第188話 悪徳貴族と黒衣の魔女
188
クロードの抗議を受けて、テルは力なく耳を垂らしてうつむいた。
「ダヨナア」
「……すまん。頭から否定して悪かった。神様とか時を逆回すとか、よくわからないことがある。詳しく教えて欲しい」
「イヤ、クロオドなら反対すると思ってイタサ。最初から話そウ。オレはある巨人族の娘、魔道鍛冶に生み出されタ」
「テル。千年前は、契約神器は遺跡で掘り起こすんじゃなくて、創ることができたのか?」
「今では失われた技術だがナ。そのアタリはあとで話ソウ。ともかく作られたオレは、製作者の父親と盟約を結んで、巨人族を生き延びさせるための互助組織に参加していタ」
テルは宝石を弾いて、新聞の切り抜きらしい画像データを映し出した。
細かい文字は潰れて見えなかったが、見出しは巨人族は殲滅しなければならないだの、正しい歴史認識を徹底すべきだの、罪深き民族の文化や思想は根絶すべきだの、おおよそ剣呑な内容だった。
「……こいつは、酷いな」
「こういう状況だったカラ、生きのびるのに必死だったヨ。でもある日、オレたちの運命は変わっタンダ。ヴァール・ドナク様が帰還されタノダ。今の世界でハ、”黒衣の魔女”などと怖れられテいるガ、あの方は我々にとって夜闇に射す唯一の光ダッタ」
ヴァール・ドナク。滅ぼされた国の最高祭司に連なる娘であり、ソフィやレベッカと同じく、特別な力を宿した”巫女”だったらしい。
まだ十代に過ぎない少女は、匿われていたガートランド聖王国から巨人族の居留地に招かれるや、指導者として迎えられた。彼女は互助組織をレジスタンスとして再編し、諸国による様々な外圧や干渉、制約をものともせずに、劣悪な環境をわずか数年で改善したという。
「そうなんだ。すごい子もいたものだなあ」
「……」
テルが、こいつはいったい何を言っているンだ? と言わんばかりの目で見つめたが、クロードにはまったく自覚が無かった。
「クロオド。いや、イイ」
テルが過去にササクラから聞いた先代統治下のレーベンヒェルム領と、遺跡から出て己が目で確かめた現在の光景には雲泥の差があった。
それゆえ彼は、ファヴニルがクロードを心酔していた指導者と重ねたのではないかと疑ったのだが、こいつに聞いても無駄だと諦めた。
「もしもあと何年かあれバ、あの方は巨人族を平和裏に復権させられたかもしれナイ。だが七鍵計画の成功と神焉戦争の勃発によっテ、オレたちもまた選択肢を失っタ。戦って生きのびル。それ以外に道は無かっタ」
クロードは、眉間にしわを寄せてテルの話を考えていた。
テルがそのように信じていることに疑いはない。しかし、軍事力に頼らずに領を復興しようと試み、すぐさまファヴニルと赤い導家士に叩きつぶされたのは彼自身が体験したことだ。
ましてや、千年前の巨人族を取り巻く環境はより過酷で悪意に満ちていたはずだ。果たしてヴァール・ドナクは、本当に武力革命を考えていなかったのか?
クロードの悩みをよそに、テルは再び宝石を弄って映像を変えた。新たに映し出されたものは、無数の魔術文字が刻まれた白銀の穂先と黒一色に染められた木の柄が特徴的な美しい槍だった。
「テル、ひょっとしてこれは」
「そうだ。第一位級契約神器ガングニール。あの方の愛槍にしテ、オレたちの最初のターゲット。その能力ハ、因果干渉と運命改変ダ」
何か奇奇怪怪な単語を聞いた気がして、クロードは目を白黒させた。
「はい?」
「オレたちが戦った神族の盟約者の場合、絶対命中と絶対回避だったナ」
「どうやって勝ったぁあ?」
さすがは第一位級の称号を冠するだけあって、反則にもほどがある。
「情けナイことダガ、オレたちじゃ肉壁にもならナカッタ。あの方はガングニールの攻撃を何度も受け止めて、消耗した瞬間に首を獲っタヨ」
クロードはため息をついた。
彼の脳裏に親指を立てる部長、得意げに大きな胸をみせつける痴女先輩、見たこともないはずの儚げなオッドアイの少女がぼんやりと浮かんだ。
黒衣の魔女もきっと、ああいう理不尽の権化だ。考えるのではなく、感じるしかない。
「北欧――原初神話のオーディンの死因もそんな感じだったっけ。魔狼フェンリルを槍で貫いたのに、殺すことができなくて飲み込まれた」
「物知りダナ、クロオド。あの方が仰ったコトだが、ガングニールも万能ってわけじゃないらシイ。どんなに最強で無敵であっテモ、綻びを見つけて滅ぼせる反面、魔力の消費量が膨大過ぎる。そのくせ、しば刈り用の大鉈で料理するくらい制御が難しい。なによりも、”存在しない可能性は実現できない”――ソウダ」
「なるほどね。相手には、ヴァールさんを殺せる可能性がなかったわけだ」
強かったのは第一位級契約神器ガングニールではなく、ヴァール・ドナクという少女だったらしい。
クロードはもしも敵対したならば、と心中で算段を立てた。最低限、演劇部員七名集めてファヴニル級の神器を装備させることが必要だ。それならば、わずかな勝機を得ることも叶うかもしれない。
「オレたち巨人族がガングニールを奪っタことで、想定外だったコトに戦乱は加速シタ。ありとあらゆる国々が狂っタように滅ぼし合い、血の繋がった親兄弟さえも殺し合う、ソンナ最悪の世界大戦に発展シタんだ」
本当に想定外だったのか、と、クロードは奥歯を噛みしめた。
群雄割拠とは、突き抜けた一強がいるならば成立しない。多くの英雄が各地に勢力を張って、覇を競うなら……当時最大級の勢力を保持した神族の国は、さぞかし邪魔であっただろう。
悪徳貴族などやるものではない。自分はずいぶん疑い深くなったと、クロードは自嘲する。
「オレが憶えてイタ時点で、人口は戦前の二○%に減り、最終的には五%未満まで減っタ。鍵は最大で七つダガ、減っタ分は補充できルんダ。クロオド、やり方は……知っているカ?」
「ファヴニルから聞いたよ。神器や魔術道具を壊して魔力を奪い、人の感情を煽って鍛えるんだろ? 低位の神器もやがては高位に至る」
「ソウダ。不幸なコトに、それを補助する手段も存在シタ。あるならずもの国家がナ、大規模破壊用の禁呪を開発しテ、金の為にばらまいてイタんだ。当時の世界情勢は、平和の為トイウ大義名分で見て見ぬふりをシタ。結果、禁呪を購入シタ国々ハ、七つの鍵を得るために後先も考えずニぶっ放しタヨ」
「よくあることだ」
クロードは思う。
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会においては、戦争という解決手段は必要ない。
しかし、周辺国が侵略を肯定し、専制と隷従こそを望むなら、基本的人権を尊重し、平和のうちに生存する権利を守るために身を守る武器と戦う手段が必要だ。
そして、すべてのボタンをかけ違った結果が、千年前の終末戦争なのか――。
「狂気の世界デ、滅んだ国、虐げられた民をまとめあげタ巨人族は、決意したんダ。ガングニールであっても、存在しない可能性は実現できない。ならば鍵を使おう。死んだ人々を救うため、時間を巻き戻ソウ。戦争の源が逃れられヌ原罪というのなら、ヴァール様という人類を導く神様を創って、今後絶対に戦争を繰り返さないようにしヨウと」
「すまない、テル。言いたいことは、わかる。当時を知らない僕の言葉は的外れかもしれない。その上で、僕はやっぱり反対する」
あるいは神の子や、目覚めた人、空飛ぶスパゲッティ・モンスターといった救世主ならば、叶うかもしれない。
どれほど優れた人間であっても、堕落しないとは限らないのだ。現に地球史上、どれだけの名君が暴君に変じたことか。
クロードが想像する、神様を創った場合のもっとも卑近な末路は、狂ったコンピュータ様が支配する、幸福が義務でZAPZAPな地下シェルター都市というディストピアだ。
「そう言うと思ってイタ。オレの最初の盟約者モ、ソウダッタ」
ヴァール・ドナクは、戦乱で傷ついた難民と何度も言葉を交わし、こんな世界にしよう、皆が幸せな世界にしようと励ました。
けれど、それを繰り返し聞くうちに、オッテルの最初の盟約者はこう呟いたという。
「あの子は、聖王国へ、幼馴染たちの元へ帰りたいんだね。ッテナ。――あの方が夢見ていた平和ハ、巨人族と共に過ごした戦乱ではナク、匿われていた王国で友人たちと過ごした日々だっタ」
「神様になるよう望まれた女の子が、何より欲していたのが日常だったっていうのか。なんて……救われない」
「それを実感して以来、オレはどうにも周囲とズレ始めタ。特に、戦争が始まってカラ、同じ製作者から創られたファヴニルとレギンとの仲がこじれてナ。あいつら兄さんは不良ダ、とか面と向かって言うんだゾ」
「あ、ああ。それは辛いな」
クロードは、影を背負って落ち込むカワウソに、どう声をかけていいのかわからなくなった。
暴れる火竜の面影なんて、かけらも残っていやしない。
「あの方ハ、聖王国を発つ前に、特に仲の良かった三人の友人、幼馴染にプレゼントを残したんダ」
テルは、言う――。
ひとりには、手ずから創り上げた己の神器を。
ひとりには、魔術道具を創りだす為の知識を。
ひとりには、巨人族秘伝の空飛ぶ翼の魔法を。
クロードは、酷く嫌な寒気を感じた。
黒衣の魔女の願いは叶わなかった。神剣の勇者によって志半ばで討ちとられた。
「それから数年を経て、巨人族を阻む最大の障害が現れタ。
高速巡洋艦スキーズブラズニルと、第一四独立遊撃部隊を率いるアザード・ノア。
技術長として夫を支えタ、聖王国最高の魔道鍛冶フローラ・ワーキュリー・ノア。
後世に神剣の勇者として尊ばれ、名前を抹殺された男ルドゥイン・アーガナスト。
あの方の……、幼馴染だ」





