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「綺麗に咲いた……よかった」
柔らかな笑みを浮かべる少年は、水の入ったジョウロを備え付けの棚に置いた。
温室には丹精込めて育てられた花々が綺麗に咲き誇っている。
自分を主張するように咲く花や、しっとりと、小さいながらも鮮やかな色を見せる花など、実に数十種類の個性豊かな花が植えられていた。
それらを手入れするのも、育てるのもすべてカルサがやっている。
「あ、これフィレア様の部屋に合いそうだな」
ピンク色に咲く花をそっと触る。
白で統一された城内は、部屋ももちろん白だ。
フィレアの部屋に合いそうな花を見つけたカルサは、これを持っていこうかと考えた。
彼女に似た、鮮やかなピンク色の花。
優しげな眼差しや、けれどどこか凛とした雰囲気が脳裏に浮かんだ。
「フィレア様、今部屋にいるかなぁ」
一方、フィレアは城内を歩いていた。
広い廊下にはフィレアの歩く音と、微かに聞こえる金属音。
「え、えっと……どこ、ここ」
目の前にはどこまでも続きそうな廊下。
エレナに案内してもらった道を通っていったのだが、なぜかこんな所についてしまった。
フィレアはがくりと項垂れる。
迷子だ。
それも、以前自分が住んでいただろう場所で。
移動の時は常に誰かと一緒だったため、道など意識していなかった。
はぁ、とため息をついて、引き返そうかと考える。
だがどこから間違っていたのかも分からないのだ。戻ったところで今度は部屋に辿り着けないかもしれない。
「こんなときに限って、誰もいないんだから」
いつもは騒がしいほどに歩き、走り回る人々が見当たらない。道が分からなければ誰かに聞こうと考えていたフィレアは再度項垂れた。
この道を普段使わないことを知らない彼女は、もう一度辺りを見渡す。
「誰かいないかなぁ……」
そうつぶやいたとき、前方にわずかに人の影が見えた。
廊下を横切ったのだと分かったと同時にフィレアは床を蹴る。
元々動きやすい服装を選んでいたからなのか、すんなりと歩いていた人を捕まえることが出来た。
「待ってっ!!」
「ひ、姫様?」
手に大きなバスケットを抱える女の袖を掴む。
「姫様?」
フィレア様、としか呼ばれていない彼女はその言葉が向けられた相手が誰なのか一瞬分からなくなった。
エレナと同じく邪魔にならないようにとまとめられた黒髪を揺らした侍女がフィレアに向き直る。
「どうかなさいましたか?」
「あ、道に迷っちゃって」
すこし頬を赤らめるフィレアに、侍女が優しく微笑む。
「広いですからね、私も最初はびっくりしました。迷ってばかりで」
仲間だ、とフィレアが思ったのは一瞬で、
「でも、一日で覚えました」
と女が言ったのを聞いてフィレアは軽く項垂れた。
一日で覚えられるものなのか。
「あの、よければ案内しますが――どちらに?」
「えっと……資料室に」
「資料室、ですか? なぜそのようなところへ……調べものかなにかで?」
「うん、ちょっとね。お願いしてもいい?」
「はい。もちろんです」
女はにっこりと快諾した。
「姫様は、エルダ様のことどう思います?」
資料室へと続く廊下を歩いていると、侍女が口を開く。
両手にはフィレアが持とうかと申し出したがやんわりと断られたバスケットがしっかりと抱えられている。
溢れんばかりのバスケットの中身はすべて洗濯物らしい。
「どうって?」
質問の意味が良く分からず、フィレアは小首をかしげた。
「エルダ様、すごく格好いいじゃないですか。身長も高くて、優しくて、でもちょっと謎のあるところとか……!! 私たちの間でも結構人気があるんですよ」
ほんのりと頬を染める彼女は、どうやらそういう人がタイプらしい。
フィレアはエルダの姿を思い浮かべてちいさく頷いた。
優しげな物言いに、加えてあの容姿だ。人気があるというのもよくわかる。
「もしかしてエルダ様に会いに?」
「え?」
「あ、フィレア様にはカイ様がいますよね」
「え? ……カイ?」
話の方向がよくわからず、フィレアは首をかしげる。
「カイ様もすてきですよねぇ。ヴェント様も一見クールですが気に掛けてくださることもあって……」
ほう、と先ほどと同じく頬を赤らめ、二人を思い出しているのか口元が緩んでいる。
置き去りになったような感覚のフィレアは呆然と見上げた。
「な、何の話?」
「カイ様と、付き合っておられるんでしょう?」
にっこりとしてそう告げられ、
「……ち、違うよ!?」
驚きの混じった否定の言葉を叫んだ。
何をどうすれば、そんな話になったのかも理解出来てない彼女は首を振る。
「ですが、かなり親しいようでしたけど」
「ち、違うっ! 付き合ってなんて――!!」
「あぁ、ヴェント様とでしたか?」
「え、ちが……」
「ヴェント様ともいい雰囲気でしたものねぇ……」
「や、だからっ……!!」
「お幸せになってくださいね。あ、着きましたよ、フィレア様」
いつの間にか資料室の扉の前まで来ていた。
まったく話を聞かなく、一人で盛り上がっていた女はちいさく会釈をして踵を返す。
その姿を見つめ、盛大にため息をついた。
「誤解されたまま……」
誤解を解いたほうがいいかもしれないが、これ以上下手なことを言って話しが膨らんでしまうかもしれない。
それならこのままでもいいかという気になってくる。
「っていうか……なんでカイとヴェントが?」
しきりに首をひねって、ぎしぎしと音の鳴る資料室の扉を開けた。
途端に立ち込める埃や本の独特の臭いがしてフィレアはわずかに眉を寄せる。
壁に貼られた資料室の案内図を見て、歴史と書かれた場所に歩を進めた。
「いっぱい……」
隙間なく納められた本はすべてこの国の歴史に関しての記録だ。数にして数十冊。ずいぶん昔のものもあり、表紙は薄汚れ、本自体も歪んでいる。
その中から一番新しい本を取り出した。
それはフィレアの母親――アリアが神様としての能力に目覚めた時からの記録。フィレアの父親であり、アリアの夫である現国王のダヴィンと婚約を結んだことも、フィレアが生まれたときのこともこと細かく書き記してあった。
そこを指でなぞって、
「やっぱり」
フィレアが生まれ、その引き換えとして死んだアリアのことが書かれているところから先の記録がない。すなわち、フィレアが神としての能力に目覚めた時からのことが一切書かれていないのだ。
隠ぺいか、意図的に切り捨てたのかと一瞬考えて、けれどそのどれでもないと首を振った。
きっと、それはおそらく――
「お父さんが、やったんだ」
そう指示したのかはわからないが、そう仕向けたのは間違いなくダヴィンだろう。
記憶を失い、目覚めてもなお顔を見にくることすらしなかった父親。嫌われているのだとおおよそ予想はついていた。
仕事で忙しく来れないのではない。エレナたちが言っていたように、部屋に引きこもっているのはフィレアの顔が見たくないから。
アリアの命と引き換えに生まれてきた自分のことを誰よりも嫌っているのは、きっと父親であるダヴィン。
フィレアはそろりと視線を上げる。
アリアが死んだ時のことが書いてある場所を読んで、瞳を伏せた。
――フィレアを出産した時、フィレアは死にかけだった。どの手を尽くしても無理だと判断された時、迷わずアリアは自らの力を使った。
死にかけの子どもを救う代償はあまりにも大きく、元々のアリアの体力と掛け合わせても、命と引き換えに救う他なかった。
彼女の命と引き換えに生きることができたフィレアを、ダヴィンがまともに見ることがなかったのはそのせいだろう。
疎んでいたのだ。
他の誰よりも、何よりも。
この代々伝わるという能力を。命と引き換えに、他の誰かを救うことができるその力を。
「それで私が、生き残ったから」
本当はわが子の成長を隣で見続けられただろう彼女は、抱きしめることも叶わず死んでいったのだ。自分の命と引き換えに、わが子を守って。
「――お父さん」
ぽつりと呟いた言葉は、今まで一度も顔を見たことのないただ一人の父親に向けられていた。