<6>
「暇だなぁ」
廊下を突き進みながらアーシスは呟いた。
このまま用意された部屋に戻ってもいるのは侍女だけで、たいして暇をつぶせそうなものはない。アーシスにあてられた客室は調度品とほとんど何も入っていない棚くらいしかないのである。
カイは先ほどの通り仕事に忙しく、ヴェントは鍛えるといってどこかへ行ってしまった。
「フィレアもいないしなぁ……どこにいるんだろ?」
ぶらぶらと歩くアーシスはふと自国に戻ろうかと考えた。
だが、戻っても兄に鬱陶しがられるだけで、仕事も任せてもらえない。それに、フィレアの記憶も戻ってはいない。
できれば傍で記憶が戻るのを待ちたい。
「でもあんまりいるとまたカイに文句言われるしなぁ」
そうぼやきながら、アーシスはふっと息を吐き出した。
――同時刻。
フィレアはぎしぎしと悲鳴をあげる資料室の扉をくぐる。
独特の空気が抜けてほっと息をつく。
持って行こうかと悩んだ手元にある本を抱きしめて、視線を上げ――立ち止まった。
「え、エルダさん」
「フィレア、何してるの? 資料室で」
調べものをしに来たのか、眼鏡をかけたままエルダが小首をかしげる。
それにフィレアは曖昧に頷いた。
「はい、ちょっと」
「ふうん」
「……あの、お父さんの部屋ってどこか知ってますか?」
エルダを見上げて問う。
エルダはフィレアの腕の中にある本を見て目を細めた。
「見たんだね。こうも早いとは思わなかったけど」
「え?」
「ダヴィン王のところに行ってどうするつもり?」
じっと見据えられてフィレアは後退する。無意識に、カイからもらったネックレスがある場所を握り締めていた。
「わ、私は……」
「行ったとしてどうなるだろうね? 君は何も知らないのに」
細められた瞳から視線をそらすことができず、フィレアはただ固まっていた。
――行ってどうなる?
こくりと喉が鳴る。
話さなければ。
何をと考えるまでもなく、ただ話さなければと気だけが急く。
ヴェントが言った言葉。その意味を聞いても答えてくれず、その話をするとやんわりと逸らされてしまう。
「ただそこに書いてあったことからの推測にすぎないんだ。フィレア」
けれど、それでどうなるのだろう。
ただ嫌っている理由は知った。だが、それでどうなるのか。
話し合ったところで何かが変わるのだろうか。
「フィレア。何も知らないんだ、君は」
伏せ目がちのエルダの顔を見ても、感情は読み取れなかった。
「何も知らないわけじゃないです。……ちゃんと、知ってる」
「――何を?」
フィレアは抱えていた本を強く抱きしめる。
「お父さんが、お母さんが死んだのは私のせいだって思ってること――それから、代々受け継がれるこ力を嫌ってることも」
「それだけかな? それだけだと思うかい?」
フィレアは思わず眉を寄せる。
ヴェントといい、エルダといい――何かを知っているような口ぶりだ。
おそらく、自分には知らないこと。
「何を知ってるんですか? お父さんのこと」
「知ってるよ、長い付き合いだからね。でも、それは自分で見つけないと」
ね、と微笑んだ。
そしてエルダは小さく口角を上げた。
「記憶、ないわけではないんだろう?」
フィレアはぐ、と口をつぐむ。
――記憶がないわけではない。
カイの怪我を治した時、ずるりと何かが入ってきた。おそらく、失った記憶。
けれど全てを思い出したわけではなく、知らなければならない、思い出さなければならないところだけがごっそりと抜け落ちている。
一番、大切な部分が。
「どうしてカイたちに教えてあげないの? きっと喜ぶと思うんだけどなぁ」
フィレアは唇を噛む。
「……まだ、言わないんです」
「どうして?」
「全部を思い出したわけじゃないから」
そう、大切な部分だけが――そこだけが、どうしても思い出せないのだ。
とても大切なこと。
そしてなにより、残酷で悲しいこと。
けれどそれでも、思い出さなければならない。
失った記憶が、この国の未来を握っている。
「時間がないんです」
だから、父の部屋に案内して欲しい。
そう訴えるとエルダはおかしそうに口元を緩め、
「何を知ってるんだろうねぇ? 全部を思い出してなくても、結構きてると思うんだけど」
「……」
「まぁいいや、おいで」
ひらりと踵を返す。
案内してあげると言ったその背中を少し見つめ、フィレアは深呼吸をしてその後を追った。
時間がない。
それはただの予感。
けれど急がなければいけない。早くしなければ、きっとあの人は――。