第166話 悪徳貴族と空飛ぶサメの謎
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時は正午。南天に輝くはずの太陽は、黒く厚い雲によってさえぎられていた。
断崖絶壁が続く岬の上で、クロードとアリスが見守る中、ガブリエラは観念したように自白を始めた。
自分がミカエラの従妹であること、ルクレ領の貴族たちに脅されて、辺境伯であるクロードと公安情報部の長たるハサネを暗殺するよう命じられたことを。
「父と母を人質にとられて、私は彼らに抗うことを諦めました。言われるがままにミカエラちゃんを地下室に閉じ込めて、彼女になりかわって旅行に参加したんです」
「そ、そうだったぬ?」
ガブリエラの告白に、アリスは衝撃のあまり放心していた。そしてクロードは、むしろそうだったのかと得心した。
アンドルー・チョーカーが負傷したと聞いた時、彼が真っ先に想像した光景は、覗きか夜這いに対する女性陣の制裁だった。
しかし、ハサネ・イスマイールが行方不明となったならば、事情はまったく変わってくる。
もっとも強い動機を抱いた容疑者は、最近反乱を起こしたヨニー・カルネウス男爵をはじめとするルクレ領の貴族派閥だろう。
実のところクロードがはじめてミカエラを怪しんだのは、まさに第二の事件からだった。
「街道を破壊してルンダールの町を孤立させるから、それを合図に辺境伯様とハサネさんを殺せ。私はそう命令されました。平民のチョーカーさんでさえあと一歩で暗殺にこぎつけたのだから、優秀な貴族たる自分たちが立てた作戦なら必ず成功するって」
「いや、その作戦はいくらなんでも穴だらけだろう」
クロードは、思わずこめかみを抑えた。
敵対していた時のチョーカーが立案した暗殺計画も大概ずさんだったが、彼が率いる強襲部隊は見事にクロードたちを分断し、危うくレアを殺す直前まで追い込んでいる。
作戦決行にあたっては、ミズキの采配やミーナの援護もあっただろう。だが、業腹なことに彼もまた特殊工作部隊の長として優秀なのだ。――もっとも平時は、研修旅行で風呂を覗くくらい色惚けている。
「でも、暗殺なんて出来なかった。楽しかったんです、たった一日の旅行は、ルクレ領じゃ体験したことも無いくらい自由で輝いていた」
ガブリエラは俯いた。
彼女の頬を伝う涙が、まるで雨のようにぽつりぽつりと草土の上へ落ちてゆく。
「今朝早く、ミズキさんが悪魔みたいな顔でチョーカーさんを殴っているのを見て、まるで楽しい夢から醒めたようでした」
「たぬっ。ミカ、ガブリエラちゃん。ちょっと待つたぬ。それには理由があるたぬ」
(ひ、ひょっとして、まさかそれが直接の原因か?)
ガブリエラは知らぬことだが、チョーカーがミズキによってボコボコにされた理由は、彼が女湯への覗きを敢行したからである。
親しき仲にも礼儀ありだ。あれは怒る。誰だって怒る。
「ええ、きっと理由があったのでしょう。でも、私は昨日見た二人の笑顔も嘘だったんじゃないかって思って、足がすくんで動けなくなった。ずっと立っていたら、ハサネさんがやってきて声をかけてくれたんです。どうしたのって」
「……」
(チョォオカー。ほんとお前なにをしてくれてるの!?)
事情が事情だけにアリスは沈黙し、クロードもまた頭を抱えた。
間が悪いといえばそれまでだろう。だが、何もかも覗きを敢行しようとしたチョーカーが悪いというのは考え過ぎだろうか。
やはり女湯周辺には事前に地雷魔法陣でも仕掛けておくべきだったと、悔やむに悔やみきれなかった。
「私は、”花を散らしたように”血にまみれたチョーカーさんを見て、悪魔の囁きを聞いたんです。碑文の見立て殺人にこじつければ、捕まらないかもしれない。そんな真っ黒な衝動に駆られるがまま、私はハサネさんを誘って、この手で崖から突き落とした。私は取り返しのつかないことをしてしまった……」
アリスは、ガブリエラに声をかけてくれと先ほどから身振り手振りで訴えていた。
クロードはゴクリと唾を飲んで、彼女の誤解を解くタイミングを見計らった。
ハサネ・イスマイールという男は、崖から海に突き落としたくらいで死ぬはずがない。
ちょっとバリツの心得があって、などと適当な法螺を吹きながら、カウンターでガブリエラを投げ飛ばしていたとしても不思議はなかったのだ。
そもそも――時刻館の事前調査やら、研修旅行の前準備を担当していたのはハサネである。諜報の専門家である彼が、よりにもよって本物と偽物の差異に気がつかないなんて――ありえない。
「辺境伯様は、ルクレ領の貴族をどう思いますか?」
ガブリエラの問いに、クロードは深く息を吸って答えた。
「一概には何とも言えないよ。レジスタンスに協力を惜しまなかった硬骨の貴族がいる。コンラード・リングバリのように、自らの信念で僕たちと戦った貴族もいる。力がなくて風見鶏に徹した貴族だっているだろう。しかし……」
共和国の手先たる楽園使徒を招き入れ、共に民を虐げた貴族もいた。
彼らは楽園使徒の崩壊後に降伏し、レーベンヒェルム領とヴォルノー島の大同盟に帰順したが、およそトロイの木馬気取りの内通者も混じっていることだろう。
アキレウスやヘクトールのいたギリシャ神話時代ならいざ知らず、クロードにとってトロイの木馬とは削除すべきマルウェアに他ならない。
「自らの欲望のままに政治を弄び、人質をとって暗殺作戦をやらかすようなヨニー・カルネウス男爵の一派は為政者として失格だ。法の裁きを受けてもらう」
「ああ、貴方なら、エステル姫を託せる」
ガブリエラは、まるで重い荷物をようやく下ろしたかのような安堵の表情を浮かべた。
彼女はクロードとアリスに一礼し、わずかに微笑んで、自ら海へと身を投じた。
「アリス!」
「おまかせたぬっ」
目配せすら必要としない、抜群のコンビネーションだった。
クロードは雷切を放り、背負ったザックからロープを引き抜いてアリスに投じてガブリエラを追った。
アリスが地上で支えてくれることを、彼は確信していた。魔術文字を綴って背後に衝撃波を放ち、反動で加速して海へと落下するガブリエラを抱きとめた。
「なにを悲劇の主役ぶってるんだ。チョーカーがミズキに殴られたのは風呂覗きの制裁だし、事前調査したハサネはアンタがあやしいことに気づいていた。これは、呪いの事件でもなんでもなくて、滑稽話なんだよ。こんなんで死んだらアンタ、うかばれないぞ」
「どうして、どうして追いかけてきたんです。死ぬ以外にどうやって償えばいいんですか?」
「アンタが死んだら、僕はエステルちゃんになんて言えばいいんだ。償うなら、投げ出すんじゃなくてちゃんと生きてやれることをやれ」
クロードの言葉に納得したのか、腕の中で暴れるガブリエラが抵抗をゆるめた。
ほっと息をついたまさにその瞬間、どこかの岩に接触したのかロープがぶちっという音をたてて切れた。
「なあっ!?」
クロードはとっさに岸壁の草を掴んだものの、そんなもので二人分の体重を支えられるはずもない。
「クロードっ。早く崖を登るたぬ!」
「それができるのは、ハサネさんとアリスだけぇぇっ」
岬から覗きこむアリスに思わずツッコミを入れながら、クロードはガブリエラを抱きしめたまま海へと落下した。
レアとミズキもやれそうかもと思ったが、そんな悠長な指摘に興じている場合ではない。
「鮮血兜鎧起動!」
海面衝突の衝撃は、どうにか緩和することが出来た。
だが、ガブリエラは泳げないのか、再びじたばたと暴れ始めた。
クロードは多少の軍事訓練を経たものの、溺れる相手をささえて立ち泳ぎをするのは困難だった。
なにしろガブリエラを支えるのに両の手が塞がって、魔術文字を刻むことさえままならないのだ。
悪いことは重なるもので、ついに雨まで降り始めた。強い風が吹いて、潮が大きく動く。このままでは救助が来るまで持ちこたえられない。
「こうなったら……。雷切よ、来い!」
最悪の場合、電撃でガブリエラを気絶させて魔術文字を綴ろう。
そう覚悟を決めたクロードが岬に放置した刀に呼びかけた時、ガブリエラが喉もかれよとばかりに叫んだ。
「私はどうなってもいい。だから、誰かこのひとを助けて!」
暴れるのをやめたら二人とも助かるんだ。
喉元までこみあげた言葉を、クロードは口に出すことが出来なかった。
なぜなら銅鑼が鳴ったから。
まるで自らの存在を告げるように甲高い音をたてて、薄暗い雨の中を輝く目を光らせた巨大な影が空を突っ切ってくる。
「お待たせ。貴方達を助けに来たわ」
ああ、鈴が鳴るような救い主の声はまるで女神のようで――。
クロードは、彼女の声に聞き覚えがあった。
「……ああっ!?」
「雷切、光学迷彩を破壊しろぉっ」
「な、なにすんのよぉっ馬鹿ぁっ」
雷が魔術による幻影を切り裂いて、ジャミングを無力化する。
影の中から現れたのは、薄紫色の短く整えた髪と同色の瞳。不自然なほどに白い肌が印象的な、青く輝くビキニを身に付けた小柄な少女と、彼女が乗る巨大な魚型の飛行ゴーレムだった。
「ショーコ。お前がサメ事件の犯人だったのかァ!」
道理でいくら考えても真相がわからなかったはずだ。
犯人が容疑者の中にいないなんて、なんて酷い理不尽だろう。
「サメ事件なんて知らないわよ。この子はイルカちゃん一号って言って、ねえクロード、いったい何するつもり?」
「連続鋳造――」
さすがにショックだったのだろう。ガブリエラから力が抜けた今がチャンスだった。
クロードはありったけの鎖を創り上げると、一方の先端を自身とガブリエラに巻き付け、もう一方をショーコの乗る魚型ゴーレムに向かって射出した。
「やだ。やめて乱暴しないでこの子壊れちゃう」
「行くぞっ。全弾もっていけ!」
「来ないでってばああ!」
アリスが崖をするすると降りてきた時。
「いったいなにをやってるたぬ。あれ、ショーコちゃん?」
彼女が目にしたものは、それはそれは酷い光景だった。





