第193話 悪徳貴族と豊穣祭『試作農園展示』
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 蒼葉の月(八月)一日。
領都レーフォンの大中央広場改め領都駅前中央広場にて、レーベンヒェルム領初の鉄道試運転と雨季の収穫を祝い、豊穣祭が晴れやかに執り行われた。
クロードはモーニングコートを着て、線路に横付けされた舞台へ上り、十重二十重と取り巻く聴衆に向かって呼び掛けた。
「神々の恵みと、異邦の友情、皆の勤労に感謝する。これより祭りを始めよう」
広場を埋め尽くす観衆から、雷鳴のような歓声がこだました。祭りが始まったのだ。
駅のプラットホームでは、発進をつげる鐘が人々の声に負けじと打ち鳴らされる。
サイを模した大型魔力像が、客車とコンテナ車をけん引しながら、南方へ向かってガタゴトと走り始めた。
(ああ、僕も乗りたかったなあ)
緋色革命軍と内戦中という事情もあって、試運転列車の搭乗員は、鉄道職員以外はエリックやハサネたち領警察と公安情報部関係者に限定されていた。
「すごいたぬ。楽しいたぬっ!」
「おにょれ」
アリス・ヤツフサは、列車が万が一にも襲撃された場合の護衛役という建前で乗車していたが、外まで聞こえてくる楽しげな声を聞くに、きっと本人が乗りたかっただけだろう。
サイ列車は時速六〇kmを維持して、レーフォンとオーニータウンを行き来する。
(正式開業はまだ先だ。でも、領南部で採掘される資源の大量輸送ができるようになった。完成すれば……)
レーベンヒェルム領全土への、迅速な軍隊派遣が可能となるだろう。
日本史において、本能寺の変の後、明智光秀を破った羽柴秀吉の大返しはあまりに有名だ。世界史を見ても、マケドニアのアレキサンダー大王や、フランスのナポレオンなど、神速を尊んだ名将は枚挙にいとまがない。
しかしながら、無理を重ねた進軍は、参陣した兵士に大きな負担を強いることになる。
大軍を少ない疲労で、食糧や装備と共に輸送する鉄道の存在は、来るべきファヴニルとの決戦において強力な鬼札となることだろう。
(僕は、アリスのように列車の完成を喜ぶのではなく、領主として思考している)
クロードは舞台を下りながら、そっと奥歯を噛みしめた。
かつてファヴニルは仲間と共に救世を夢見て敗れ、龍神となってグリタヘイズの村を導き、やがては死と破壊を喜ぶ邪竜へ堕ちた。
クローディアス・レーベンヒェルムのという仮面を被る自分が、この世界の理不尽を嘆いた小鳥遊蔵人と同じままなのか?
答えの出ない逡巡が、クロードの胸中で軋みをあげた。
「辺境伯様、おひさしぶりでやす」
「エドガーさん。来てくれたんですか?」
祭りの会場には、鉄道工事に協力してくれたガートランド聖王国のウェスタン建設の営業、エドガー・ヒューストンの姿もあった。
結果から言うならば、施工を聖王国に依頼したのは大正解だったのだろう。遡ること数年前、ナロール国に魔力炉の建設を発注したディミオン首長国連邦や、高速鉄道を西部連邦人民共和国にオーダーしたビネカ・トゥンガリカ国は、それはもうグダグダの酷い状況に陥っていたのだから。
(そうだ。今の僕は、クローディアス・レーベンヒェルムなのだから)
クロードは、祝いに訪れたヴァリン侯爵やローズマリー・ユーツ侯爵令嬢らのエスコートを精力的に果たした。
今の彼には、かつて交渉に疲れ果て嘔吐した少年領主の面影は見られなかった。
「さて、午後からは自由だ。一昨日出来なかった見回りに行くとしよう」
クロードは礼服を脱いで、帽子を目深に簡素な単衣とズボンに着替えていた。
目の前は、人。ヒト。ひと。領中から集まったのではないかと思わせるほど、大勢の来客でひしめきあっていた。
「凄い人だ。セイはうまく抜けられたかな?」
約束の噴水前で待つことしばし、褐色のウィツグをつけて伊達眼鏡をかけた軍服姿の少女が手を振りながら走ってきた。
「待たせたか? とう……クロード殿」
「いいや、時間ぴったりだよ。じゃあ、行こうか」
クロードはセイと手を繋いで、広場へと踏み出した。
先日は、出発前に一騒動あったため、安全の確認は出来ても詳細を見ることは叶わなかった。
今日は、そのやり直しで、ちょっとした逢瀬なのだ。
「クロード殿。一昨日はすまなかった。皆がいめーじちぇんじをしたから、私もやろうって思い立って、でも上手くいかなかったんだ」
確かにこのところアリスはおしゃれに熱心だし、ソフィもプライベートでは執事服より私服を着ることが多くなった。
レアでさえ、装いは侍女服から変わらないものの、香水や袖飾りにちょっとした工夫をこらすようになった。
(だから、ドキドキして落ち着かないんだよなあ)
井戸の底の秘密部屋にいてさえ、誰かに見られているような気がしてならない。
テルに相談すると、遠い目で『気のせいだ』とたしなめられた。
「だからセイ、今日は一緒に見て回ろうよ。気にいった服があったら買って帰ろう」
「あ、ああっ」
セイは、無邪気に瞳を輝かせて繋いだ手に力をこめた。
クロードは緊張のあまり心臓が爆発しそうだったが、どうにかこらえる。
(だ、大丈夫。アネッテさんに相談したから、付け焼き刃でもいけるはず!)
こうして二人は、祭りを満喫することにした。
豊穣祭は、客足に負けじと屋台や出店が軒を連ねていたが、目玉となるのはレーベンヒェルム領行政府や各同盟領による展示コーナーだろう。
クロードは学園祭のノリで適当に署名したのだが、役所内のレア、ソフィ、アリスのファンクラブが燃え上がって、万博のパピリオンを連想させる大規模なものと化していた。
「ここから一番近いのは、試作農園”セミラミスの庭園”の展示だね。そういえば、珍しく領軍が大人しかったけど、何かしたの?」
「ああ、騒いでいた連中は殴り飛ばしてやった。なんでもかんでも役所と張り合ってどうするつもりだ。嘆かわしい」
セイの話によれば、実は領軍も、イヌヴェを筆頭に大規模イベントを企画したらしい。
が、また派閥闘争をやらかすつもりかと直々に鉄拳制裁されて、泣く泣く参加を諦めたのだという。
「真面目に参加を望んでいた兵卒は、契魔研究所の方に出向させた。ソフィ殿とヨアヒムから真剣に取り組んでいたと連絡があったよ」
「へえ、そいつは楽しみだ。と、ここか」
試作農園の職員たちが披露した大テントの中では、レアによって水稲の作付けに関する発表が行われていた。
「――このように、水稲は干ばつや雑草に強く、陸稲に比べて二倍以上の収穫が見込めます。現在、領主さまは領内の治水を劇的に進められ、灌漑設備も充実しつつあります。皆様も是非、水田の導入に御協力をお願いします」
レアの解説に聴衆はどよめき、セイもまた興味深そうに頷いた。
「そうか、こちらでも出来るのか。私が元いた世界では水田が標準だった。何か、これまで出来なかった事情があるのか?」
「水田も耕作できるまでに時間がかかるんだ。特にうちの領は荒れまくってたからね」
だいたい先代のクローディアス・レーベンヒェルムが悪い。と言って差し支えなかった。
レアの解説の通り、水稲は多くの面で陸稲に勝るが、安定した水の供給が不可欠となる。
クロードが領主に成り変わった当初のレーベンヒェルム領は、共和国へ輸出する品種のみを追い求めた極端な焼畑農業を行っていて、領は完全な荒野と成り果てていた。
聖王国の指導を受けながら、堤防の造成や川の瀬替え、泥で埋まった河床の掘削などの治水工事に努めた結果、ようやく水稲へ転換する目星がついたのだ。
「あっちは、肥料の展示か。あの小さな塔のような細工はコンポストというのか? 肥溜めだけでは足りないのだな」
「それが基本だよ。生ゴミ、落ち葉を閉じ込めて熱で発酵を加速させる。ちょっとだけ範囲を広げただけさ」
農業には水以外にも肥料が不可欠だ。
この世界にも、牛馬糞や草木灰、果てはモンスターの死骸まで、様々な肥料が存在する。
問題は地下資源が希少なため、化学肥料の製造が困難なことだ。
レーベンヒェルム領の場合、ベナガラン要塞を改装した”セミラミスの庭園”という大規模魔道設備あればこそ、錬金術である程度の”化学的”な肥料を作成している。しかし、現状のやり方では他領まで供給を増やすのは困難だろう。
クロードは問題解決のため、ヴァリン領の専門家、ニコラス・トーシュ大学教授の協力を得て、肥料の製造拡大に取り組んでいたのだ。
「いずれは工場級の設備を作って、バイオガスを動力源にゴーレムを動かしたいんだけどね」
「お、おう。なんだかよくわからないが、それはきっと民草の為になるのだろうな」
さすがにセイにとって畑違いだったらしい。
彼女が連想するバイオガスは、契魔研究所が作りだした臭気ガス爆弾だった。
塹壕対策で用いたものの、風の変化で敵もろとも味方にもダメージを与える大変な失敗作だったのだ。
「領主さま、セイ様。こちらへ」
解説が一段落したのだろう。目ざとく二人を見つけたレアが駆け寄って、タコノキの葉で包んだおにぎりと茶の入った竹筒を差し出す。
「おみやげに配っているんです。これは特別製です」
レアがはにかむ。クロードとセイはその場で食べて、にっこりと笑みを浮かべた。
香ばしいご飯の香りと目が覚めるほどにすっぱいプラムの梅干が、二人の口内を幸せにする。それはまさに特別な味だった。
「うまいっ」
「さすがレア殿」
「よかった」
クロードとレアは、上機嫌でテントを出た。
しかし、領主と姫将軍であることまではわからなかったものの、彼らの姿は他の客に目撃されていたのである。
「お嬢ちゃん、おれたちにも特別なやつちょうだいよっ」
「そうだそうだ。ひいきはいかん」
「ぼくもほしいっ」
「わ、わかりました。すぐに支度します」
わざわざ言うまでも無いことだが、この時配られた一般的なおみやげは、うす塩味の杏を干したものだった。
一方で、クロードとセイが食べたおにぎりは、彼らにとっては常識的な、昔ながらのガチガチのすっぱい梅干である。
その特別製を他の客が食べればどうなるか――。
「「みず―――――っっ!!??」
幸いなことに、彼らの悲鳴は祭りを楽しむ人ごみの中に埋もれて消えた。





