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部屋に甘い香りが漂い、フィレアは頬を緩める。
今淹れたばかりのお茶の隣には、同じく焼きたてのお菓子が並んでいた。
小ぶりのケーキや甘く焼いたパン。それに色とりどりのクッキーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「ありがとう」
「いえ」
お茶を差し出されて小さく微笑んだフィレアにカルサも笑みを浮かべた。
ここはフィレアの自室。
今日は皆でお茶をしようというフィレアの提案に乗った彼らがこうして色鮮やかなお菓子を囲んでいるのだ。
「いいのでしょうか。こんなところでお茶していて」
「別にいいんじゃないのか?」
眉を寄せるカイの隣でヴェントはさっそくカルサの淹れたお茶を飲んでいた。
うまい、と呟くヴェントにさらに眉をひそめる。
「いいんじゃないかって、お前……」
「迷惑だった?」
みんな忙しいのだ。
いくら休憩時間を選んだとはいえ、やることもあったはずだし、やりたいこともあっただろう。
それを聞かずに軽々しく提案してしまった。
しゅんとしているフィレアにカイは慌てて首を振る。
「あ、いえ、そういうわけではないのですが」
「なら気にするな。フィレアの傍にいるんだ、守護者としての仕事をサボっているわけじゃない」
ヴェントはすでにお菓子に手を伸ばしていた。
ケーキを口に含み、うまいと頬を緩めるヴェントは意外にも甘党らしい。
美味しそうに食べるヴェントを見て、それを作ったカルサも嬉しそうにしている。
「……ねぇ、カイ。本当に迷惑だったら……」
「いえ! 一緒にお茶できて嬉しいです」
申し訳なさそうに眉を下げるフィレアにカイは笑って、ティーカップを手に取った。
少し気の残る表情をしていたフィレアも、次第にお菓子を手に取る速さが早くなっていく。
フィレアも甘いものが大好きなのだ。
お菓子は甘く作られて、淹れられたお茶は甘さ控えめ。ここに並べられたケーキらと合うものを選んだのだろう、ものすごく相性がいい。
自然と手が進み、気付けば話より食べる方に夢中になっていた。
「よかった、お口に合ったようですね」
フィレアの隣に腰掛けていたカルサもその食べっぷりに笑顔を見せる。
やはり作ったものとしては、こうして美味しそうに食べてくれるのが一番嬉しい。
顔をほころばせていたカルサは思い出したようにはっとし、
「あ、そういえばエレナさんはまだ――」
「失礼します!!」
ぽつりと呟いたカルサの声に、荒い息を吐いたエレナの声が重なった。
「お、遅れましたっ……!!」
肩で息をしているエレナの髪は走ってきたせいで乱れ、洗濯の際、捲り上げた袖が中途半端な位置でだらしなく下がっていた。
そのことに気付いて慌てて直す。
「フィレア様、せっかく呼んでくださったのにすみません! 片づけがなかなか終わらず……」
「ううん、こっちこそ忙しいのにごめんね」
毎日慌しく走り回っているエレナを無理に誘ってしまったのではないかと謝るフィレアにエレナは首を振る。
「いえ、以前もこうしてフィレア様とお茶をさせていただいていて――」
フィレアの向かい側に腰を下ろし、エレナは目を輝かせた。
色鮮やかなお菓子に目を奪われているらしい。
「それ、僕が作ったんですよ」
「……か、カルサはこういうことしか出来ないから! 本当、早く一人前になってもらわないと困るわ」
「す、すみません」
いつの間にか説教が始まっていた。
謝りながら身を縮めるカルサにフィレアは苦笑する。
「ま、まぁ、お茶にしよう? これで全員揃ったし」
もうすでに食べてしまっていたが。
けれど、エレナの分はちゃんと残してある。元々多めに作ってあるお菓子は、まだ半分以上残っていた。
エレナははっとして頷く。
「はい!」
目を輝かせて、エレナはお菓子を手に取った。
「下町に行きたい?」
「うん」
一通りお菓子を食べ終え、お茶を飲み、談笑に入った頃。
ヴェントは傾けていたカップを戻した。
下町に行きたいと突然言い出したフィレアにカイは驚きを隠せない。
「な、なぜですか?」
「ずっと城の中にいるのもなんだし……町に下りてみたいなって」
「ですが、町は危険で――」
「いいんじゃないのか」
下町は危険だ。
城内にいるのとは違って、下町はあらゆる人が行き交っている。そう、言おうとしたのに。
「本当?」
あっさりとヴェントは許可してしまった。
「おい、ヴェント!」
「俺が同行する。なら問題はない」
「お前が!?」
カイが目を剥く。
確かに、どこかへ行くのなら誰かが付いていった方がいい。
けれど。
「なんでお前?」
「なんでって、カイは仕事があるんじゃないのか?」
その一言にカイの顔が引きつった。
寝込んでいた間にたまった書類が山のように――山のように、カイの机に乗っている。
今にもあふれ出しそうな書類の束にカイは目眩を起こしそうになった。
「俺は今日は空いてる」
「……そ、そうだけど、下町は危険だって」
「大丈夫だ、俺がいる」
互いに食い下がらない状況をフィレアはぽかんと見詰めていた。
「あ、あの……無理なら、別に……」
カイがそこまでいうのには何か理由があるのだろう。
自分の身を案じていてくれているのなら、そこは素直に従ったほうがいいのではないか。
「違うよフィレア。カイは心配してるだけだよ」
刹那、軽い声とともに腕が伸びてきてフィレアはぎょっとする。
「自分がいない間になにかあったらどうしようーってね」
掴んだクッキーを頬張る少年を見てフィレアが目を見開く。
「アーシス!?」
「お。これうまいな」
いきなりのアーシスの登場に驚くフィレアたちに目もくれず、次々とお菓子を口に運んでいっている。
ぽかんと見詰めているフィレアとは別に、カイは頬を引きつらせた。
「あ、アーシス……お前なんで……」
「ん? 当分俺はここにいるつもりだし。城内歩き回ってたらなんかいい匂いがして、そしたらフィレアたちの声がしたから」
そう言いつつお菓子に手を伸ばし、豪快にかぶりついた。
それを見てエレナがちいさく声を漏らし、次々とアーシスの口の中におさまっていくお菓子を目で追っていく。
アーシスがお菓子を食べるたびに悲しそうな声を漏らしていた。
「で、下町に降りるんだろ? カイのことなんて気にしなくていいから。行っておいで」
「え……や、でも」
「変に過保護なところがあるからなぁー。カイは」
「過保護じゃない!」
「過保護だって。下町に降りるくらい前でもやってたのに。どうせ顔知られてないんだし、ヴェントもいるし安全だと思うけど?」
「そういう問題じゃない」
頑なに拒むカイにアーシスは肩をすくめた。
「頑固だなぁ」
おろおろと二人を見守るフィレアに苦笑してみせる。
記憶を失う前、フィレアはよく――積極的に下町に降り、そしてそれにはカイも賛成していた。
それが今になって頑なに駄目だという。
いや、駄目だといっているつもりはないかもしれないが、それは誰から見てもフィレアを下町には行かせたくないように見える。
「カイ。どうしても、ってわけじゃないから――私別に……」
きゅっと唇を引き結んで眉をひそめ、じっとテーブルを見つめるカイにそう告げると、ますます眉を寄せた。
そんな様子に見かねたのか、ヴェントがため息をつく。
「フィレア、たまには我侭になったらどうだ?」
「え」
「そうですよ、フィレア様。行っていらしたらいかがです? たまには外にも出ないと体に良くありませんし」
カルサに新しいお菓子を持ってこさせて上機嫌のエレナも口を挟んだ。
「ヴェント様がいたら大丈夫ですよ」
確かにそうかも知れない。
でも――
「あー、わかったよ!」
迷うようにカイに視線を投げると、カイは観念したらしく大きく息を吐いた。
「行ってもいいの?」
「……そのかわり、フィレア様。気をつけてくださいね、危険を感じたらすぐ帰ってくること」
「う、うん」
フィレアは何度も頷く。
「大丈夫ですよ、カイ様。ヴェント様も守護者の一人ですし……フィレア様、私もご一緒したいのですが、仕事がまだ残っていまして」
「ううん、何かお土産買ってくるね!」
楽しそうに笑うフィレアに不満げだったカイもつられて微笑する。
お菓子がいいだろうか、それとも小物とかがいいのかと呟いているフィレアに、
「下町に行くのでしたら、是非買ってきていただきたいものが」
「なに?」
「丁度切れかけていたお茶があって……でもかさばるので出来たらでいいですよ」
「わかった。それも買ってくるね」
カルサの要望を快く引き受ける。
それからも一通り買ってきて欲しいものやいる物を聞いて、お茶会はお開きになった。