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「みてみて、ヴェント!」
初めて降りた下町は活気に満ち溢れていた。
ヴェントに案内されながら商店街に入ると、そこはもう人で埋め尽くされていたのだ。
はしゃぐフィレアの隣にそっとヴェントが並ぶ。
「どうだ? 初めての下町は」
「凄い楽しい! 皆元気いっぱいって感じで」
両側に並んでいる店の店主は皆そろって大声を出し、商品の宣伝をする者や道行く人を捕まえて何かを告げたりしている。
賑やかで――けれどその声がうるさいとは感じない不思議な空間だった。
「そうか。どこか行きたい場所はあるか?」
「うーん……ヴェントは?」
「俺はいい。フィレアは行きたいところとか見たい場所とかはないのか?」
「だって決めてないんだもん。みんなのお土産はあとで買うんだけど」
うーん、と唸るフィレアを見てヴェントは思案気に眉をひそめ、
「じゃあ服屋に行くか」
「え?」
人ごみにはぐれないように彼女の手を握る。
一瞬強張った手を迷いなく引き、ヴェントは人を避けながら器用に目的の場所へと進んでいく。
「ヴぇ、ヴェント! 服屋って?」
「以前フィレアがよく行ってたところだ。今着てる服を買ったのと同じ店」
ちらりと自分の服を見下ろす。
以前の彼女のお気に入りだったという服は、今のフィレアも気に入っている。
動きやすくシンプルで、特に目立つ装飾もない。
派手なものが苦手なフィレアにとってこの服は大のお気に入りなのだ。
「きゃっ……」
体がつんのめる。
ぐらりと倒れそうになった体は前を行ってたヴェントにそっと支えられた。
自然と腰に手を回すその仕草にフィレアは体を強張らせた。
「大丈夫か」
「あ、うん。ありがとう」
「悪い。歩くのが速かったか」
耳元で聞こえる低い声にまたびくりと震える。
ヴェントに抱きしめられているこの状態では顔が上げられない。
密着し、目の前にあるしっかりと鍛え上げられたのがわかる胸板を布越しに感じてフィレアの頬が徐々に赤くなっていく。おまけに、耳元でヴェントの声がするのだ。
男の人とここまで密着したことがないフィレアにとって、ヴェントに支えてもらっているこの状態だけでも混乱した。
不審に思われないように極力自然に離れる。
「人多いね」
行き交う人は慣れたように人ごみを歩いている。
気を抜くと流されてしまいそうだ。
道の真ん中に立ち止まっているフィレアとヴェントには目もくれず、そして当たらずに人々は目的の場所へと足を進めている。
日常茶飯事なのだ。下町に住む者は皆生まれたときからそうやってここを歩いているのだろう。
「いつもこんな感じだな。――フィレア、立ち止まってると危ない。行こう」
「うん」
そろって足を踏み出すとフィレアの手が大きく包まれた。
驚いて見上げると、ヴェントが優しく見下ろしてくる。
「はぐれると大変だから」
軽く手を引いてフィレアの負担の無いように道を作ってくれた。
何度も来たことがあるのだろう。慣れた足取りで人ごみを進んでいくヴェントのおかげでフィレアはつまづくこともなく目的の服屋へとたどり着けた。
「ここが?」
大通りを抜けて細い路地をいくつか曲がった所にある店は、客を呼び込もうという雰囲気はまるでなかった。
人目につく場所ではなく、入り組んだ路地の先にある服屋は簡素な屋根で覆われている。
「久しぶりだな」
不意に声が聞こえて慌ててフィレアは店の奥に視線を移した。
ゆるりと近づいてくるのは五十半ばの男店主だった。
「今日はカイと一緒じゃないんだな」
「あぁ。今日は俺が同行している」
「そうか、前に注文してあったのが出来たんだが……持っていくか?」
「頼む」
あいよ、と頷いて店主は店の奥に消えていく。
それを見計らってフィレアはヴェントに近寄った。
「今の人、知り合い?」
「ここの店主だ。よくここで買っていたから、フィレアのことも知っている」
驚くフィレアを促して、ヴェントは店に足を踏み入れた。
これといって広いわけでもない店の中には服で埋め尽くされていた。
女物から男物まで揃っており、端のほうにある服は長い間動かされていないのだろう、埃を被っている。
ここにあるもの全てが売り物なのかわからないが、ざっと見たところフィレアの今着ている服と同じようなデザインだった。
特に目立つ装飾もない、質素な服。
「お気に召したものはあったか」
きょろきょろと大量の服を見ていたフィレアははっと顔を上げた。
見ると男店主がこちらを見つめている。
「ここにある物は貴族が着るような豪華なものじゃないが、生地だけは一級品だ」
と、手に持っていた服を広げる。
「これが注文してたやつだ」
ふわりと広げられた服は見せの中にあるものと同じく質素で簡素なもの。
けれど、フィレアの好みのデザインだった。
特に目立つ装飾はないものの、その生地は見るだけでいいものだと分かる。
動きやすいように調整された丈は走っても躓かないだろう。
「姫さん、相変わらずこういうの好きなんだな。神様なんだからもうちょい派手なもんでもバチはあたらねぇんだろうに」
ちらりと手元の服を見てこちらに視線をよこす。
「その服も俺の特注品だ。特別に作ってやったやつだ」
以前この店に訪れた時、思ったものが無かった為に特別に頼んだのだ。
簡単には切れず、汚れにも強くて機能性が高く動きやすいもの。
かなり我侭な注文だが男は笑って受け入れてくれた。
「あんなに熱心に注文してたからな。俺も腕によりをかけてって……あれから姫さんはどうなった?」
「いや……」
「記憶を失ったことと関係あるんじゃないのか?」
「……」
「ま、言いたくないならいいけどよ。――姫さん」
突然名を呼ばれてフィレアは顔を上げる。
「あんまり無理すんなよ。巻き込みたくないと思ってても、すでに巻き込んでいる場合だってある」
意味深に微笑むグルークにフィレアは小さく声を漏らす。
「あぁ、そうだ。ヴェント。この前暴徒が攻めてきたんだって?」
「まぁな」
「こっちでも騒ぎになってな。最近暴徒が活発になってきてるから」
ここ数ヶ月、不気味なほど大人しかった暴徒がいきなり活発になった。
その原因は、おそらく。
「姫さんの情報、あんまり簡単に漏らすのはよくねぇんじゃないのか?」
「……国王の判断だ。どうにもできない」
「でもよ、そのせいで狙われてんだぞ? 記憶を失ったって知らせまわったらチャンスとばかりに攻めるのがオチだろうよ」
「……」
「いくらお前とカイが強くたって、もしものことがある。国王は本当に、姫さんを守る気でいるのかねぇ」
ぎし、と後ろにあった机に体をあずける。
「年に数回しか部屋から出てきてねぇんだろ? そんなんでこの国は大丈夫かよ。楽園だって噂を聞いてやってきた旅人は数え切れねぇほどいるが、何を見て楽園と呼んでいるのやら……」
グルークは空を仰いで、ふっと薄く笑う。
確かに楽園と呼ぶべき国なのだろう。
グラード国は長い間他国との戦争はなく、あるのは国の中で起こる争いのみ。他の国同士で戦いが起こっている現在、ここは平和すぎる。
これといって下町が貧しいわけでもなくごく普通に暮らしていて、さらに国を支える神様と呼ぶ少女が存在している。その時点で、皆はこの国を楽園と呼ぶ。
平和で幸せな裏で、何が起こっているのかも知らずに。
「本当……闇そのものだな。この国はよ」