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「あった……」
フィレアは資料室の一角へと近づき、目的の本を見つけた。
二度目に入った資料室の独特の臭いにはまだ慣れず、フィレアは軽く柳眉を寄せる。
背表紙に書かれている文字を確かめ、そっと引き抜きじっと見つめた。
ずいぶん昔からあったのだろう。
所々が破けており、かすれて見えない部分もあった。
「神様、とは」
しっかりと本を抱えてページをめくっていると、見出しにはそう書かれていた。
フィレアは一度双眸を閉じ、ゆっくりと開ける。そして並んだ文字を目で追った。
――神様とは。
今から数百年前、グラード国が出来てまもなく女児が生まれた。
元々女児が生まれることが少なかったため、めでたいことだと国を挙げてお祝いをした。
華を愛でるように育てられたその少女は、成長するにつれ、次々と不思議なことが起こるようになった。
まだ平和ではなかったグラード国は隣国から襲われ、反撃し、ほぼ連日が戦いに明け暮れた。けが人は次々と出て死者も数え切れないほど生まれ、下町は全壊。辛うじて生きているのはなんとか逃げ切った兵士や国王とその妻。そして、その少女。
もう敵の攻撃からは逃げられず、まともに戦うことも出来ない。このままでは死者を増やすばかりだと判断したとき、大量の怪我を負った兵士が運ばれてきた。
血まみれで何かを訴えようとした兵士の手に少女の手が重なった。ちいさな手で兵士の手を優しく包み込み、双眸を閉じる。
なにをしているのかと誰かが問おうとした時――みるみるうちに、兵士の傷が治ったのだ。
驚き目を見開いている兵士に少女は優しく微笑みかけ、そして意識を失った。
これが、ローディア家女児に伝わる〝力〟の始まり。そして、神様と呼ばれる所以の始まりでもあった。
「なに、これ」
そこまで読み終えて、フィレアは息を吐き出した。
なんともいえない感情がわき上がる。
そして、それよりも。
「戦争って、そんな……」
戦争が起こっていたことなど、まったく知らなかった。国は平和に満ち溢れ、誰もが幸せに暮らしているのだと思っていた。
けれど、それは間違いだったのだ。
昔なのだから、戦争があるのは回避できないことなのだろう。
だが平穏な生活を送っていたフィレアにはその事実でさえも戸惑いを隠せない。
平和で保たれているのは一部だけ。平穏の裏に、どんな残酷なことが起こっているのかも知らない。
皆がどんな思いで、無謀だと思っている戦いに挑んだのかも――
「こんなところでなにを?」
突然聞こえた声にフィレアは飛び跳ね、悲鳴が喉に絡みついた。
背後から包み込むようにして立つ男に視線を向け、その正体がエルダだとわかったフィレアは息を吐き出す。
「おや、それは……」
すっと細められた瞳が追う場所に気付き、慌てて本を後ろに隠した。
「あ、あのっ」
「隠してたのになぁ。こうも簡単に見つかってしまうとは」
「え?」
隠していた。
その言葉に思わず声が漏れる。
「隠してたって……」
あんなに見つかりやすいようにしておいて、隠していたと。
神様について書かれた本がないか探しているとその本はすぐに見つかったのだ。
たくさんの本があるにもかかわらず、何故か目を惹いた。主張するように置かれた本は、意図して隠されたものとは思えない場所にあった。
まるでここに来るのが分かっていたように、その本を探すと分かっていたように。
困惑するフィレアにエルダは微笑し、
「フィレア」
そう口を開いた刹那、廊下で金属音が鳴り響いた。
耳をふさぎたくなるほどの音はけたたましく鳴り、城内を占める。
「な、なにっ……!?」
「暴徒が――!! 武器を持って――!!」
簡潔な言葉を叫び、男は金属音を鳴らしながら廊下を走る。
けれどその言葉ですべて把握した人々はそれぞれの場所へと走っていく。
「フィレア、行こう」
「え?」
「ここだと危ない。さすがに城の中まで攻めてくることはないだろうけど、もしもの場合ね」
戸惑うフィレアの手を引き、エルダは資料室の扉を開けた。
その瞬間、先ほどよりも凄まじい金属音にフィレアは身をすくめる。
硬い何かで打ち鳴らしているのだろうそれは、あちこちから絶えず聞こえてくる。
「大丈夫。カイとヴェントがあたっているはずだよ。そう大事にはならないはずだ」
「カイとヴェントが!? あの、これって……」
「このまま真っ直ぐ行って、右に曲がる。そこの階段を上がった先の部屋で隠れていて」
大丈夫だと言うエルダの顔が妙に緊迫しているのを見たフィレアは問いただそうとした。けれどエルダはそんな彼女の背中を押し、走るように促す。
ちらりと背後を見ると行けというように顎をしゃくるエルダが見えた。
一瞬戸惑ったがこのままここにいても迷惑になるだけだとフィレアは言われたとおりの道を走る。
「南門!! 暴徒の数は――」
部屋に滑り込む直前、そう叫ぶ兵士の声が聞こえた。
侵入を防ぐために閉ざされた南門には、城を守るようにして立つカイとヴェントの姿があった。
「出来るだけ気絶で済ませろよ」
「あぁ、わかっている」
二人の見据える先には、それぞれ武器を持った男たち――暴徒がいる。中には武器を持たず素手で挑もうとするつわものもいた。
殺気立った目で睨みつける暴徒は今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だ。
カイはちいさくため息を漏らした。
こういったことはよくある。
国にたいしてなのか理由はさまざまだが、こうやって時々攻め込んでくる。どんなに力の差があったとしても、懲りずにまた違う輩が攻めてくる。
極力怪我を負わせずにしているのだが、こうも何度も攻められてはいい加減本気で打ち負かしてやろうかと思う。
低く、独特の構えをとったカイはちらりとヴェントを見た。
「お前は左側担当な」
「了解」
短く指示され、ヴェントもまた構えを取る。
その瞬間二人の纏う雰囲気が変わったことを読み取ったのか、暴徒は武器を持つ手に力を込めた。
そして同時に地を蹴り――
「待て」
交戦する寸前、低い男の声が耳朶を打った。