第172話 悪徳貴族 対 火竜
172
クロードは魔術で創りだした鎖で火竜を拘束し、穴を落下しながら戦闘を続けていた。
彼はソフィとの連携で火竜に傷を刻んだものの、自身もまた左肩から胸にかけて酷い火傷を負っていた。
「たとえ相手が竜だってっ」
クロードは竜に向かって氷柱をばら撒きながら、鎧に括りつけていた短筒の引き金をひいた。
こめた弾丸は切り札とも言える空間断裂弾だ。弾丸は誤ることなく火竜の眉間に直撃し、着弾点からおよそ直径一〇m範囲を球状に引き裂こうとした――が。
解呪された。あるいは耐えきられた。魔法弾は、火竜に無力化されて小石でも当たったかのように剥がれおちる。牽制に撃ちこんだ氷柱は、鱗につけたわずかな傷と引き換えに触れた端から消し飛んだ。
「そんなの有りかよっ?」
ファヴニル相手なら覚悟していた。アルフォンスが変じた”血の湖”や、達人たるオズバルト・ダールマン、あるいは好敵手たる青く輝くスライムにも通じない可能性はあった。
しかし実際に必殺の攻撃がいなされると、心臓が早鐘のように脈打って背筋が凍てつくように寒くなる。
「―――ッ」
「雷切っ。火車切っ」
火竜が吼えた。
クロードが喉首に突き立てた八丁念仏団子刺しは、いまだ健在だ。
しかし火竜の傷は半ば癒えて、灼熱の吐息が周囲を焼き焦がした。
クロードは、右手に握った雷切で魔法障壁のカーテンを編んで盾とし、左手で掴んだ火車切で炎に干渉して致命傷を避ける。
引き換えに、ダンジョンの分厚い床や天井がまるで熱されたアメ細工のように溶け消えた。
「これじゃあ、階層の意味がないだろうっ」
クロードと火竜は遺跡を破壊しながら斬り結び、下へ下へと落ちてゆく。
クロードの鎧が砕け、頬に腕に足に裂傷が刻まれてゆくのとは対照的に、火竜は潰した目や、抉った耳、切り落とした尻尾が肉で埋まり、再生を続けている。
ついには天に向かっていななくと、全身に絡みついた鎖をものともせず、コウモリに似た翼をはためかせて上昇した。
「いかせるかっ」
「――――ッ」
クロードが鎖を手繰るも、火竜を拘束する鋼が悲鳴のように軋みをあげた。
必死で振るう刀と脇差しが、迫る前肢の爪と交錯して火花を散らす。
クロードは空中で格闘戦を演じながらも足先で魔術文字を刻み、風の刃や岩の杭、駄目元で火球を生みだして攻撃した。
しかし、そのすべてが無力化された。これなら氷柱が一番マシだが、傷つける速さよりも修復する速度の方が速いのでは意味がない。
そして、回復する火竜とは対照的に、クロードは負傷から血を失い呼吸を乱してゆく。
(この火竜の強さ、契約神器と同等じゃないか)
魔術が通じない以上、選択肢は三つだ。
身体が動かなくなる前にいちかばちかで格闘戦を挑む。
あるいは一度離脱して仕切り直し、新たな討伐隊を送り込む。
そして、あともうひとつは彼一人では不可能だ。
「クロードくん、助けに来たよ」
その時、浮遊の呪符を手にしたソフィが彼の元へと落ちてきた。
「ソフィ、どうしてここに来たんだ!?」
理由は明白だ。彼女自身が告げている。
「クロードくんと一緒に戦うために」
ソフィがクロードを抱きしめた。
彼女は背負った鞄から治癒の呪符を取り出して、ケロイド状に焼け焦げた火傷へと押しあてる。
火竜は拘束を引きちぎりたいのかでたらめに飛翔しつつも、二人に向かって炎のブレスを吐きだした。
雷切と火車切が防ぐものの、刀身には細かなヒビが入っている。
これ以上、長くは防げないだろう。
「馬鹿、死んじゃうぞ」
「死なないよ、だって、わたしはクロードくんと生きたいもの。実はね、今日おしゃれな服を持って来たんだよ。見たい?」
「見たい!」
「え、えへへ」
クロードはうっかり本音を言ってしまい、問いかけたソフィと一緒に熟れた柿のように真っ赤になった。
呪符のおかげか火傷の痛みが緩み、わずかに呼吸も楽になった。
ああ、そうかとクロードは落ち着いて自覚した。自分は慣れていないことをして、張りつめていたのだと。
「ソフィは、さ。凄いよ。最初に遺跡に潜った時からそうだった。右も左もわからない僕を導いてくれた」
「そ、そうかな。クロードくんは自分で気づいて戦って、わたし、何もしてないよ?」
「ううん。助けてくれた。今も、ここにいてくれる」
クロードは麻糸のように乱れた内心を、上手く言葉にすることが出来なかった。
彼にとって、マルク・ナンドはきっと初めて出来た後輩なのだ。
(理由はさっぱりわからないけど、マルクは僕に憧れた。僕が先輩達に憧れて、同じことをしたいと願ったように)
クロードは先輩達にはなれないと自覚して、それでもと意地を張り、どれだけ回り道を歩んだことだろう。
(僕は僕にしかなれなかった。それでも憧れる気持ちはわかるんだ)
クロードは、高城悠生には決してなれない。
けれど、ソフィと、仲間と共にある自分は、きっとマルクの前で胸を張れるはずだから。
「ソフィ、力を貸して」
「もちろんだよ、クロードくん」
ぎゅっと片手を繋ぐ。心音が相手に伝わりそうで、二人はまた赤面した。
火竜はめくらめっぽうに暴れている。ダンジョンが天井も床も壁もなく破壊され、不運なモンスターが巻き込まれて灰となる。
ドラゴンを縫いつけた鎖がついに砕けて、雷切と火車切も光の粒子となって消えた。
火竜は本願が叶ったとばかりにクロードとソフィを両の前肢で掴み、ありったけのブレスを吐きかけた。
二人の姿は塵も残さず焼き消える。むしろ、ドラゴンが掴んだその時から人間の姿をしていなかった。
身代わりの呪符は、役目を果たして焼失する。
「悪いけど、不意を突くのは竜退治の王道だろう?」
「ごめんね。わたしは貴方と戦うよ」
北欧神話には、シグルズとかいうただひとりで正面から殴りかかって勝っちゃった英雄の中の英雄もいるが、クロードにはまず向いていない。
彼とソフィは火竜の意識を囮に引きつけて喉元へ接近し、二人で突き刺さったままの愛刀を握った。
「貴方に力を――!」
「八丁念仏団子刺しよ、その力を示せ!」
刀を引き抜き、横薙ぎに斬りつける。
斬撃一閃。ソフィの異能によって強化された刀は、虹色の軌跡を描きながら空間を断ちきり、魔術防御ごと火竜の首を落とした。
ゆえに断末魔の悲鳴はない。ただ勝利を宣言する。
「僕たちの勝ちだ」
「うん」
奈落の底へと落ちてゆく火竜の遺体を見送りながら、クロードとソフィは呪符の力で浮遊してどうにか途中のフロアに着地した。
しかし、遺跡の崩壊は止まらない。まるで積み木を倒すように天井と床が次々となだれ落ちて、二人も崩壊に巻き込まれた。
「ソフィ!」
クロードがソフィを庇い、鮮血兜鎧を全開にして抱きしめる。
こんな窮地にあって、彼女の柔らかな感触に彼は泣きたくなった。
ソフィは落下しながら周囲を見渡していた。ブラッドアーマーには死角がある。クロードは気づいているのかいないのか、いま彼の背中はガラ空きでこのままでは死んでしまう。
「一時方向に魔法陣がある。きっと何かに使えるよ」
「わかった。鋳造――!」
鎖を柱や穴に絡みつかせて方向転換、二人は天井が無くなった玄室の魔法陣へと落下した。
クロードとソフィが入り込んだ魔法陣は、青い光を放って起動した。
「うそ、これってテレポートトラップ!?」
「まってくれ、石の中にいるなんて勘弁だぞ」
魔法陣は抗議に応えることはなく、クロードとソフィを何処かへと送りだした。





