<9>
空気が裂く。
剣が頭上をかすめ、男は体制を低くして剣を横に薙ぐ。けれどそれを見逃さずカイは後ろに飛びず去った。
張り詰める空気が路地裏を支配する。
声をかけたいのにそれすらも出来なくさせるような空気だ。
フィレアは守るようにして立つヴェントを見上げた。
じっと見つめる先には対峙するカイと、カイの両親を殺したという男。ヴェントはカイをとめる様子もなく、この戦いをじっと見つめている。
「……カイ」
ぽつりと呟いた言葉は再び剣を交えた音にかき消された。高い金属音が響き、どちらも引く様子はない。
どうしてという思いが広がる。
どうしてカイは戦っているのだろう。両親のためか、自分のやりきれない思いのためか。
ただ剣を振るうカイの思いが、わからなかった。
「……ヴェント」
「フィレア?」
斜め前に立つヴェントをそっと手で押しのける。
止めようとするヴェントを振り切り、フィレアは駆け出した。
「――そんなもんかよ? 〝神様〟を守る守護者ってのも、所詮名前負けだなぁ」
にたりと男が笑う。
歯をむき出しにして笑うその姿は気味が悪く、ぎらつく瞳はカイを離さない。
安い挑発だなと思う。
カイは剣を構えた。乗ってやろうと思った。手加減してこいつを斬りつけたとしても、死にきれないだろう。頬や腕に咲く赤い花。深手ではないものの、痛がる素振りすら見せないのを見ると、痛みを感じないのか。
どちらにせよ、普通ではないのは確かだ。
男はカイを見て口角を上げる。
「これじゃあ守れねぇぜ――あの時みたいに」
ぴくりとカイの眉が動く。
乗ったな、と男は心の中でほくそ笑んだ。
「よーく知ってるぜ? 俺は。あの時あいつがどんな風に斬られたかも――」
男は言葉を切り、見せ付けるように剣をちらつかせる。
「斬った感触も、な」
カイの目の色が変わる。
ぎろりと容赦なく睨みつけるカイは一切の感情を隠そうともせず目の前の男を見据えた。
――こいよ。
そんな状態で戦ったところでたかがしれてる。
そんな思いを乗せて、男は歯をむき出しにしてひどく歪に笑った。
深く息を吸い込んで、カイが足を踏み出した瞬間――
「止まりなさい」
凛とした、それでいて懐かしいような声が鼓膜を揺らす。
はっとして振り返ると、そこには恐れることなく立つフィレアがいた。
「カイ、剣をおろして」
ゆったりと歩いてくるフィレアは、張り詰めた空気を気にするまでもなくカイと男に歩み寄る。
「……き、危険です。下がっていて――」
「命令です。剣を収めて下がりなさい」
きっぱりとした口調。
まっすぐ見つめてくる瞳には一切迷いがない。
呆気に取られているカイの前にフィレアが立つ。
「あぁ? 姫様の登場ってか? それか、あんたが相手してくれんの?」
「――今日は引いてもらえませんか」
「あ?」
「引いてください」
「ふぃ、フィレア様……!!」
焦ったように声をかけるカイを無視し、フィレアは乾いた笑い声を出す男を見つめた。
「引く? あんた今の状況わかって言ってる? ここで大人しく引く奴がどこにいるかよ……!!」
一瞬で剣が振り下ろされる。
次いで金属音が鳴り、弾かれた剣が音をたてて地面に跳ねた。
男は片手を掴んで眉を寄せ、フィレアを睨みつけた。
彼女の手には装飾品とも見間違うほどの優美な短剣が握られていた。フィレアめがけて振り下ろされたその剣を、彼女は短剣一つではじき返したのだ。
「もう一度言います。引いてください。……今は」
弾かれた衝撃で腕が痛むのか、男は手を包み込んだままフィレアを睨む。
「カイと戦いたければ王城に来ればいい。ただしその時は、全面的にあなた方と戦います」
「……はっ、平和をうたう国なんじゃなかったのかよ? そんな自分から戦いますだなんて、民が聞いたらどう思うだろうな」
「あなた方との戦いは避けられないのでしょう? だったら、戦います」
「そっちの兵士の数なんか俺らの数の半分もいかねぇだろ。それでよく――」
「二人います」
ぴくりと男の眉が動く。
「二人――カイとヴェントが。それで十分です」
そう語るフィレアの声は、二人を心から信頼しているのだと知れた。
まっすぐ男を見つめる瞳に迷いははなく、そして何より強い。
「……それは楽しみだな」
ふっと男が笑い、
「じゃあ近々攻めるとするよ。そっちの兵士の倍――いや、数倍用意してね」
ひらりと踵を返す。
その背中に飛んでいこうとするカイの腕をフィレアが掴む。
「フィレア様――」
フィレアは首を振る。
「帰ろう」
厳しい視線をといて、ふわりとカイに微笑んだ。