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楽園の果て  作者: みづき
二章
17/28

<10>

 カイはゆっくりと双眸を開けた。

 目の前に広がる白い天井を見て、頭がすぐに回転する。

 一連の出来事を思い出してカイは深く息を吐いた。

 ――フィレアを視界にとどめた瞬間、腹部に鈍い衝撃が走った。崩れる自分の体を支えようとする細い腕が見えたときには、もう意識がなくなっていた。

 その瞬間はっとして勢いよく起き上がり、そこで息を呑んだ。

 ベッドに俯せになるようにしてフィレアが眠っている。

 無事だったのだと安堵して、枕代わりにしている腕は痛くないのだろうかとカイは眉をひそめた。

「そういえば……」

 そういえば、とふと思う。夢を見ていた気がする。

 それはとても懐かしくて、悲しい夢。

 夢の中で少女が泣いていて、それを慌てふため、慰めている少年。そんな少年を見て無理に笑おうとする少女の瞳からはとめどなく涙がこぼれる。

 確か、あの少女は――

「フィレア様」

 眠りこける彼女に視線を移して呼び掛けるが返事はなく、規則正しい寝息をたてている。

 気持ち良さそうに眠る少女に無意識に頬が緩む。

 まだ幼さの残る顔は、とても一国の未来を背負えるほどの少女には見えなかった。

 今なら言えるだろうか。

 もうずいぶんと口にしていない。

「……フィレア」

 躊躇ったように口を開いて、ぽつりとカイは呟いた。

 いつからだっただろうか。

 彼女に敬称を付けて呼ぶようになったのは。

「フィレア」

 敬称を付けなかっただけで――たったそれだけのことで、いつもより彼女を近くに感じられる。

 敬称を付け、敬語で話していたときは一定の距離を保っていた。

 それはここから先は踏み込んではならないというように。

 カイが初めてフィレアに敬称をつけて呼んだとき――彼女の瞳がひどく悲しげに揺れていた。

 そして悲しそうな声で、うん、と言った。

「そういえば、ヴェントは普通に呼んでたっけ」

 カイがフィレア様と呼ぶのを聞いた時、ヴェントは眉をひそめたのだ。

 そして、自分は呼び方や接し方を変えないとも。

 だから今でもヴェントは昔のまま、敬称も敬語もつけていない。

 カイだけが――カイだけが、異常なほどにフィレアに対する態度が違っていたのだ。

 言いたいと、呼びたいと心の奥底で思っていた気持ちは決して表には出さなかった。

 願いは願いのまま――そしてカイ自身も、その願いは叶わなくていいと思っている。決して叶うわけにはいかない願いなのだ。

 そう、思っていたのに。

 フィレアが帰ってきて一ヶ月ほどになる。

 今まではあまり意識していなかったが、こうやって彼女の顔を見詰めていると、本当に帰ってきたんだという気持ちになる。

 フィレアは帰ってきたのだ。

 自分のもとに。

「俺は……」

 僅かに空を仰いだ時、視界の端でフィレアが身じろいだ。

「ん……」

 ちいさな声を漏らしてもぞもぞと動く。

 起こしてしまったかと思ったときにはもう遅く、フィレアのまつげが揺れてゆっくりと目を開き――顔を上げたところで動きを止めた。

「か、カイ」

 じっと見つめて微かに震える唇でそうつぶやく。きゅっと唇を引き結んでフィレアはうつむいた。

 何かを迷うような仕草。

「あ、あの……」

 奇妙な沈黙が流れ、居たたまれなくなってカイが口を開く。

 そしていまさらながらに気付いた。

「フィレア様、なぜここに……?」

 ぴくりと彼女の体が揺れて、決心したように顔を上げた。

「そのことなんだけど、ごめんなさい」

「え?」

「謝りたくて、でもなかなかこれなくて……ごめんなさい」

 再び頭を下げられてカイは困惑する。

「ふぃ、フィレア様……っ」

「カイが怪我したの、私のせいだから」

 おろおろとするカイに頭を下げたままの状態でもう一度謝罪する。

 きゅっと服を掴む指先は微かに震えていた。

「フィレア様……」

 ゆっくりと顔を上げたフィレアはちらりと顔色を伺うようにカイに視線を向ける。

 許してもらえなければ、それでもかまわない。

 そう思っていたフィレアはカイを見て目を見開いた。

「フィレア様、あなたのせいではありません」

 そう口を開くカイは優しげに瞳を細めて微笑んでいたのだ。

 え、と声を漏らすフィレアに構わず続け、

「刺されたのは俺の不注意です。フィレア様が気に病むことではありません」

「で、でも! 私がカイの名前呼んだから――」

 そこまで言って、フィレアは尚も微笑むカイに口をつぐんだ。

「……治してくださったんですね」

「え?」

「刺された怪我。跡形も無くなくなっています」

 今まで気がつかなかったのだろう。

 カイが巻かれた包帯をめくり、驚いた声を出す。

 治療され、縫われた糸さえも消えていた。刺されたことすらも忘れてしまうように跡形も無く消え去っている。

「あ……初めてやったから、上手くいくか不安だったんだけど」

 神様に伝わる力の使い方は、どの本にも載っていなかった。

 それは言わずとも知れるようで、フィレアは胸の奥に潜む感覚でやってのけた。

「痛くない? 変な感じになってるとか、気分が悪いとか」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 もう跡形もなく消えた傷跡を指でなぞり――カイはにっこりと微笑んだ。

 その表情に安堵して、フィレアも笑みを作った。

 カイの怪我が治ったことを伝えなければと思って腰掛けていた椅子から立ち上がろうとすると、小さな金属音がした。

 それはずっと肌身離さずみにつけていたネックレスだ。普段は胸元に隠しいれている。

 不思議と愛着のわくそれは、身に着けているだけでフィレアを元気付けていた。

「それ……」

 じっとネックレスを凝視し、カイは嬉しそうに頬を緩めた。

「ずっと持っていてくださったのですね」

 フィレアは一瞬きょとんとして、

「これ、大切にしていたものだって――もしかしてカイの?」

「はい。元々は俺が持っていたものです。フィレア様に差し上げたのですよ」

 そっとネックレスを差し出すフィレアの手をやんわりと押し戻す。

「俺の宝物だったものだから……だから、フィレア様に差し上げたくて。持っていてくださいますか?」

「……い、いいの?」

「フィレア様に持っていて欲しいのです」

 フィレアはネックレスに視線を落とす。

 それはとても高価なものとは言いがたくて、どこにでも売っていいるような安物だった。けれど、円形になった中心部には幾重にも重なった模様が刻まれ、角度や光の加減によってさまざまな模様を映し出す。

 よほど器用な職人が作ったのだろう。そしてとても大切に扱われていたのがわかるほど、ネックレスには傷一つない。

 それを確認してからそっと両手で包み込み、

「ありがとう、大切にするね」

 微笑むカイに頷いた。

 感触を確かめるように軽く握って、フィレアはそっとしまった。

「あぁ、それと」

 ごそごそとカイは枕の下に手を入れて何かを引っ張り出す。

 短剣だった。

「フィレア様、これも持っていてください」

 鞘にも柄にも装飾が施され、一見すれば飾り物のように見える。

 差し出されて困惑するフィレアにカイは付け加えた。

「お返しします。これは以前フィレア様が持っていたものです」

「……私が?」

「えぇ、何かあれば必ず守りますが――護身用ということで、特別に作ってもらったものだそうです」

「でも私剣なんて――」

「持っているだけで結構ですよ。何かあれば、俺が守りますから」

 フィレアを守る守護者なら、普通の言葉なのだろう。

 けれど、守るといったカイの言葉がとても温かく感じ、それと同時に心強く感じてフィレアはうろたえる。

 どうぞ、と再び差し出され、真正面から見つめられてわずかに頬が赤くなったフィレアはおずおずと短剣を受け取った。

 短剣はとても軽く、その上装飾がされていて普通に持っていてもオモチャのようだ。

 柄を握ると意外なほど手に馴染む。

 以前の彼女は常に所持していたのだろう。

 ゆっくりと鞘から引き抜くと、そこにはぎらりと光る刃に映る自分がいた。見た目はオモチャのみたいなのに刃は独特の光を放っていて、それが他人を痛めるものだと実感する。

 一振りすれば、瞬時にその肉が裂けるだろう。

 フィレアは剣を重みを確かめてから腰にある――元々それ用に使っていたのだろうベルトに固定させ、服で隠した。

「普段はそうしていると見えませんからね、一目にはなるべく触れないように」

「うん、わかった」

 服の上から短剣を撫でて、フィレアはしっかりと頷いた。

「お待ちください!!」

 その直後、少女の叫び声があたりに響く。

 何事かとフィレアは目を瞬かせ、カイは何もいわずにため息をついた。

「お待ちください!! まだカイ様は――」

「大丈夫だって。ちょっと顔見るだけだから」

「だめです! もう少し安静にって……アーシス様!!」

 聞き覚えのある声が叫んだのと同時に勢いよくドアが開いた。

 驚いて振り返る二人にドアを開けた少年はにっこりと笑って見せた。

「よ、元気か?」

「アーシス様っ!!」

「ん? どうした?」

「どうしたじゃありません! もう、早く出て行って――」

 きっと睨みつける少女――エレナは茫然と見詰める二人を見て目を瞬いた。

「え、え? フィレア様……? それにカイ様も」

 何でもないように座るカイに驚き、続いてフィレアに視線を移す。

 頑なに見舞いを拒否する少女がちょこんと椅子に座っている。

 何の心境の変化かはわからないが、こうしてフィレアがカイに会いに来たということだけでエレナは嬉しかった。

「――カイ様、怪我は?」

 エレナは小首をかしげた。

 自室に移ったとはいえ、まだ起き上がったり座ったりできる状況ではなかった。それが、平然とベッドに腰かけている。

 あれほど悪かった顔色も今ではもうすでに血色が良くなっていた。

「あぁ、フィレア様が――治してくれて」

 彼女がなぜだと首をひねっていると、カイがそう口にした。

 治してくれた。その言葉の意味を瞬時に理解し、

「記憶が戻ったのですか!?」

「記憶は、まだ」

 ずい、と迫るエレナに苦笑してそう返すと、声もなくうなだれた。

 力を使えたからといって記憶が戻ったとは限らない。それは重々承知していたが面と向かっていわれるとそれなりに落ち込むものがある。

 けれど、力を使えたということはまだ望みがある。元々気長に――長期戦覚悟でのことだった。

 ゆっくりと思い出していけばいい。

 そう結論を出した彼女が顔を上げとき、

「……で、なんでお前がここにいるんだよ」

 ため息混じりでカイが少年を見上げる。

「何でってひどいなー。お前が怪我したっていうから――」

「もう治った」

 少年、アーシスにきっぱりと言い放つ。

 その不思議な空気にフィレアは首を傾げた。

 カイとアーシスという少年の間には独特の雰囲気があった。特に、カイが敬語ではなくなる相手は限られている。

「ったく、変わんねぇなあ。……よ、フィレア」

 がしがしと頭をかいて、二人を見つめるフィレアに片手を挙げる。

「久しぶりだなぁ。お前がいなくなったって聞いた時はびっくりして……まだ記憶は戻ってないそうだな」

「あ、は、はい」

 妙になれなれしいアーシスの言葉にちいさく頷いた。

 困惑しているのがありありとわかるフィレアにアーシスは少し唸り、

「初めましてって言っとくのがいいか? カイ」

「俺に聞くなよ」

「んー、俺はアーシスだ。よろしくな」

 首をかしげて人懐っこい笑顔を浮かべた。

「俺はカイとヴェントと友達――親友で、ちなみにフィレアとも親友」

「え!?」

 親友という言葉に目を瞬かせる。

 確かに、アーシスはフィレアたちとそう歳は変わらないだろう。

 緑を中心とした服はどこにいても目立ちそうで、少し癖毛のあるふわりとした髪を揺らして笑うアーシスはどこにでもいる普通の少年だ。

 しかし、その普通の少年がなぜ神様であるフィレアと親友などと口にするのか。

「記憶が無いのは知ってるから、無理しなくていい。俺のことも覚えてないんだもんなー、なんか悲しい」

 アーシスはそう呟いて口を尖らす。

「え、えっと……っ」

「色んなことがあったのになぁー、ぜーんぶ忘れちゃったんだ」

「……おい、アーシス」

 アーシスが拗ねたような表情で呟くと、どんどんフィレアが慌てる。

 その様子を見かねてカイが苦笑まじりに制止した。

「なんだよ」

「その辺にしとけ。フィレア様が困ってるだろ」

「そんなことねーって、なぁ? フィレア」

 小首をかしげて上目遣いでたずねれば、またフィレアは狼狽する。

 これでは先ほどの繰り返しだ。話が全く進まない。

 困ったように目を泳がしている彼女は、アーシスにどう接すればいいのか分からないのだろう。

 助けを求めるようにエレナに目線を送るが、彼女も同じく困ったように首を振った。

 おそらく、苦手な分類なのだ。

「あ、あの、アーシスさんは……」

「アーシスでいいって」

「アーシスは、えっと」

 何者なのか。けれど、その質問はどこかおかしい気がする。

 カイやヴェントと同じ守護者という立ち居地ではないのだろう。でも、兵士という感じでもない。

 飄々としているが、どこか隙のない動きをしているのを見てただの下働きではないのだろうと思う。

 それに格好からしてまったく違う。

 一人悶々と考え込んでいるフィレアに何かを察したのか、

「あー、俺のことは気にしなくていいぜ。単なる幼馴染だと思ってくれればいい」

「幼馴染って、お前」

 それは無理があるだろうと呆れるカイをよそに、アーシスはそれで納得したらしいフィレアにちいさく笑ってみせた。

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