第191話 悪徳貴族と切りひらく未来
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テルが操作する宝石と水晶玉は、神剣の勇者ことルドゥインが率いる隊商の日常を映し出していた。
朝、年若い男たちが汗だくになって荷物を運び、乙女たちが洗濯をする。
昼、太陽と青空の下でマーヤが仲間たちと共に素足で川に入って魚を掴み、彼女の妹メアが手を叩いて笑う。
夕暮れ時、ルドゥインはチンドン屋のような格好で太鼓を叩きながら笛を吹き、隊商の参加者達は老いも若きも焚き火を囲んで歌い踊る。
「写真、増えたね」
「この頃、ジャーナリストが鞄と上着を持って合流したからナ。名前は最後まで明かさなかっタが、ひょっとしたら王国ノ連絡員だっタのかもナ」
隊商は、徘徊怪物や野盗の襲撃に遭った集落の遺体を弔い、時には生存者を隊に加えて西へ西へと進んでいた。
ある老人は、壊れた包丁や鍋を修繕していた。ある若夫婦は、剥ぎ取った獣の皮をなめして服や靴を作っていた。マーヤとメアは、魔術文字を刻んで魔符や護身具を創っていた。
決して豊かではない光景だ。けれど、輪になって食事をとる時、皆は笑っていた。
そして彼や彼女たちの中心には、いつも楽器を手にしたルドゥインがいた。
「あのチンドン屋じみた格好も、計算尽くだったのか?」
「さて? 本人は音楽やら手品やらで勇気づけていタつもりらしいゾ。傷ついた世界にこそ笑いが必要ダってナ」
もっとも、と。テルはテーブルの上で前肢を組んで続けた。
「当時十何才だったハロルドに、オジサンももう分別のある年なんですカラ、ちゃんとした服を着てくダさいって手紙を送られるくらいにはセンスが無かったゾ」
ルドゥインのセンスは、当時の社会情勢でもやっぱり駄目だったらしい。
「待ってくれ、テル。じゃあ、あの黒い上着は?」
「魔術防御機能とかハおまけデ、本当ノ目的は見栄えの改善だゼ」
「ダメじゃん! もっと服には気をつかわなきゃ……」
自らの後頭部にブーメランを全力投球するが如き発言をした瞬間、クロードは不意に何者かの気配に気づいた。
「!?」
テルを手振りで制して吊り梯子を登り、井戸の上をそっと覗く。しかし不思議なことに、屋敷の中庭には誰もいなかった。
「すまない。気のせいだった。話を続けてくれ」
「アア。チンドン勇者とマーヤたちは、旅を続ける気だっタ。でも他のヤツはそうじゃナイ。隊商ノ目的は、グリタヘイズの村ダ。そこは、どンな難民でも受け入れる楽園だって噂されてイタ」
クロードは、不思議とテルの続く言葉が予想できた。
歴史上、見られたことだからか。それとも、他に理由があるのか。
「楽園だっタのは今は昔ってナ。村に快く受け入れラレた難民は調子に乗ってやりたい放題、争イを嫌った元の村民たちを虐げていタんだ。大陸本土からもゲオルク・シュバイツァーが手を出してイタ。ここいらの説明は要らンだろう」
人間がいる限り、変わらないものがある。
たとえば大地。たとえば海。たとえば地政学に裏付けられた立地。
善いことも悪いことも、繰り返されて受け継がれる。
「オレたちが訪ねた時、すでにグリタヘイズの政治権力は大陸からの工作員たちに握られていた。暴政を欲しいママにする新興軍閥と、彼らに抗うファフナーの一族と呼ばれる創成メンバーのグループ。二つの勢力が対立していたンダ」
ルドゥイン・アーガナストの存在は、拮抗していた均衡を崩し、一触即発の火薬庫に火をつけた。
「そして村民たちを守護していタのが、よりにもよって大戦で生き別れになったファヴニルとレギンだっタ。そして、他ならないオレという存在が、問題を更に悪化させチマっタ」
怪物化して理性を失ったオッテルは、ルドゥインたちと合流するまで、ヴォルノー島の各地を荒らしまわっていたらしい。
グリタヘイズの村も例外ではなく、被害にあったファヴニルとレギンは、オッテルとルドゥインが所属する隊商を敵であると認識した。
「ファフナーの一族は大陸勢力をなんとカしたいとチンドン勇者に協力を要請しタ。けど、ファヴニルとレギンは隊商の受け入れを拒否しタ。ゲオルクの影響下にあった大陸派の軍閥は、当然アイツを警戒してオレたちに武器を向けタ。もうグダグダのめちゃくちゃだ」
争いは終わらない。黎明の時代から現代に至るまで、飽きることなく繰り返される。
「チンドン勇者は一ヶ月ほどまとめようと駐在して、遂にはグリタヘイズへの介入を断念しタ。日記を読めばわかるコトだから言っチまうが、アイツはマーヤの嬢ちゃんと交際を始めてイタ。阿呆な争いナンテやってられなかったんだろ。退去するためエーデルシュタイン号を買いつけテ、隊商はヴォルノー島を離れることを決めタ。それで収まるハズだっタ……」
テルの瞳に、獣性も露わに荒々しい怒りの炎が灯った。
「だっテのに、ファヴニルのヤツはオレたちを騙しうちにしタ!」
船の出港予定日の前日に、レギンが息を切らせて駆けこんできたのだという。
大陸派が攻撃してくるから、今すぐ逃げろと隊商に脱出を呼びかけた。
ルドゥインが第一陣を迎撃している間に、マーヤたちは隊商をまとめ、エーデルシュタイン号に乗り込んだ。
間を置かずに大陸派軍閥の第二次攻撃が始まって、元神剣の勇者は切り裂かれたジャケットとキャリーバッグを恋人に託し、隊商の仲間たちを先に出航させた。
「後で必ず追いつくから先にいけ。マーヤもオレもアイツの言葉を信じタ。もしもアイツを殺せる者がいるとシテモ、それは大陸派じゃなく、ファヴニルとレギンだ。そンな思いこみが致命傷トなっタ」
エーデルシュタイン号は、ルドゥインが戦闘中にファヴニルに襲撃されて、海の底へ沈められた。
「してやられた。レギンが嘘を言っていタとは思わン。結局、オレたちはファヴニルにはめられたンだ」
船は沈んだ後に流されてルンダールの海底遺跡に取り込まれ、オッテルも再び正気を失って怪物に堕したという。
ササクラという稀代の剣士が、再び彼を正気に戻すまで、狂った火竜は憑かれたようにダンジョンの貴金属を集めて船を護った。
「オレは脱出の時、ルドゥイン・アーガナストに頼まれタ。船と隊商を守っテくれってナ。オレは約束を果たせなかっタ。悪かったなクロオド。長々と愚痴に付き合わせタ。これがオレの体験ダ。何一つ守れず、失い続けた哀れナ道具の末路ダ」
テルは瞳を閉じて、テーブルに突っ伏した。
しかし、クロードは彼を抱き上げて、その顔を正面から見据えた。
「なぜそんな事を言うんだ。テル、お前たちはちゃんと世界を変えたじゃないか?」
「クロオド、慰めなら要らんゾ」
「テル、外を見ろ。もう神も妖精も巨人もいない。国が違い思想は違っても、今の世界で生きる者は、誰もかれもただの人間だ。お前たちが戦って切りひらいた未来だ」
テルの瞳から、ぽつりと涙が零れた。
「もうササクラから聞いたかもしれないが、マーヤは生き伸びてユングヴィ家を開いた。ひょっとしたらメアちゃんや、他の隊商員にも生き残りがいるかもしれない。ちゃんとお前の手で守った生命がある」
その上で、と、クロードは続けた。
「いくつか気になる点がある。ひとつは、ファヴニルがなぜ大陸派の横暴を放置していたのか?」
「ナニか政治的な理由でもあっタんじゃないカ? 単純に強ければイイなら、ルドゥインはチンドン勇者をやってナイ」
「そうだとしても、もうひとつおかしな点がある。ファヴニルが守護したファフナーの一族と、大陸派の軍閥は水面下で争っていた。勇者が大陸派と戦闘になったことは、むしろ二つの敵を弱らせるチャンスだったハズだ。なぜ戦闘中にわざわざ脅威の無い船を沈めた?」
論理的に考えるならば、ファヴニルの行動は不自然なのだ。
「ファヴニルのヤツは感情的だゾ。オレやルドゥインに対しテ、お前も大事なものを失え、みたいな意趣返しとか、弱ってるところを叩こうッテ嗜虐心じゃないカ?」
「だったら、なぜ一ヶ月も待ったんだ? その後の歴史を見るならば、ファヴニルはレギンと共に封印された。つまり、最終的には勇者に負けたんだ。そう……ここも変だ。なぜ神剣の勇者は仲間を殺したファヴニルを封印に留めた?」
「言われてみりゃア、何かオカシイ。ルドゥイン以外の奴が封印した可能性もあるガ……。こう小さな違和感がいくつも重なっテ、全体がぼやけチマってル」
クロードは、浅く息を吸った。ファヴニルの辿った岐路、おおよその事情は掴めた。なのに、最後の最後で霧に包まれたように謎が深まった。
「テルは、ルドゥインさんのことを恨んではいないのか?」
「わからン。殺し合っタのはお互い様ダ。撃墜されタことに怒りはナイが、アイツはヴァール様の仇だ。でも、もしもあの方が神様になっタら、不幸だっタとも思う」
吐き出された悔悟こそが、テルの抱いた一〇〇〇年前への鎮魂だった。
「チンドン勇者は、ヴァール様を殺したのもエレキウスと争ったのも、徹頭徹尾、自分の為だっタと言い張っタ。それが気遣いだっタのはオレにもわかる。アイツは、オレたちが巨人族だから討とうとシタわけじゃない。そして、クロオド、お前の言った通り、巨人族の悲願は叶えられタ。どれだけ失っテモ、オレたちが積み重ねタものは無駄じゃなかっタ。アア、胸の中がグチャグチャだ」
テルは水晶玉の投影を止めて、過去に区切りをつけるかのように宝石を大切に仕舞った。
「なあテル、ファヴニルはヴァールさんの復活を望むと思うか?」
「おそらく、ナイ。グリタヘイズの村で会ったアイツは、もう世界や人間を救おうとは思っていなかっタ」
「そうか。同感だ」
言葉が途切れた。無言の沈黙が地下の六畳間を満たす。
「クロオド、お前はファヴニルと戦うつもりなのカ? 盟約者なのに」
「盟約者だからこそ、あいつを野放しには出来ない。僕が決めた。僕があいつを終わらせる」
「そうカ。しかし、どうスルつもりダ? 並の契約神器ではヤツに対抗出来ないゾ。クロオドなら盟約を結んデモ構わンが、今のオレは戦えない」
「ダンジョンに今も封印されている、レギンを頼るつもりだった」
それなりに感情をこめた勧誘をクロードに見逃されて、カワウソは思わず咳き込んだ。
「テルの話を聞く限り、レギンはファヴニルと仲が良かったのか? だったら、別の手段を探さなくちゃいけない」
「いいやクロオド、それが最善ダ。この通り死に損ないダガ、オレの命を賭けてもイイ。レギンは必ずお前に助力する」
「そ、そうなのか?」
面食らうクロードに、テルは寝床へ戻るように促した。
「あの侍女が目を覚ましタラ面倒だ。もう帰っテやれ。少し一人で考えたいコトがあル」
クロードは、きっと郷愁に浸りたいのだろうとテルの勧めに従った。
彼がかすかな音を立てて縄梯子を登り、他に誰もいなくなった井戸底の地下室で、カワウソはクローゼットに向かって呼びかけた。
「だってヨ。お前はいったいアイツをどう思ってるンだ。なあ――」
☆
復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 恵葉の月(六月)三〇日。
テルと神焉戦争について語り合った夜から三日後の午後、クロードはレアと共に、ヴァリン領の大図書館を訪れた。
ヴァリン公爵をはじめ、マルク・ナンド侯爵ら大同盟に参加した十賢家から、マーヤ・ユングヴィに関する資料を借り受けたのだ。
しかし、クロードが望んだ結果は得られなかった。ユングヴィ家は、マラヤディヴァ国十賢家の中でも最古の家柄であり、混乱期における彼女の活躍は数百年後にまとめられた、真偽不明の伝承にしか記されていない。
そして、メア・ユングヴィに至っては、不自然なほどにどの伝承にも姿が見受けられなかった。
(唯一の収穫は、と)
クロードは、ソファに座って読んでいた分厚い大陸史の本を閉じてテーブルに置いた。
神焉戦争終結後、大陸に覇を唱えて周辺諸国を切り取ったゲオルク・シュバイツァーは、反乱を起こした民主化勢力によって打倒されて死亡した。
残念ながらこの新政権は軍事力が極めて弱く、わずか一〇年も持たずに崩壊して、現西部連邦人民共和国の領域は群雄割拠の戦国時代に突入した。
(エレキウス・ガートランドは王国の介入を否定した。そりゃそうだ。ルドゥイン・アーガナストはその為に国を離れたんだから)
もしもゲオルクが偽りの勇者を創って、本物のルドゥインに討たれたのだとしたら、きっとけじめはつけられたのだろう。
「駄目だ、レア。本や資料は返そう。ヴォルノー島には、マーヤの事跡は残っていないみたいだ」
完全に手掛かりが途絶えたわけではない。
テルは、ササクラが集めた資料は、付き合いのあったエングホルム家に預けられたと言っていた
またローズマリー・ユーツは、マーヤのことを知りたければ、首都クランのユングヴィ家を訪ねるべきだと助言した。
どちらも今は緋色革命軍が支配する敵勢力圏だ。大同盟の手で奪い返すしかない。
「豊穣祭が終われば、決戦が始まる。そっちの準備も進めないと」
クロードは、冤罪を着せられ”黒衣の魔女”と怖れられたヴァール・ドナクを思った。
彼女の戦いの全てを肯定するわけではない。けれど。
(明日流れる血を減らすために、今日戦う
平穏であれと祈りながら、その手で壊す
世界を善くするために、邪悪と呼ばれる)
クロードは思う。
(ああ、僕はきっと貴女と同じ場所へ行くだろう。だから、恋なんて出来ない。このオモイは妨げにしかならない。でも、ひとつだけ貴女と違うとすれば)
「領主さま」
レアが、そっとクロードの隣に寄り添った。かすかな落ち着いた花の香りがする。
外出中だからだろうか。彼女の装いはいつもと同じメイド服だが、ホワイトブリムが桜色の髪飾りとあわせた同色のリボンに変わっていて、青い髪もハーフアップにまとめられていた。
「領主さま。領都レーフォンの遺跡探索も順調です。いずれ第三位級契約神器レギンも見つかることでしょう。貴方はどちらを選ばれますか? グリタイヘイズの龍神のように人々を導きますか、それとも……」
「レア。僕は臆病だ。人間にしかなれないよ」
神様にも悪魔にもなれっこない。
人間であると言う信念こそが、クロードの凡人たる限界であり強さだった。
「はい」
レアの唇がほころび、笑みをつくる。けれど、赤い瞳は涙に濡れていた。
あの夜、テルはクローゼットに隠れていたレアにこう尋ねたのだ。
『今さら細かいコトは言わン。なぜお前は、本当のコトを言わナイ?』
『私は、領主さまが、クロードが好きです。けれど、わかりませんか、テル? あの方は人間です。人間であることを失わない方です。だから、彼の側に人ならざるものなんていらない』
図書館を出て、二人は歩く。
距離は近く、心は遠く。
互いを思うが故に、クロードとレアの心はすれ違う。
歩む道は交わるのか、過去の真実と同様に、未来もまた霧に閉ざされて見えない。
けれど、彼らは知らない。南国の青空の下、強い日差しに照らされたカワウソが、伸びをしながら決意したことを。
「ったく、不器用なヤツらダ。しょうがネェ、生き残っタのも何かの縁ダ。オレがひとつ後押しをしてやるカ!」





