7.私と求婚。
「アリアージュ嬢。どうか私と結婚してほしい」
朝、次の授業が行われる教室に向かう途中の廊下で、いきなり赤い長い髪の上級生に跪かれたかと思うと、妙に格好つけたポーズで言われた言葉に、私はぽかーんと間抜けな顔をさらしてしまった。
またそれが、この学園、しいては国内でも、知らない者はいないほどの有名人だったものだから、気が付けば周りは私と同じように驚愕の表情を浮かべた生徒達で囲まれていた。
そして、そこにいる生徒達が、羨望と嫉妬を孕んだ目をして、固唾を飲んで私の返事を待っているようだったから、つい淑女らしくない引きつった笑みを浮かべてしまったとしても、仕方がなかったと思う。
その日の午後、教室で学課の授業を受けていた時、遠くの方からドゴオオォォォ!! っと何かが爆発する音と、人の悲鳴や騒ぎ声が聞こえてきて、何事かと顔を上げ、隣の女の子達と顔を見合わせた。
そうしているうちに、バタバタと廊下を走る足音がして、わあ、何だか嫌な予感がする、と私は手に持っていた筆記具を机の上に置いた。
「アリアージュさん!!」
勢いよく扉が開いたかと思うと、そこから同じクラスの男の子が、血相を変えて飛び込んできた。
あ、実は、月日の経つのは早いもので、私とリュカは学年が上がったんだけど、またクラスは同じになったのよね。
でも、科目選択の都合から、今の時間はリュカはグラウンドで実技の授業で、私は学課の授業中だったのよ。
やっぱり、成長するにつけ、私達もずっと一緒っていうわけにはいかないしね。
リュカも、最近は魔力をちゃんと制御できるようになってきたし、ちょっとずつだけど交友も広がって来たみたいだから、いい傾向かなぁって思ってたんだけど。
「リュ、リュカくんが!」
そのクラスメイトの声で、教室がざわめき出す。
とりあえず、どうしたものかと教壇を見れば、先生も困ったように頷いていて、私も苦笑いをして席を立った。
そして、扉の所の男子生徒に話を聞けば、どうやらリュカがグラウンドで魔力を暴走させているとのこと。
学年が上がってから、リュカが魔力を暴走させることなんてなかったから、何があったのかと首を傾げながら、私はグラウンドへと急いだ。
校舎から離れた、広大な面積のグラウンドの一角に人が集まっているのを見て、そちらに近づいていくと、私に気付いた生徒達がゆっくりと通り道を作ってくれる。
複雑な表情で見られるのを何だか居心地が悪く思いながら、人垣が途切れる辺りに来ると、その向こうで、真っ赤な炎に包まれ一メートルほど浮かんでいるリュカが目に入った。
そのリュカの目の前の地面は、半径五メートルほどの範囲が隕石でも落下したかのように抉られ、土が焦げてシュウシュウと煙が上がっている。
宙に浮いているリュカの目は、何も映してないように濁っていて、ゴウゴウと燃え盛る紅蓮の炎がリュカの髪を揺らしていた。
あー、もう、一体何があったのかと、米神の辺りを押さえた。
まあ、とりあえず、正気を失っているようなリュカの目を覚まさせないとね。
そう思って、心の中で水の精霊にお願いして、指を上から下へと振った。
途端に、リュカの上空に水の塊が生まれ、それが一斉にリュカへと降り注ぐ。
今回は、リュカと初めて会ったときみたいな、少しの量じゃなくて、滝に打たれる修行僧かっていうぐらいの重さと水量をプレゼントしました。
たっぷり頭を冷やしてもらうためにね!
ついでに、流れ落ちた水で、地面に僅かに燻っていた火も消えて、一石二鳥ってやつよね。
そう思いながら、容赦なくドバババババと、リュカの姿が見えなくなるほどに水を降らせていると、周囲から、「あの……そろそろ……」とか、「さすがに、もう良いと思うんだけど……」という控えめな声が聞こえてくる。
確かにこれ以上は水浸しになっちゃうわね、と水を止めると、そこにはずぶ濡れで地面に座り込んだリュカがいた。
すたすたと近づいてリュカの前にしゃがみ込めば、リュカは濡れて顔にかかる髪の向こうから、ぱちぱちと目を瞬かせている。
「正気に戻った? リュカ」
ちょっと怒りを滲ませながら笑ってそう言うと、リュカはきょろきょろと周りに目をやってから、気まずそうに私を見上げてきた。
「……アリア……」
そう私の名をぽつりと口にして、リュカは俯いてしまう。
私からその表情は見えなくなってしまったけど、いつもとは違うリュカの様子に、私は首を傾げた。
最近は、リュカも魔力の制御はちゃんとできるようになっていたから、今回の暴走は激しい感情の揺れによるものかしら。
う~ん、だったらまた誰かに何かを言われたとか……?
しばらくじっとリュカを見下ろしていたけど、リュカは相変わらず顔を下に向けたままで、一向に私を見ようとはしなかった。
とりあえず、リュカもびしょ濡れだし、このままここに置いておくのは良くないだろうと、私は腰を上げて、先ほどからずっと様子を窺っている先生の方に顔を向けた。
「先生、彼はちょっと調子が悪いみたいなので、救護室に連れて行きますね」
私がそう言えば、先生は、「ああ、頼む」とあっさりと了承をくれた。
リュカに手を焼きつつも、見捨てないでいてくれる良い先生なんだけど、さすがに今回はどうしたらいいか分からなかったみたいね。
私は先生に笑顔でうなずいて、リュカの腕をとって引っ張った。
もし立ち上がらなかったら、闇の精霊術で重力操って浮かせようかとも思ったんだけど、リュカは素直に立ち上がった。顔はまだ俯いたままだったけど。
そうして、そこから歩き出そうとしたとき、グラウンドの大穴がそのままだったことに気が付いた。
そこで、リュカの腕を掴んだまま、大穴のあるグラウンドの方を振り返り、
「土の精霊達。後はお願いね」
そう言えば、周囲に飛び散っていた土がゆっくりと動き出し、穴の中に戻って行く。そして、大穴の中の土も徐々に動き出したかと思うと、穴は徐々に塞がっていった。
リュカに降らせた水も綺麗に土に染み込んで行ったし、焦げ跡も綺麗に直っている。
うん、さすが精霊さん達、良い仕事するわ。
そうにっこり笑って心の中で礼を言い、私は踵を返して、リュカを引っ張りながらその場を後にした。
周りに集まっていた生徒達の中の二人が、何故か顔を真っ青にしていたのを、不思議に思いながら。
二人とも無言のまま、救護室にたどり着いて、扉を開ければ、どうやら救護の先生は不在のようだった。
とりあえず室内に入り、入り口の辺りで、火の精霊術でリュカを乾かしてから、リュカをその辺りにあった椅子に座らせた。
そのままリュカの前に立って、私はリュカに問いかけた。
「何かあったの? リュカ」
そう私が声をかけると、今まで頑なに俯いていたリュカは、そっと顔を上げて私を見上げてきた。
そして、目をうろうろと彷徨わせた後、唇をぎゅっと噛んで、漸く口を開いた。
「……アリア、……結婚……するの……?」
「はあ?」
あ、いかん、驚きのあまり変な声が出てしまった。ワタクシったら、ほほほほほ。じゃなくて。
「えと、どういうこと?」
首を傾げた私に、リュカは辛そうにぎゅっと顔を眇め。
「だって! ……王子……に、求婚……されたって……」
言葉を詰まらせながら、リュカはまた顔を俯かせた。
その体は小刻みに震えていて、また魔力が揺らぎ出す。
ああ、なるほど、朝の出来事を聞いて、衝撃で魔力が暴走したのね。
そう、朝私に結婚を申し込んできたのは、この国の第二王子様だったのです~!
いやー、あれはさすがに私も驚いたわ。なんたって、私、王子様と接触したことも話したことも無かったからね。一体どういうつもりで王子があんなことを言ってきたのか……。
まあ、思い当たるとしたら、私のこの力かしら。七種の精霊術を使える者を、国に縛り付けておくため、もしくは、精霊の加護を受けた子どもを作るため、ってところかしらね。
しかし、国のために見知らぬ相手を妻にしなきゃならないなんて、やっぱり王族って大変ね、なんて他人事のように考えてしまう。
私が口を噤んだのを不安に思ったのか、リュカが恐る恐る顔を上げる。
その顔は昏く絶望を孕んでいて、私は小さく笑って、リュカの頭を撫でた。
すると、がばっと立ち上がったリュカが、ぎゅっと私を抱き締めてくる。
まったく、この子は。普通、女性を断りも無く抱き締めたら、痴漢だ変態だって、殴り飛ばされて警備兵に突き出されるわよ。今度、ちゃんとその辺も教えておかないと!
そう思いながら、以前よりも背が伸びたリュカの肩口に頭を寄せ、宥めるように背中を撫でた。
「……嫌だよ、アリア、嫌だ……! アリアが、誰かのものになるなんて……! アリアと……一緒にいられなくなるなんて……絶対に、嫌だ……!!」
嗚咽を漏らしながら、リュカがただ嫌だ嫌だと訴える。
ああ、もう、本当に、どうしようもなく可愛いんだから!!
何か、ぺたりと下がった耳と、キューンキューンって鳴き声まで聞こえてくる。こうなると、ぐりぐりとひたすら撫でまわしながら、落ち着くまで慰めたくなるのよね。犬好きとしては!
そんなことを考えていると、リュカがバッと顔を上げ、じっと私を見ながら。
「……ねえ、アリア、王家がなくなれば、アリアは結婚しなくてすむ?」
私の目を覗き込むように見てきたリュカは、表情はやけに真剣なのに、その目はどこかぼんやりと昏くて、一歩間違えれば深淵に落ちて行ってしまいそうだった。
傍から見れば、かなり怖いことを言われているような気がするし、もし私がここで頷けば、本当に王宮に向かって行きそうなんだけど、でも、私には何だかリュカが必死で踏ん張っているように見えて、困ったように笑ってしまった。
「馬鹿ね。そんなことしたら、あんたは世界中から追われることになって、余計に一緒にいられなくなるわよ」
真っ直ぐに私を見てくるリュカの額を、掌でぺちと叩いた。
そんな私の言葉に、リュカはまたくしゃりと顔を歪めて、途方に暮れたような顔をする。
リュカの額を叩いた手を、そのままリュカの頭に置いて、その見た目より柔らかい髪を撫でる。
「しないわよ」
「……え?」
「王子と結婚なんて、しないって言ったの」
にっこりと笑ってそう言えば、リュカはぽかんと驚いた顔をしたけど、その後また顔を眇めて。
「……そんなこと、……だって、断れない……んでしょ?」
ぽつりと漏れた言葉に、私はおやと目を瞬かせた。
その辺りの事情を、リュカが知っているとは思わなかった。もしかしたら、私と王子の噂をリュカに教えた誰かに、聞いたのかもしれない。
そうね、確かに私の家は、貴族とはいえ伯爵位で、王家との結婚なんてこの上ない僥倖、まさにシンデレラストーリーってやつなんでしょう。そして、そんな身分が下の者が、王子の求婚を断るなんて、下手したら王家の怒りに触れて、領地没収、家のとり潰し、一家も路頭に迷う、なんてことになりかねないのよね。
だから、普通なら断らないし、断ることなんてありえないのよ。まあ、王子に求婚されて、断ろうなんて人もそうそういないんだろうけど。
でも、私も貴族の娘だけど、日本に住んでいた記憶があるから、やっぱり結婚は好きな人としたいし。
そんなことを考えながら、私の肩に顔を埋めて、ぐずぐずと泣きながら、放すもんかってくらいにぎゅっと抱きしめてくるリュカに目を移す。
それに、リュカが私から離れるならまだしも、私からリュカの傍を離れる気なんてさらさら無いしね。何より、私が王家に嫁に行くことになったら、本当に王家を滅ぼしに行きかねないし。
くすりと小さく笑って、肩に乗せてあるリュカの頭に、そっと頬を寄せた。
というわけで、まあ、何とか波風立てずに無かったことにできるよう、交渉してみますか。
そんな決意を胸に、リュカの胸を押して、少し体を離させた。
そして、涙でぐしゃぐしゃなリュカの顔に少し笑って、その額にちょんと口付ける。
私の行動に、リュカは驚いて目を見開いた。その拍子に、綺麗な金色の目からぽろりと涙が零れ落ちる。
「ちゃんと、断ってみせるわよ」
リュカと額を合わせて、その目を覗き込みながら、勝気に笑ってみせる。すると、リュカは涙が止まった目で、しきりにぱちぱちと瞬きをしていた。
そして、その潤んだ目でじっと私を見つめる。信じたいのに信じきれない、そんな迷いが浮かんで見えた。
「ただし、もし断れなかったら、この国から逃げるから、その時はリュカも付いて来るのよ!」
リュカの鼻先に指を突きつけながら、笑ってそう言えば、リュカは驚きに目を瞠って、やがてこくこくと何度も頷きながら、また私を抱き締める。
ぎゅーっと背中を絞めつけてくる腕に、そろそろ力加減を覚えてもらわなければと思いながらも、私はリュカが落ち着くまで、背中と頭を撫で続けたのだった。




