第184話 悪徳貴族と涙
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 恵葉の月(六月)二六日。
レーベンヒェルム領を襲った二件目の怪物災害発生とそのすみやかな鎮圧は、マラヤディヴァ国内に留まらず周辺諸国をも驚かせた。
特に事態収拾にあたったマルク・ナンド侯爵の評判は、グェンロック方伯領沖海戦敗北の汚名を雪いであまるものであり、以後、彼は新進気鋭の若領主として新聞にもてはやされることになる。
報道が過熱した背景には、火竜を撃退した”悪徳貴族”クローディアス・レーベンヒェルムを目立たせたくないという、西部連邦人民共和国資本のマスメディア『人民通報』の意向があったのだが……。
肝心のマルク侯爵が、そこかしこでクロードの活躍を褒めそやしたため、共和国の政治工作は皮肉にも意味を為さなかった。
また、大同盟の軍事司令官セイの認可を得ていたとはいえ、マルク侯爵が他領で軍権を行使したことを問題視する有力者は一定数存在した。
しかし、大熱量で抉り取られた山頂とクレーター状に蒸発した遺跡入り口を見れば、そのような批判者たちも口をつぐまずにはいられなかった。
セイ率いる討伐軍もまた、ルンダールの遺跡到着の後、誰もが言葉を失ったという。
「棟梁殿、これはまた凄い光景だな。これほどの力をもつ化生をよくぞ討ち破ったものだ」
「ソフィやショーコ、マルク達のおかげだよ。あいつは恐ろしい敵だった」
ルンダールの遺跡から解き放たれた火竜は、まさに国家を揺るがすほどの危機だったのだ。
火竜消滅を確認後、ヴォルノー島各領は改めて大量の人員を動員し、海底に隠されていた別の侵入路を発見してエーデルシュタイン号の引き上げを試みた。
オッテルが残した遺言の通り、沈没船は金銀財宝と魔術道具の山に変化していた。一か月をかけて回収したところ、その総額はマラヤディヴァ国の年間予算数年分に達した。
大同盟による協議の結果、一部を戦後復興の為に取り置いて、発掘された宝はレーベンヒェルム領、ヴァリン領、ナンド領、ルクレ領、ソーン領で五等分することになった。
ヴァリン領とナンド領は先の戦いで失われた海軍の再建に用い、ルクレ領とソーン領は領機能の復旧に勤しんだ。
しかしながら、クロードの大盤振る舞いを知って、レーベンヒェルム領の金庫を預かるブリギッタは怒りで柳眉を逆立てた。
「辺境伯様、別に独り占めしたいってわけじゃないの。だからって、いくらなんでもやりすぎじゃない?」
「いいんだよ。呪われた指輪やラインの黄金がもたらした悲劇の轍を踏むことはないだろう? それに、実は僕に腹案があるんだ」
「はいはい、無策なんでしょう。竜殺しの色男のように、いつか女に刺されて死ぬわよ」
「も、もうちょっと手心をさ」
ブリギッタは、すねてそっぽを向いたクロードをなだめすかして腹案を聞きだし、衝撃のあまり戦慄した。
「アンタ、やっぱり悪徳貴族だわ」
「ほっとけ。で、乗るのか」
「当然!」
これより半年の後、レーベンヒェルム領は本物のクローディアス・レーベンヒェルムが受け取った金額の三倍を支払い、西部連邦人民共和国から十竜港の統治権を取り戻す。
クロードたちが調査したところ、先代の暴君が決めた十竜港の租借自体が、マラヤディヴァ国が認めたものではなく、辺境伯の権限で身勝手を通した特例に過ぎなかった。
もしも十竜港の租借が、正式な国家条約や国家間合意で裏付けされていたならば為すすべも無かったが、現状を端的に言うならば、借金のカタに私有地を外国企業に抑えられているだけに等しかった。
クロードは、保険として十竜港を陳腐化させる新ルンダール港工事計画をぶちあげ、貿易促進のためにはレーベンヒェルム領に運営を戻した方が共和国にとっても都合がいいと、共和国企業連を通じて本国に根回しをした。
クロードが領の実権を握って以来、状況の変化から十竜港の採算性は悪化しており、共和国の楽園使徒を使った内戦介入も失敗に終わっていた。
西部連邦人民共和国は、ネメオルヒス地方の虐殺などの内憂と、拡張政策の結果として国境紛争を引き起こすなど外患を抱え、もはや収益の見込めないマラヤディヴァ国の侵略計画に関しては損切りに入っていた。
彼らはメンツから絶対に口にしなかったが、二度の怪物災害を退けたレーベンヒェルム領の軍事力も無視できなかったのだろう。
共和国は、勝ち負けの問題ではなく、強大な軍事力を行使できる相手との紛争を避けるために、従来のような強硬手段ではなく平和裏の交渉に舵を切ったのだ。
「なるほど、ブリギッタ。この交渉の元手の為に、大同盟相手の財宝分配を急いだんだな。本当に、お前もクロードもよくやるよ」
「危うい賭けだったけど勝利したわ。エリック、あとはお願いね」
「ハッ。格好いいところ、見せてやるよ」
十竜港の奪還からほどなくして、エリック率いる領警察が十竜港内に隠れ潜んでいたテロリストや海賊を捕縛、完全に制圧する。これによって、緋色革命軍司令官ゴルトは、精鋭戦力による十竜港を経由した領都レーフォンの強襲というプランを破棄、戦略の立て直しを余儀なくされた。
クロードたちは、十竜港という本拠地の喉元へ突き立てられた最後の刃を、ついに取り除くことに成功したのである。
レーベンヒェルム領が得たオッテルの遺産は、共和国への支払いと鉄道網の整備で消えた。しかし、これは有意義な投資であったと言えるだろう。
☆
時は、オッテル撃破まで遡る。
恵葉の月(六月)二七日。戦闘から一夜明けて、クロードはルンダールの町の防衛と海底探索の準備をセイに引き継いだ。
ショーコはソフィと共に公民館で負傷者の治療に駆けまわっていたが、彼らの容体が安定し、領軍が駐留したことで安心したらしい。
「大丈夫だよ、困った時は、いつでも呼んで。きっと助けるから。だって、私は正義の味方なんだから」
ショーコは名残を惜しむ冒険者たちに別れを告げて、クロードたちと共に公民館を出た。
「じゃあ、解散だね。楽しかったよ、クロード、ソフィ」
クロードはソフィに目配せして、彼女が頷くのを見た。
「そうだね。きつい数日間だったけど、楽しかった。だから帰ろう。僕たちの家へ」
クロードは、間髪いれずにショーコの手を取って、あらかじめ待たせていた御者のボーが操る馬車へと乗り込んだ。
ショーコはしばらく呆気にとられていたのだろう。クロードの手をおそるおそる解いて、潤んだ目でソフィを見た。
「び、びっくりしたぁ。送ってくれるんだ。だったら海岸に向かって。イルカちゃん一号を呼んで、私も帰らなきゃ……」
家に、と、あえて彼女は言わなかった。
この世界に来たばかりのアリスやセイがそうであったように、彼女の故郷も帰るべき家も失われていたからだ。
「うん、だから帰ろう。ショーコちゃん、わたしたちの家に」
好敵手と見込んだクロードだからこそ、耐えられたのだろう。
ソフィにそう呼び掛けられ、手を優しく包まれた時、ショーコの瞳から涙がこぼれた。
「あ、あれ……」
彼女の頬を伝う涙は止まらない。小さな体を貫く震えもとまらない。
「だって私、たすけなきゃ。助けないと、たすけ、たすけタスケたすけ」
クロードは、ぽんとショーコの紫の髪に手を置いて、そっと撫でた。
「ま、たまには、助けられてもいいんじゃないの?」
「あ、うわ、うわあああああっっ」
ショーコは、泣いた。
親を、友達を、人々を異界の侵略から守るために自ら改造されて。
戦って、戦って、守ったはずの人々に恐怖されて元いた世界を追放されて。
その教訓から、この世界では人間と生活を共にしないよう遺跡に寝泊まりして。
ソフィに抱きしめられて、クロードから顔を伏せて。
彼女は、今ようやく泣くことができた。
「~~~~っ」
ショーコの慟哭は、あるいは赤子が生まれおちる声に似ていたかもしれない。
クロードは、強引過ぎて嫌われたかな、とまるでトンチンカンなことを考えていた。
ソフィは、ショーコが彼にだけは泣き顔を見られたくないのだなあ、と正確に把握していた。
「……」
ショーコが泣き疲れた頃、馬車は屋敷に到着した。
彼女は拒むことなく、クロードの手に引かれるままに、ソフィと並んで玄関をくぐった。
「クロードおにいちゃん、おかえりなさい」
「たぬっ、見て見てクロード。新しい家族が増えたぬ!」
ロビーには、どこかで見たことのあるカワウソを抱えたエステル・ルクレと、うきうきと躍るアリス・ヤツフサ、なぜか仇でも見るかのように冷たく残酷な目で小動物を見据えるレアが待っていた。
台所の方から香しい匂いが漂ってくるところを見るに、アネッテ・ソーンは料理中なのだろう。
「そういえば、さ。オッテルのやつ」
「頭の部分、行方不明だったね」
「……」
クロードとソフィ、ショーコは顔を見合わせて、思わず噴き出した。
「ただいま、レア、アリス、エステル。実はもうひとり、一緒に暮らす家族が増えるんだ」
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