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楽園の果て  作者: みづき
三章
25/28

<8>

 青い空に鳥が羽ばたく。

 それをぼんやりと目で追って、フィレアは息を吐いた。

「どうしよう……」

 今日もまたダヴィンのもとへは行けないだろう。

 何の解決策もないまま行ったところで現状は変わらない。

 ため息を吐く女主人に、エレナは心配そうな顔で覗き込んだ。

「フィレア様? どうかなさいました?」

「ううん……」

 ゆるく首を振り、フィレアは窓の外に視線を移す。その様子に、エレナがますます不安そうな顔をした。

 窓から見えた城下の様子に、フィレアは思い立って椅子から立ち上がる。

「エレナ、城下町に行ってくるね」

「えっ」

 気分転換をしなければ。

 部屋に閉じこもってばかりでは良い解決策など見つからないだろう。

 そもそも、解決策などあるかも疑わしいのだが。それほど、父親と娘の間の亀裂が深い。

「カイとヴェントは忙しいって言ってたから、一人で行く」

「だめですよ! フィレア様っ!!  お一人でなど……だったら私も同行します!」

「え? エレナは仕事があるから、私一人で――」

「いけません!!」

 絶対に首を縦には振らないエレナとの言い合いをすること十分。

「わかりました。ですが、危険な場所には絶対に近寄ってはいけませんよ」

「うん」

 カイに対して過保護だという彼女も、彼ほどではないが少し過保護気味なところがある。

 けれどそれはフィレアのことを思ってだとわかっているフィレアは素直に頷いた。

 念のためにカイから受け取った短剣を服で隠し、ベルトに固定する。こうすれば人目にはつかないしいざという時にすぐに抜ける。

 フィレアはそれを服の上から確かめて、どこか複雑そうな顔をするエレナに小首をかしげた。

「どうしたの?」

「……いえ」

 首を振るエレナに怪訝な表情で見る。

 しかし彼女はなんでもないと言ってフィレアを見送った。

 城下町に出ると熱気が一気に押し寄せる。

 人で埋め尽くされる道は慣れていないとまともに歩けないほどで、以前はヴェントが道を作ってくれたものの今は一人である。

 フィレアは人の波にさらわれないよう注意して端のほうを歩いた。

 壁伝いに歩けば流される心配もなく、寄りかかっていれば少しの間くらいは波をやり過ごせる。

「どこ行こう」

 散歩がてら出てきたためお金など持って来ていない。

 暇だから、何もすることがないから出てきたのはいいが――少しくらい持っておけばよかったと後悔した。

 フィレアは視線を上げる。

 活気に満ち溢れた町は眩しく、時折賑やかな子供の声まで聞こえてくる。

 果実を豊富にそろえた店や日持ちのする食べ物から香ばしい匂いの漂わせる露店――その何もかもが、ほんの数日前に見た光景だった。

 けれど、何かが違う。

 ヴェントといた時と何も変わらないはずなのに、どうしてか少し寂しく感じた。

 一人でここにいることに、なぜか寂しい。

「……だめだな、私」

 傍に寄り添ってくれる温もりが当たり前になっているのだ。

 誰かがいてくれて支えてくれることが常だった。それに恐縮さえするが嫌だと思ったことはなく、それを受け取っていた。

 人が溢れかえる中でぽつりと佇むフィレアはそんな思いを軽く頭を振って消し去り、流されないよう注意しながら足を進めた。

 胸元で小さく鳴る金属音に安堵する。

 それを取り出し確認して瞳を細め、

「きゃっ」

 硬い何かにぶつかってちいさく悲鳴をあげた。

「す、すみません!」

 うかつだった。

 人ごみの中で下を見て歩くなどそれこそ人の波に流される。その通りを避けて少し出たところにいたのだが、それでも足元ばかりを見るのは危険だった。

 もう一度謝ってぶつかった場所を擦り、視線を上げるとこちらを見つめる男と目が合った。

「あぁ、悪い」

 薄汚れた服を着た男はがしがしと頭をかく。

 フィレアはちいさく頭を下げて男の横を通り過ぎ、ふと胸元を触って足を止めた。

 いつもそこにあった感触と重みを感じられず、確認のために視線を落とし、愕然とした。

 そして反射的に振り向く。

「……待って!」

 先ほどぶつかった男は概に走り出し、その手にはいつも身につけてある、カイから貰った大切なネックレスが握られていた。

 おそらくぶつかった時にとられたのだろう。

 フィレアは咄嗟に後ろを振り向き――そしてはっとして唇を噛んだ。

 今フィレアが望んでいる人影は見当たらない。脳裏にちらつく影に無意識に頼ってしまった自分が情けなく、そう思ったのと同時に地面を蹴る。

「待って!!」

 叫んでも男は立ち止まらずに走り続ける。

 細い路地に入るのを見て一瞬戸惑い、けれど迷わず後を追った。

 徐々に奥に迷い込み、騒然としていた人々の声が聞こえなくなる。さらには光すら届かず薄暗闇の中フィレアは進んだ。

 音が止まる。

 走り続けていた男が立ち止まったのを確認して、もう一度口を開いた。

「返して」

 フィレアはそっと双眸を閉じ、服の上から短剣に触れる。そして固定された短剣に直接触れ――前方を見た。

 ちらちらと見えるのは光に反射したネックレス。

「返しなさい」

 語尾がきつくなる。

 ゆっくりと姿を現した男はにやりと笑う。

「やだね。安っぽいが腕のいい奴が作ったんだろう。それなりのところで売れば高く買ってくれる」

「返してっ!」

 とっさに手を伸ばすがさらりとかわされしまう。

 あれは大切なものだ。

 カイから譲り受けた、大切な――。

「……どこかで見たことがあると思ったら……ちっさいガキがぶら下げてたっけなぁ?」

 男がぽつりと呟く。

「……え?」

「十数年ほど前――過去最大の暴徒事件」

 フィレアは目を見開く。

「カイの、こと?」

「――カイ? あぁ、確かそんな名前だったか。父親が叫んでてうるさかったんだよ」

 そのときのことを思い出したのか、男は眉をひそめる。

 フィレアは素早く男を見、腰にぶら下がっている剣を視界にとどめた。

「暴徒……。あなたたちがその事件を?」

「あぁ。女子供まとめてな。その中で生き残った奴なんていない」

 男が剣を抜く。

 少し刃こぼれをおこしているが、フィレア一人くらい簡単に殺せるだろう。

 ひらめく剣を見て何かが脳裏を掠める。

 かかげられた剣を持っていたのは一体誰だったか。

 動かない体では抵抗することも出来ず、けれどその姿だけはしっかりと見つめていた。

 その姿を目の前の男と重ね合わせ、フィレアはとっさに短剣を抜いた。

 容赦なく降りてくる剣を受け止めようとし――

「すまない、遅くなった」

「お怪我はありませんか、フィレア様」

 くぐもった声と同時に聞きなれた声が耳朶を打つ。

 フィレアを守るようにして立つのは、無意識に探し求めた二人の影。

「カイ、ヴェント……なんで」

 城下に出るとは言っていない。

「エレナが言いに来てくれた」

 ヴェントはそっとフィレアの手を包む。はっとしたフィレアは視線を落とし、その手を下げた。

 鞘から抜いていた短剣を戻し、低い唸り声を発する男に視線を移す。

 血は出ていない。おそらく柄で打ったのだろう。

「フィレア様。なぜこのようなところへ……?」

「……とられたから。カイに貰った、ネックレス」

 フィレアは視線を落とす。

 うかつだったのだ。ああいう輩は簡単に人から物を奪う。

 もっと注意深くしていればよかった。

「ネックレスを?」

「ごめん」

 カイは腹部を押さえる男を見て、瞳を細める。

 その手には執念深くフィレアから奪ったネックレスが握られていた。

「お前、それを返せ」

「……はっ。どいつかと思えば、あの時のガキじゃねぇか」

 ゆらりと上半身を起こす男は薄く笑う。

 あの時はほんの幼子だった。けれどよく見れば、その顔には面影がある。

「よく覚えてるぜ? 突っかかってきてよ……加えてちょこまか逃げ回るからあの時殺し損ねたんだ」

 カイの表情がわずかに変わる。

 それを見たヴェントはフィレアを後退させ、庇うように前に出た。

「だから――今殺してやるよ。後ろの奴も一緒になぁ」

 にやりと笑うその姿はどこかずれている。

 人を殺すことに躊躇いもないのか、罪悪感も感じないのか、男はひどく不気味に笑う。

 その狂ったような姿を見てカイは瞳を細めた。

「ヴェント、フィレア様を連れて先に戻れ」

 彼女に血なまぐさい所は見せられない。もともとフィレアは、こういったことが似合わないような少女なのだ。

 その言葉を受けてヴェントが手を取って連れて行こうとすると、

「カイ!」

「フィレア」

 ヴェントを振り切ってフィレアが叫ぶ。

「だめ!!」

「……」

「カイ……!! だめ、殺さないで!」

 この状況でもなお、フィレアは願う。

 殺さないでと、傷つけないでと。

「ね、ネックレスだけ取り返してくれたらいいから!」

「……わかってますよ、フィレア様」

「カイ!!」

 だめだ。

 フィレアは揺れる瞳でカイを捕らえる。

 先ほどからカイの様子がおかしい。

 背を向けて大丈夫だというカイは、静かなようで怒っている。

 きっと、それはおそらく。

「俺を殺すか? いいぜ、来いよ。お前の両親を殺したのは、俺だ」

「……」

 ぴくりとカイの肩が揺れた。

 隣でヴェントが行こう、と手を引く。

「だめ……だめだよ、カイ」

 フィレアは必死に首を振る。

 どうしてこうなったのだろう。

 自分の配慮のなさの行動が、今更ながらに恨めしい。

 どうしてなのだろう。どうして、いつも自分がした行動で彼らが傷付くのか。

「私はっ……」

 カイに、傷付いて欲しくはないのに。

「フィレア。ここにいたら巻き添えになる」

「でも、ヴェント。あのままじゃカイは……」

 きっとあの男を殺す。

 あの男に殺された、両親の姿を思い浮かべて。

 両親を殺したという者を目の前にして、普通にいられるわけがないことは分かっている。

 そしてそれはカイも同じで、自分たちがここからいなくなった途端に斬りつけるだろう。

 男を見据える瞳は燃えるような憎悪に染められている。

「これはカイの問題だ。無差別に民を殺すことは許されないが、相手はそれなりの奴だ」

「そんなことっ……」

 だめだ、絶対に。

 許すとか許さないの問題じゃない。

 フィレアはヴェントの腕の中から抜け出す。そしてカイに走り寄ってその腕を掴んだ。

「やめて! ねぇ、帰ろう? カイに人を傷つけて欲しくない」

 所詮きれい事。城にまで攻めて来た暴徒を抑えてくれたのは紛れもなくカイなのに、今は傷つけて欲しくないと言う。

 フィレアはぎゅっと目を閉じる。

 それでもいい。奇麗事だと言われてもいい。

「カイ……」

「どうした? こねぇんならこっちから行くぜ?」

 剣をちらつかせる男は歪に笑う。そして切っ先をカイに向け、続けてその腕にしがみつくフィレアにあわされた。

「そっちの女も――な」

 ぞくりと悪寒が背中を走る。

 この男はおかしい、どこかずれていると思っていた。

 フィレアは薄く笑う男を見つめた。

 この男は笑っている。こんな状況下でもなお、楽しそうに笑っているのだ。

 剣を合わせればそれは命のやり取り。一瞬の隙も見せてはならない。それは同時に自分の死へと繋がる。

 けれど男は楽しそうに、そんなやり取りですらも楽しそうに笑う。

 狂っているのだと、フィレアは思った。

 この男は他人を傷付け、そして自分を傷つけられて喜ぶようなやつなのだ。端から命のやり取りなど存在していない。

 一瞬の逡巡も、切っ先がかすめ、皮膚を破るその感覚も、お互いどう出るかを見極める――そんなひとつひとつの戦いが、楽しくて仕方がないのだ。

「フィレア」

 低くくぐもった声が聞こえた。

 はっとして顔を上げると、カイはこちらを見つめて微笑んでいた。

「カイ……?」

 その、笑みする表情の真意はなにか。

 何かが崩れ去ってしまう恐怖を、フィレアは感じた。

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