では、会場の設営管理を任されていた。
「あれは、スヴェンくんじゃないか。おーい、饅頭をひとつくれ」
「お兄さん、彼女とデートですか。羨ましいなあ、パンフレットもつけますね。アンケートには是非この饅頭を……あ」
スヴェンは朗らかに笑いながらクロードの顔を確認して、まるで肉体がブリキ人形にでもなったかのように、ぎこちない所作でお土産を手渡した。
「あ、ああわわ……」
「が、頑張って」
たとえるなら、新入社員が、会社社長と女性重役がお忍びデートをしている光景を目撃したようなものだろうか。彼の気持ちは、察するに余りある。
「スヴェンくんには、悪いことしたなあ」
クロードはいらぬ負担をかけてしまったことを反省しながら、包装の葉っぱを裂いた。鉄道記念饅頭は、どちらかというと中華まんに似たデザインだった。
「ふむ。先ほどの彼はルンダールの町長の子か。先月役所に入ったと聞くが、熱心でいい青年だな」
セイは、火竜という怪物災害討伐のため、ルンダールの町を訪れていた。そのため、スヴェンとも面識があったのだろう。
「いただきます」
「いただします」
クロードとセイは空いたベンチに並んで座り、饅頭をはんぶんこにして食べた。
ほくほくしたパン皮の触感と、もっちりとした芋あんこの甘さが、二人の口内を蕩かせる。
「いけるね」
「美味しい」
クロードとセイは寄りそって、しばらくの間、心地よい風と互いの体温を感じていた。
「……クロード殿。そう言えばレア殿もお土産を配っていたが、アンケートに何か関係があるのか?」
「ああ。セイは知らなかったんだっけ。ちょっとした遊戯だよ。一番お土産が好評だったチームには、豊穣祭利益の一割が賞金としてプレゼントされるんだ」
「それは、かなりの金額になるんじゃないか? ブリギッタ殿が本気になりそうだ」
「あいつが率いる外部交渉担当部は、夜のダンスパーティ主催なんだ。時間のハンデつきだから、そう派手なことにはならないと思うんだけど」
クロードとセイは、スヴェンからもらった小冊子を開いた。
パンフレットの中には、簡単なアンケートと一緒に、豊穣祭会場の展示コーナー見取り図とタイムスケジュールが書かれていた。
「えーと、まずアンセルの財務部が中心になったのが畜産展だろ。次にアリスが協力したのが教育福祉部の文化展で、ソフィとヨアヒムがいる契魔研究所が魔術道具展か。セイ、どこから回ろうか?」
「わ、私は畜産展で羊の毛刈りをやってみたい。でも、開始までまだ時間があるみたいだ」
セイがはにかみながらおずおずと主張したので、畜産展は後で回ることにする。
「そうなると、ここから近いのは教育福祉部か? 待てよ、アリスが案内したいから、オーニータウンから帰って来るまで待ってって言ってたな」
かつてはオーニータウンで爪弾きものだった守備隊も、トイフェル兄弟と山賊軍を退治したことで、今では押しも押されもせぬ英雄部隊と喝采を受けていた。
鉄道試運転はオーニータウンでも祝われていたから、きっと副長だったアリスもあちらでひっぱりだこにされていることだろう。
「クロード殿。契魔研究所も、ショーコ殿が発明品を披露するのに時間がかかるから、遅めに来て欲しいと言っていたぞ」
「そうか。だったら」
ブリギッタが差配する外部交渉担当部は、そもそも夜会主催なのでまだ早い。
「じゃあ同盟領を先に回ろうか。ここを進めばルクレ領の展示スペースに出るはずだ」
「冊子には、水産展と書かれているな。ルクレ領では漁業が盛んと聞く。いったいどのようなものだろう?」
「なかなか人気みたいだね。セイちょっと人が多いから、離れないで」
クロードがセイを人ごみから庇うようにして進むと、大漁旗が立ち並ぶ一角に出た。
そこでは、コンラード・リングバリ主席監察官が木板で組み上げられた舞台にのぼり、自ら音頭をとってマグロの解体ショーをやっていた。
「ふん!」
彼は慣れた手つきで大包丁を振るって頭を落とし、何十キロもあるだろう巨大な魚身をものともせずに三枚におろしてゆく。
隣で助手らしい調理人が切り出されたマグロの身を手際よくカットすると、更に別のコックが卵液とパン粉につけて、付け合わせの芋と共に揚げてゆく。
舞台の下では、本物のミカエラを筆頭に再編されたルクレ領の騎士団が、揚げたてのマグロと芋のフライを配っていた。
「うそだろ。あの気位の高かった騎士団が、イベントを手伝ってる」
「い、いやそれ以上に、主席監察官のとんでもない一面を見た気がする」
コンラード・リングバリは、ヴォルノー島争乱においてセイと互角に戦った数少ない好敵手だった。
その彼が器用に料理する様は、セイにとってあまりに衝撃だった。
「そんな。じょ、女子力で負けた……」
「セイ、何か言った?」
ちょうどお土産のフィッシュ&チップスを配る騎士団員が通りがかったため、セイの動揺はクロードに悟られずに済んだ。
ルクレ領の水産展は、港で陸揚げされるマグロやカツオを紹介したもので、コンラードが直々にまとめた唐辛子ソースや魚醤ソースによる調理法も展示されていて、若い夫婦や家族連れに大反響だった。
「クロード殿。私、刺身が食べたい」
「……今度、レアに作ってもらおうか」
現在の技術水準では、高度な冷蔵、冷凍機能をもった魔術道具はきわめて貴重だ。
一般の漁師や港に普及するのは、まだまだ遠い未来のことだろう。
しかし、いずれはマラヤディヴァ国でも美味しい刺身を味わえるのでは? そんな希望が持てる展示だった。
「次は、ナンド領の展示で剣術大会だね」
これは、武芸を好むマルク侯爵らしい出し物だった。
飛び入り歓迎の勝抜戦で、参加者は戦績次第で望む領に士官できる――という触れこみだったので、腕自慢の冒険者や覚えのある浪人が集まって独特の熱気に包まれていた。
「お土産には、ナンド領名物の太刀魚の一夜干しをどうぞ。絶品ですよぅ」
どこかで見たことのある、ウェーブがかったニンジン色の髪が特徴的な女性が、ナンド領の職員たちと共にあぶった魚の切り身を観客に配っている。
「わあカップルさんですか。恋って、ウキウキしますよね♪」
やがて彼女、ガブリエラはクロードとセイの前まで来て、お土産を手渡した。
二人はカップルという呼び方に照れて、思わず顔を赤らめた。
上気したガブリエラは、クロードとセイの正体に気付かなかったのだろう。
そのまま、楽しそうにナンド領の手伝いに戻っていた。
「クロード殿、ガブリエラの所属はルクレ領ではなかったか?」
「い、いいんじゃないかな。ほら、有志のお祭りだし。次行こう、次!」
クロードは、なんとなくマルクが無理を通したことに勘づいたが、深くは追求せずに次の展示へ向かった。
「で、どうしてこうなった?」
ソーン領の展示は、酒・飲料展である。
クロードだってお祭りにアルコールはつきものだと理解していたから、展示は好意的に受け止めたのだが、……ここだけ空気が違った。
「へんきょうはくときしょうさまがゼッタイゼツメイのぴんちにおちいった。しょこでしょーせいのだいかつやく!」
スペースの一角では、アンドルー・チョーカーがぐでんぐでんに酔っ払い、でっちあげた与太と法螺を高らかに吹いている。
同じように泥酔した赤ら顔の聴衆が、やんややんやと喝采をあげるが、たぶん誰一人まともに聞いていない。
ソーン領の展示だけが、完全に酔っ払いの集まりと化していた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
クロードとセイを見つけたロビンとドリスが平謝りに謝ったが、未成年の彼や彼女を責めるのは筋違いだろう。
「アマンダさん、ミーナさん……」
「ちょっと調子にのったわ。すまない、このとおり!」
「ごめんなさい。皆が楽しく飲んでくれるのが嬉しくて、ついやってしまったわ」
ソーン領の財政は マグヌスの暴政が爪跡を残し、レジスタンスが実権を握った後も火の車だった。
アルコールは収益性も高く、豊穣祭で名前を売れば同盟領の商人達と契約することだって叶うはず。
アマンダには、そんな見通しもあったのだろう。なにより、ソーン領には腕利きの杜氏たるミーナもいたのだから。
しかしながら、彼女達の頑張りが少し外れた化学反応を起こした結果、こうなってしまったのだろう。
「辺境伯様、他の展示には、絶対に迷惑をかけないようにしますから」
「でも、このまま放置はできないだろう。大丈夫だ、僕にいい考えがある」
クロードが自信満々で宣言したところ、ロビンとドリスの顔にはぱっと光が射し、逆にアマンダとミーナの表情が絶望のどん底に沈んだ。
「僕の芸術で目を覚ましてやる。いくぞ、鋳造――」
「アマンダ殿。お土産の菓子はこれだな。馳走になる」
クロードが愛用のリュートギターを作りだすよりも早く、セイはバナナの葉で包まれた菓子を掴んで駆けだした。
「え、ちょっと、待って。セイ?」
結局クロードはセイに連れだされてしまって、外でソーン領のお土産を食べることにした。
バナナの葉から出てきたものは、もち米とキャツサバの粉を混ぜたものを、麹で発酵させた菓子だった。
半固形状ではあるものの、食感は甘酒に近く、どこかホッとする味だった。
「意外においしい。でもどうしたんだよ、急に走りだして。びっくりしたじゃないか」
「クロード殿、二人でいられる時間は短いんだぞ」
「……そうだね」
もしもクロードがあの場で演奏を始めたならば、良かれ悪しかれ騒ぎになってしまっただろう。
レーベンヒェルム領辺境伯でも、常勝不敗の姫将軍でもない、ただのクロードとセイが外で過ごせる時間は、ひょっとしたら今だけかもしれないのだ。
「ごめん」
「いいや、私こそわがままを言ってすまない」
気がつけば、ヴァリン領の展示コーナーまでやってきていた。
ヴォルノー島最大の商業規模を誇る彼の領の出しものは、すなわち海外交易展だ。
西部連邦人民共和国は言うに及ばず、近くはイシディア法王国やヴェトアーナ国、遠くは聞いたこともない遠方の国々まで、様々な国の商品が運び込まれて会場最大のフリーマーケットを構築していた。
「セイ、服を買おうか」
「うんっ」
二人は仲睦まじく腕を組んで、海外交易展に入って行った。





