第181話 悪徳貴族 対 オッテル
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クロードの二刀が、火竜オッテルの爪と噛み合って火花を散らした。
雷、炎、斬撃と息もつかせぬ猛攻をあびせかけ、敵に反撃の隙を与えない。
(やれる。一度は退けた相手だ。この閉鎖空間なら勝機はある!)
クロードは必殺の熱死剣を決めるべく、オッテルの隙をうかがった。
ここは、エーデルシュタイン号の船内だ。以前戦った洞窟と同様に狭いため、巨大な火竜の動きはいかにも鈍い。
すでにオッテルは頭部と片翼を失い、クロードは地の利を得ている。彼我の戦力差を鑑みても、勝機は充分にあった。
「チッ。ものたりないナ。もう守る必要はないんダ。広い場所で楽しもうゼ」
「おい、何をする気だ?」
オッテルの腹部が割れて、大砲じみた巨大な砲門が現れる。更に火竜の肩から胸にかけて、小ぶりな砲門が八つせり出した。
クロードはすぐさま後退してソフィとショーコを守ろうと身構えたが、オッテルは彼らに見向きもしなかった。
火竜は天を仰ぎながら、九門の砲塔から熱線を発射する。熱戦は収束して、一本の極太ビームを形成、甲板を蒸発させて、まるで聖書の一節のように……海を割った。
「なんだそりゃあっ」
「さア、ついて来いヨ!」
オッテルは片翼をものともせずに、自ら開いた天へのトンネルを通って飛翔する。
時間にしてわずか一〇秒程度、膨大な海水が結界内の岩盤へとなだれ落ちて、耳をつんざくような轟音に一同は耳を塞いでしゃがみこんだ
ただちに遺跡の封印が機能して穴は塞がったものの、囚われの火竜はもはや檻から、否、自らの使命から解き放たれたのだ。
あの赤い湖のように、魔術実験の失敗などで暴走したモンスターや、遺跡の結界を突破した強力な怪物が引き起こす災害を、モンスターハザードと呼ぶ。
「これで怪物災害、二件目かよっ」
「クロードくん、荷物は持ったよ。こっちへ来て」
「イルカちゃん一号を呼ぶわ。追うわよ」
クロードはソフィと共に、ショーコが呼び寄せたサメ――自称イルカ型ゴーレムの背中に飛び乗って、オッテルを追った。
イルカちゃん一号は、この世界でも希少な潜水と飛行能力を有する災害救助用ゴーレムだ。
ショーコの巧みな操縦もあって、先行した火竜に海上へ出たところで追いつくことに成功する。
「二人とも、オッテルから攻撃が来るよっ」
「ショーコ、迎撃武装はあるか?」
「ない!」
ショーコは、人類の守護者たらんとする正義の味方である。
イルカちゃん一号は、彼女が作った人命救助を目的とするゴーレムである。
つまり、戦闘手段なんてない――!
「だよねっ、火車切っ」
「耐熱結界、いくよっ」
クロードが火車切を振るって熱線を散らし、ソフィが投じた呪符で障壁を張って無力化する。
先ほどの九門を集中させた熱線が収束ビームなら、今回の攻撃はバラバラに運用した拡散砲撃と言える。
一撃の威力には劣るものの、攻撃回数と有効範囲は単純計算で九倍だ。
「ショーコ、今の攻撃なら、何発まで耐えられそうだ?」
「悪いけど、一発で轟沈ね」
そして、間違っても戦車と救急車を同列に扱ってはいけない。
「ああ、もう。雷切よっ」
クロードは苦し紛れに雷の矢を放ってみたものの、オッテルは避けもせずに受け止めた。
雷の矢は、紅い鱗に触れるやシャボン玉のように弾けて消える。火竜は自身の変化と改造を繰り返し、並の魔法攻撃なぞ受け付けないのだ。
(落ち着いて考えろ。魔法が効かないのは前回の戦いでわかってる。だったら選ぶ選択肢はひとつだ。すなわち接近戦!)
クロードの判断は素早かった。
「攻撃は僕がやる。ソフィは防御を頼む。ショーコは出来るだけ近づいてくれ」
「もしイルカちゃんを壊したら、修理費用を請求するからね!」
ショーコは涙目だったが、イルカちゃん一号を前進させた。
かすめただけでも即撃沈の弾幕をかいくぐり、三人はどうにかオッテルに接近した。
火竜も砲撃を止めて、左の前肢で直線的な爪払いを繰り返す。
一発、二発、三発。ショーコは巧みな操船で、見事にオッテルの攻撃を回避して見せた。
「よし、今ならいけるっ……」
慣れたと思った瞬間こそ罠だった。
鞭のようにしなる右の爪が、上方の死角から飛んできた。
「ショーコ、一〇時方向っ」
クロードは雷切と火車切を用いて、辛うじて受け止めた。
ありったけの強化魔術でアシストしてなお、全身がバラバラになるような衝撃だった。
視界が歪み、耳の三半規管が揺れて、空気が焦げる匂いに酩酊する。
二刀の刀身にはひびがはいって、支える手足はまるで千切れたかのように動かない。
「クロードくん!」
ソフィのフォローも早かった。
飛び出してクロードを押しのけ、薙刀を振るってオッテルの攻撃を受け流す。
しかし、左右からの連続攻撃は止まらない。
岩融は耐えきれずにえぐりとられ、破壊された。
「後ろにさがるわ。気をしっかりもちなさい」
ショーコの腕が触手状に変化し、クロードとソフィの足首を掴んで固定した。
クロードとソフィには、気付く余裕すらなかった。
なぜなら火竜は後退する三人に向かって、トドメとばかりに炎とプラズマをまとった回し蹴りを繰り出したからだ。
「こんのぉおっっ」
イルカゴーレムは、オッテルの後肢をどうにか掻い潜った。
間一髪の回避だった。もしも誰か一人でも決断を下すのが遅れれば、全員の命が無かっただろう。
「……これ、どうするの?」
白いショーコの顔色は、血の気が引いて今ではいっそ青いほどだ。
「オッテルさん。けん制やフェイント、死角を利用して攻撃してきたね……」
得物を失ったソフィが、呆然とへたりこむ。
「なんで。どうして火竜が武道を使うんだ……?」
クロードだって知っている。
オッテルが用いた概念は、人間が編み出した英知に他ならない。
「柔よく剛を制シ、剛よく柔を断ツ。だったカ?」
愕然とする三人に対し、火竜は鱗を震わせて笑った。
「ササクラから基本を聞いたからナ。正気を失った普段ならともかく、いまのオレには理性があル。先輩を敬えヨ、”弟”弟子」
火竜は追い打ちとばかりに熱線を発射して、更に間合いを詰めてきた。
クロードたちには、ササクラに対して怨み言をこぼし、あるいは火竜にツッコミを入れることすら覚束なかった。
「避けるからつかまって!」
ショーコが必死で操縦し、まずは九本の熱線を、次いで平手の打撃と爪の切断を避ける。しかしそれらは囮で、続く尻尾の攻撃こそが本命だった。
クロードは辛うじて雷切でいなしたものの、刀身は重なるダメージで真っ二つに折れた。
(考えろ。考えろ。どこかに手掛かりがあるはずだ。まだ見えていない活路があるはずだ)
オッテルの攻撃は手足や尻尾を用いるものの、ボクシングでいうところのヒットマンスタイルに近い。即ち攻勢に長ける半面、守勢に弱点があるはず――。
(無茶を言うな。向こうは全長五mだ。ミニマム級とヘビー級よりひどい体格差に加えて、魔法が効かないんだぞ)
近づけば格闘戦でのされ、離れれば熱線を受ける。
武器のうち、岩融と雷切は破壊されて、残るは、火車切と八丁念仏団子刺しのみ。
「オッテルの奴、血の湖より性質が悪いぞ」
「あっちは、ただのチート頼みだったからね」
ショーコの指摘は的を射ていた。
単純なスペックならば、不完全といえ、人間と契約神器の融合体であるアルフォンスの方が勝るだろう。
だが、オッテルには技術があり経験があり、何より命を賭した覚悟がある。
「クロード、勝てないよ。一度撤退するべきじゃない?」
「決死を決めた相手に背を向けろって?」
「貴方たちのロマンと人命、どっちが重いの?」
クロードはショーコの言葉に動揺し、しかし熱を感じて踏みとどまった。
ソフィが自分の手を握りしめている。彼女の温もりが萎えそうになる心を奮い立たせる。
ショーコの言い分もわかる。絶対的な戦力不足だ。何か状況を変え得るチャンスでもなければ、このまま踏みつぶされるだろう。
「小僧、オレをナメるのもいいかげんにしろヨ。なぜファヴニルの力を使わなイ?」
オッテルの問いかけに、クロードは応えられなかった。
ベナクレー丘でレベッカ・エングホルムの干渉を受けて、クロードとファヴニルを結び付ける魔力経路は狭く薄くなった。
といっても、彼女がいない今ならば、再びパスを活性化させて使おうと思えば使えるのだ。
(駄目だ。まだ駄目だ)
クロード自身、人ならざる力の誘惑に屈するのではないかという恐怖も勿論ある。
だがそれ以上に、使うならば、絶対に効果的なタイミングで使いたかった。
緋色革命軍の幹部達は、レベッカを除けば、クロードがファヴニルの力を使えるという実感がない。
ブラフに等しいと言え、紛れもない手札のひとつだった。
(背に腹はかえられないのか、でも!)
何よりもクロードは、ファヴニルの力に縋って、オッテルをねじふせることを嫌悪した。
身勝手なロマンに過ぎないかもしれないが、やはりそれは違う、違うと思う。
しかし相手は、そんな逡巡を許してくれない。
「のたくたしてるト、そのへんの村を焼いちまうゾ」
オッテルの視線の先には、ルンダールの港町があった。
「よせ!」
クロードの抗議をオッテルは鼻で笑い、砲塔を街へと向けた。しかし、その瞬間――!
「海上の火竜に告げる。十賢家当主が一人、マルク・ナンドの裁きを受けよっ!」
ルンダールの町から離れた遺跡のキャンプから、魔術で増幅された声が響いた。





