<10>
男は荒々しく舌打ちする。
光を失っていく路地裏を突き進みながら、男は小さく悪態をついた。
「記憶失ってんじゃねぇのかよ」
デマだったのかと眉をひそめるが、あいつの情報は正確だと思いなおす。
ならば。
「……記憶を失ってても、所詮は同じか」
男はぬるく笑う。
女――フィレアの瞳は本気だった。
張り詰める空気も、フィレアが出す存在感もすべて、懐かしい記憶と重なる。
守られてばかりの、弱い少女だと思っていた。
実際記憶をなくしてからのフィレアは常に周りに人がいて、守られ、そしてその中で彼女は小さく丸まっていたのだ。何も出来ない、弱い少女。
不思議な力を持ったばかりに神様と奉られ、頑丈な檻の中で戦いが終わるのを待っている。
――そう、思っていた。
だが違ったのだ。今日会ったフィレアという少女は、迷いなくカイと自分の間に入ってきた。
凛とした空気。有無を言わせない言葉とその眼差し。
すべてが男の思っていたフィレアという少女とはかけ離れていた。
「楽しませてくれんじゃねぇか」
クツクツと喉の奥で笑う。
一度剣を弾いた少女だ。もう一度手合わせをしてみたい。
だが、そうするにはまずあの二人の撃破が絶対条件となる。カイという男は挑発に乗ったが、もう一人の男はわからない。
手出しをするでもなく、後方でフィレアを守るようにして立っていただけだ。
「……あいつに言えば、何人出してもらえるかな」
男の脳裏に、巨大な剣をいとも簡単に振り回す男がよみがえる。
カイに言った言葉は嘘だ。刺した感触も、その時の彼女の表情など知らない。
だが、それは見ていたのだ。
あの男の後を追って見たものが、カイの心を揺さぶるものだと知っていたから。
だから、嘘をついた。
遠く離れていた男にも届いた血臭。穏やかな風に乗って運ばれてくるその匂いの正体は、無造作に横たわっていた。そして、それを下卑た笑みとともに見下ろしていた人物も。
「――待ってろよ」
にたりと男が笑う。
あいつが殺し損ねたのなら、自分が殺せばいい。
「引きずりだしてやる」
残酷で、けれど己の欲望に忠実な顔をした男の声は、暗い路地裏に消えた。