第156話 緋色革命軍とキャメル平原の戦い
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復興暦一一一一年/共和国暦一○○五年 花咲の月(四月)。
ヴァルノー島が大軍事同盟の成立に歓喜していた頃、ダヴィッド・リードホルムが率いる緋色革命軍と、メーレンブルク公爵、グェンロック方伯が守護する貴族軍はマラヤ半島の覇権を巡って一進一退の攻防を続けていた。
かつては電光石火の侵攻でエングホルム侯爵領、ユーツ侯爵領、ユングヴィ大公領をたて続けに陥落させた緋色革命軍だったが、幹部であった怪魔科学者ドクター・ビーストが戦死し、内政責任者レベッカ・エングホルムと、軍司令官ゴルト・トイフェルが失脚したことから進軍は遅滞していた。
アルフォンス・ラインマイヤーが虚栄心に取り憑かれた大国の道具に過ぎなかったのに対して、ダヴィッド・リードホルムは、確固たる理想を抱き明確な指針を定めていた。
だが彼の目指す理想、原始農業制度に基づく重農主義による先鋭的技術革新国家という青絵図は、最初から矛盾に満ちていてあまりにも現実離れしていた。
その事実を受け止められなかったダヴィッドは正気を失い、こう考えるようになった。
――雑念に満ちた大人がいる限り、真なる革命は遂行できない。無垢なる子供を残して消費し尽くすべし!
やがてダヴィッドは効率的に邪魔な大人を選別し、戦場で処分するようになる。マラヤ半島の戦線膠着は、貴族軍の奮戦だけではなく彼の思惑によって創りだされたものだった。
しかし、クローディアス・レーベンヒェルムが怪物災害を鎮め大軍事同盟を締結したという情報がダヴィッドの元に入り、緋色革命軍は大きく方針を転換することになる。
花咲の月(四月)一八日。この日、ダヴィッドが擁する緋色革命軍四万とグェンロック方伯が指揮する貴族軍五万が領境界のキャメル平原で激突し、マラヤ半島を巡る情勢は一変する。
緋色革命軍は中央にマスケット銃で武装した銃兵隊を固め、左右両翼には無理やり徴発した民間からの動員兵に長槍を持たせ、後方に予備兵力である軽騎兵を用意していた。
一方の貴族軍は、ダヴィッド・リードホルムが振るう「第三位級契約神器オッテル」の力を警戒し、防御能力に秀でた契約神器の使い手を中心に方陣を組んで、左右両翼には騎士団精鋭から選抜した重騎兵を配置して持久戦の構えを取っていた。
睨みあった両軍は、火球や氷柱、雷矢といった魔術の応酬で戦端を開き、じりじりと互いの距離を縮めていった。
先手をとったのは、貴族軍の方だ。タイミングを見計らって重騎兵が突撃、士気も練度も低い両翼の動員兵を散々に打ち破った。
緋色革命軍の主力武装であるマスケット銃は、レーベンヒェルム領で配備された施条銃とは異なり、射程にも命中精度にも欠けている。そのため、ろくな援護もできないまま屍の山が積み上がった。
貴族軍はこれぞ勝機と、重騎兵によって緋色革命軍の包囲にとりかかった。
「この戦い、勝てるぞ! 契約神器の砲撃を警戒しつつ進め」
だが、貴族軍を指揮するグェンロック方伯は慎重だった。ダヴィッド・リードホルムの契約神器を警戒し、主力部隊は耐魔法障壁を幾重にも重ねつつゆっくりと前進した。
間違ってはいない。決して間違ってはいない。突出した重騎兵と機動性に欠けた本隊、そのわずかな間隙を突く、この男が居なければ――。
「さあ、おいどもの戦争を始めようか!」
緋色革命軍の軽騎兵が、貴族軍のわずかな連携の乱れを突いて後方から突撃した。
彼らが手にしたものはマスケット銃だ。小隊ごとにタイミングをずらしながら発砲して濃密な弾幕を形成、貴族軍の右翼重騎兵隊に風穴をあけた。
そして、魔法防御に意識を取られた貴族軍方陣を、騎兵隊は軍刀と乗馬槍に持ち替えてぶち抜いた。
「こんなことがあ!?」
「大将首もらったっ!」
軽騎兵を指揮していた隊長の名は、ゴルト・トイフェル。
彼は相棒である熊の背にまたがり、愛用の大斧を縦横無尽に叩きつけて、わずかな手勢と共に戦場を撹拌した。
誰が想像できただろうか? 四万もの兵員と強力な契約神器保有者で構成された頑強な方陣が、わずか二千の軽騎兵にケーキをナイフで切るが如く裂かれるなど。
ゴルト・トイフェルがグェンロック方伯の部隊に斬り込んだ際の手勢は、わずかに数人。しかし、貴族軍にはゴルトと同じ盟約者であっても、彼を止められる将はいなかった。
「父上、お逃げくださいっ」
「お前っ」
この時、グェンロック方伯は不仲であったはずの息子に庇われて転移し、辛くも戦場を離脱した。
だが、指揮官を失ったことで貴族軍は総崩れとなった。
「さあダヴィッドおにいさま。宴をはじめましょう」
オッテルの巫女レベッカ・エングホルムが妖艶に笑い、ダヴィッド・リードホルムにしなだれかかる。
「”変新”――」
レベッカに抱かれた、ダヴィッドの首飾りが禍々しい閃光を発した。
緑がかった瞳の色が緋色に変わり、竜頭を模した兜が彼の顔を覆った。
背中からは蝙蝠に似た金属の翼が生えて、鋭角的な黄金の鎧と竜爪をあしらった手甲と具足が装着された。
「貴様たちも我が黄金の一部となって、世界革命の礎となるがいい!」
黄金の竜人と化したダヴィッドは、迫る貴族軍の重騎兵をまるで枯れ枝でも折るかのように、叩き壊し踏みつぶした。
キャメル平原に参じた貴族軍五万人は、緋色革命軍という地獄の石臼によってすりつぶされることになる。
彼らの遺体は積み上げられ、戦勝記念の京観として一週間もの間晒しものにされた。
またこの戦いでゴルト・トイフェルの名はマラヤデイヴァ全土に響き渡った。
いつしか、人々は彼を恐怖と畏怖を込めて、こう呼ぶようになった。
”万人敵”――と。
キャメル平原で貴族軍が大敗した。
この情報は、後方で兵站を指揮していたメーレンブルク公爵にすぐさま早馬で届けられた。
天幕で偵察部隊と遠視魔術の報告を受けた公爵は、即座に部隊長を呼び寄せた。
「総員撤退だ。遺憾ながら、グェンロック方伯領を放棄する」
グェンロック領に援軍として派遣した兵員は、メーレンブルク領軍のおよそ三割に達していた。
そのすべてが失われた以上、メーレンブルク公爵は戦線を縮小せざるを得なかった。
「メーレンブルク公爵。今からでも遅くない。ヴァリン公爵の大軍事同盟に加入し、援軍を要請するべきだ。クローディアス・レーベンヒェルムとの仲裁ならば私が入ろう」
「メーレンブルク領のことはメーレンブルク家が決めること。たとえ国主様の命令であっても従えませんな」
メーレンブルク領に逃れていた国主グスタフ・ユングヴィ大公の勧めに、メーレンブルク公爵は断固として首を横に振った。
「なぜそれほどまでにあの少年を否定する? 彼が本物のクローディアス・レーベンヒェルムではないからか」
「そうではないのです。あやつは、誤った可能性を見せすぎた!」
メーレンブルク公爵の叫びに、グスタフ大公は眉をひそめた。
「誤った可能性とはどういうことだ? 彼は僅か一年半でレーベンヒェルム領をあのように建て直したじゃないか」
「その功績があやつの独断によるものなら良かった。今になって思う。やはりわしは奴の部下を殺しておくべきだった。リードホルムの子やグリタヘイズの巫女はまだいい。楽人の娘も許容しよう。しかし、あやつの部下は大半がどこの馬の骨とも知れぬ平民だっ」
メーレンブルク公爵の瞳がつり上がり、憤怒の熱をもってグスタフ大公を凝視すする。
「あやつは自身の才覚ではなく、平民に政治参加させることで領を治めている。あやつが見せる可能性は、高貴なるものを否定し、王と貴族が国民を導くという社会機構を破壊する。そうだあやつこそ、王をとって民におとし、民を王に祀り上げる悪鬼に他ならない。国主様が取りたてたマティアス・オクセンシュルナ同様に!」
グスタフは嘆いた。貴族が尊いのは、責務を担うノブレスオブリージュというべき精神のあり方だろう。
かつて社会正義に燃えていた男は、老いてこれほどまでに盲目となってしまった。
「平民の政治参加は時代のすう勢だよ。今のクローディアス・レーベンヒェルムは、マラヤディヴァという国家に、歴史に、文化に、ちゃんと敬意を払っている」
「そうでしょうな。あやつがあと十年、否、本物として生まれていれば良かったものを」
「メーレンブルク公爵?」
グスタフ大公はわずかに目を見開いた。メーレンブルク公爵は、かのヴァリン公爵の好敵手だった。あるいは、立場が許さなかっただけで本当はもうあの少年を認めていたのではないか?
「国主様、たとえ今から同盟を請うたとしても、レーベンヒェルム領も、ルクレ領も、ソーン領も、領軍は満身創痍だ。彼らが楽園使徒や怪物災害の鎮圧に追われていた時間、力を溜めていた緋色革命軍と戦うには時間が足りない。国主様はご家族と共に第三国に脱出を。わしは最後のメーレンブルク家当主として意地を通します」
「……私も、この内戦を招いた愚かな王としてケジメはつけるさ」
この後、グェンロック方伯領はほどなくして陥落。
メーレンブルク公爵領は大同盟からの援軍を固辞し、孤独な闘争を続けた。
貫かれた意地は、旧貴族の頑迷さと貶され、あるいは滅びゆく者の誇りとも讃えられ、後世における評価は一定していない。
ただ、政敵であったはずのヴァリン公爵だけは、彼を自身以上の愛国者であったと断じている。





