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七つの鍵の物語【悪徳貴族】~ぼっちな僕の異世界領地改革~  作者: 上野文
第二部/第六章 夜明け前に輝く星々
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第92話 生還

92


 復興歴一一一〇年/共和国歴一〇〇四年 木枯の月(一一月)一一日。

 クロードたちがベナクレー丘撤退戦で奮闘していた頃、レーベンヒェルム領軍総司令官セイもまた戦支度に奔走していた。

 偵察中のイヌヴェ隊から、五万人ものソーン領の軍隊が侵攻中との急報が入ったからだ。そして、間を置かず、マラヤ半島のクロード率いる義勇軍との連絡が途絶する。

 セイは、急きょ援軍を送ろうとしたが、大人数を乗船させて渡航可能な船が無かったため、ヴァリン領に援軍を依頼した。

 続いて、領軍司令部会議室で、サムエルやロロンら幹部たちと防衛線の構築やソーン領の進軍途上にある町村住民の疎開計画を練っていると、正午を過ぎた頃に、新式農園”セミラミスの庭園”から急報が届いた。監督官代理の侍女レアが突如として意識を失い、昏倒したというのだ。

 仰天したセイは、慌てて見舞いに駆け付けようとしたが、不意に通信用の魔法水晶玉が光り、マラヤ半島にいるヨアヒムたちと連絡が繋がった。


「ヨアヒムっ、無事だったか!?」

「セイ司令、どうにか生き延びました。アンセルはビズヒルに先行しています。キジーも重傷ですが生きています。今、リーダーを見たって仲間が戻ってきて、通信を試みたらバッチリでした。おい、どうだ? リーダーはどんな感じだったって?」

「リ、リーダーは、敵の捕虜となったアリス様と、ソフィ様を助けようと勇敢に、それはもうゆうかんにたたかって、さいごは、じゅうだんをあびて、名誉の戦死を遂げられましたぁっ」


 涙と鼻汁で顔を歪ませ、途中つっかえつっかえどもりながら報告を全うした兵士を、水晶玉に映るヨアヒムは、まるで死神に遭ったかのような生気を失った目で見ていた。

 セイは、いつの間にか床に座りこんでいた。サムエルやロロンが必死で声をかけるも、彼女の耳には届いていなかった。


「馬鹿だなあ、棟梁殿。私、愛してるってまだ伝えてない……」


 それっきり、セイはまるで精巧な人形のように、身じろぎもしなくなった。


「司令、司令。セイっ。おい、お前、レア嬢ちゃんを呼んで来いっ」

「サムエル隊長。落ち着いてください。今さっき倒れたって連絡が入ったじゃないですか!?」

「いったいどうなってんだ……。ちくしょうっ」

「医務室に運ぼう。今の一件、他言は無用だ。我らは司令の作戦を果たすだけだ」


 つまるところ、レーベンヒェルム領軍は、セイというカリスマと、彼女を万全にバックアップするクロードという、両輪によって成り立っていた。ゆえに、この二輪を失った瞬間、組織に激震がはしったのだ。

 それでも、立案中だった作戦計画にのっとり、領民の疎開を実行し、ゲリラ戦じみた防衛策に打って出たのは、サムエルたち元傭兵や、ロロンといった元海賊たちの意地だったのかもしれない。

 緋色革命軍がその夜、クローディアス・レーベンヒェルムの死を発表するや、領内は大混乱に陥った。

 歓喜に叫ぶものがいた。お祭り騒ぎにはしゃぐものがいた。だが、そういった輩は大半が、共和国や海外の国からなんらかの権益を得たものであり、レーベンヒェルム領で生まれ育った町や村の住人は、あれほど憎んでいたはずの辺境伯の死に涙した。


「……情報の拡散が早すぎる。見事に煽られてますね。とはいえ、この反応は想定外でした。辺境伯様は、アレで意外に愛されていたのですね」


 刑務所長、ハサネ・イスマイールは、混乱に乗じて一斉に蠢き始めた緋色革命軍や共和国の工作員を自ら先頭に立って捕縛しつつ、同じように領警察の部下を連れて巡回に出たエリックにささやいた。


「割り切れてなかっただけさ。不器用なんだよ、この領の住民は」


 工作員たちの目的は、クロードの死を流布し、放火や略奪によって人心と治安を悪化させることだった。

 エリックは、クロードから領警察特別警備隊長を拝命し、町の安全を託されたのだ。そんな悪行を許せるはずもなく、目星をつけていたアジトに踏み込んで、片端からテロリストたちをふん縛っていった。


「そう言えば、エリックさんとブリギッタさんは動じていませんね。意外です」

「いや、だって、アイツが銃弾浴びて死んだとか、ギャグか見間違いに決まってる。どうせ懐に忍ばせていたエロ本に当たって無事でした、とか、そんなオチだろ」

「なん、ですって……!?」


 ハサネは、衝撃のあまり葉巻を口からこぼして燕尾服のズボンを汚し、グレーのシルクハットを脱いで、エリックの顔をまじまじと見つめた。


「貴方は、辺境伯様の死を信じていない、と」

「違う。クロードを信じているんだ。俺はあいつならソフィを、ソフィ姉を託していいと思ったんだ」


 エリックの野趣あふれる顔の真ん中で輝く黒い瞳は、夜闇にも、そして、レーベンヒェルム領に忍び寄る脅威にも負けず、強い意志の光に満ちていた。


「ふふ。ならば私も信じましょう。彼にア……、我が神の加護がありますように」


 エリックたち領警察は、悲報に揺れるレーベンヒェルム領の治安を維持し続けた。この夜、領全土で、放火未遂が32件、強盗未遂が59件発生。しかし、暴動は、一件たりとも起こっていない。

 また、ブリギッタ・カーンは、父であるパウルと連絡を密にとり、財界が動揺するのを防いだ。共和国の息がかかった地方代官の中に、不穏な動きを見せた者がいたものの、彼らの暴発は政治工作によって事前に阻止されている。


 木枯の月(11月)11日の夜に緋色革命軍によって発表された、クローディアス・レーベンヒェルムの死は、後日、完全な誤報と確認された。

 しかしながら、宣伝工作の影響は大きく、レーベンヒェルム領は一見平静を保ったものの、民衆はかつてないほどに動揺した。晩年、この日の騒動についてインタビューを受けたブリギッタは、次のように回想している。


「あの日、本当に彼が死んでいたら、レーベンヒェルム領は潰れていたでしょう。当時仲が悪かった、派閥間の対立が表面化して、きっと領軍も役所も真っ二つになっていた。あの日、皆が気付いたのよ。彼が背負っていたものに――。嫌われていたし、今も嫌われているけど、案外、愛されてもいたのね」


 緋色革命軍が投じた、死の誤報という一石。

 引き起こされたさざ波は、小さくとも、確実な変化を映し出していた。



 復興歴一一一〇年/共和国歴一〇〇四年 木枯の月(一一月)一二日夕刻。

 クロードを乗せたヴァリン領艦隊の駆逐艦が、領都レーフォンに近い中規模港ディダへと入港した。

 ソーン領軍への対応を放置したまま医務室で壁を眺めていたセイは、生存の情報が入るや化粧もせずに馬に飛びのって走り出し、レアもまた病み上がりを押して領主館から駆けつけた。

 エリックが選りすぐった警備隊員と、黒虎姿のアリスが警戒する中、ソフィに支えられてクロードが船から桟橋へ降りてくる。


「棟梁殿っ」

「領主様!」


 セイは駆け寄ろうとして硬直し、レアはクロードにすがりついて膝をついた。――彼は、両の腕が無かった。


「ソフィ・”ファフナー”! 貴女は、いったいなにをしていたのです?」

「レア、僕の勝手が招いたことだ。責める相手が違う」

「そうじゃないたぬ。クロードはたぬを庇って怪我したぬ。たぬが悪かったぬ」


 レアは、クロードを傍らで支えるソフィの襟首を掴み、赤い瞳からポロポロと涙を流した。

 ソフィは、唇を動かそうとして動かせず、沈黙を続ける。黒い瞳から一筋の雫がこぼれた。

 アリスは、その光景を見て、レア、ソフィ、クロードの三人を包みこむように丸くなった。


「ごめんなさい。ごめんなさい。領主様、私は肝心な時にお役に立てなかった」

「レア、何を言ってるんだよ。なんかよくわからないけど、助けてくれただろう?」


 アリスの身体に抱かれながら、レアはソフィとクロードを抱いて号泣していた。


「……馬鹿は、私だ」


 セイの胸に炎が灯る。不甲斐ない己への怒りが、熱となって血潮を全身に押し流す。

 ソフィは、アリスは、クロードを生還させた。レアも、きっと何かを――倒れるほどの何かを行っていた。顧みて、彼女自身はどうなのか?


「棟梁殿」

「セイ、皆になんとか言ってやってくれ。セイが止めたのに、僕が馬鹿を――むっ」


 セイは、なだめようと右往左往するクロードの唇を奪うように、キスをした。

 甘く、溶けて、焼けつくような、熱を味わう。


「せ、セイ。し、舌、いま、したが」

「棟梁殿。……クロード、愛しているよ」

「セ、セイ? 何を言って」

「すぐに戻る。連中に目に物みせてやる」


 セイは再び馬に飛び乗って、領軍司令部を目指した。

 会議室にはもう誰もいない。サムエルが、ロロンが、イヌヴェが慌ただしく指示を飛ばす練兵場へと走って、兵士たちの前で深々と頭を下げる。


「勝手をしてすまなかった。私は、役目を放棄した。司令官失格だ!」


 レーベンヒェルム領の誰もが、未曾有みぞうの混乱の中で、己が責務を果たそうともがいていた。にも関わらず、セイだけが愛する男に託された役目から目をそむけて逃避した。


「私の大好きな男が重傷を負わされた。だから、仇を討ちたい。どうか皆の知恵と力を貸して欲しい」


 セイの耳に笑い声が聞こえた。恐怖が刃となって、彼女の心を切り裂いた。メッキがはげたのだ。皆に称えられる姫将様なんて、どこにも居やしない。ここにいるのは、負けて生き延びてしまった敗残者だ。ただのちっぽけな女の子だ。きっと罵倒されるだろう。蔑まれるだろう。それでも、彼女はどうしてもやりたいことができたのだ。


「セイ司令、何を言ってるんですか」

「貴女のお帰りを待ってました」

「一緒に侵略者どもを叩きだしましょうや」


「あ、ありがとう!」


 かくして、ただの恋する女の子は、再びレーベンヒェルム領の軍事を束ねる座へと戻る。

 それは、レーベンヒェルム領史に残る大逆転劇、ドーネ河の戦いが起きる一週間前のことだった。

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◆上野文より、新作の連載始めました。
『カクリヨの鬼退治』

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