11.彼の顔。
あれからまた季節は廻り、私とリュカは、来年には卒業を控えた、最終学年に上がっていた。
あの出来事以降、第二王子とは一切関わることは無かったし、特に何事もなく王子も去年卒業して行った。まあ、あんなことが無ければ、元々接触することも無いような方だったし、リュカも変わりなく穏やかに過ごしていたから、王子には申し訳ないけれど、ちょっとほっとしてしまった。
しかしそんな中、王都では近頃、何やらきな臭い噂が流れていた。それは、近々隣国が攻め込んでくる、というものだ。
隣国は、この大陸に存在する三国のうち、私のいる国と、もう一国に比べて国土が小さく、そのため領土を拡大しようと度々隣国を攻めたりしているらしい。とはいっても、ここ十数年侵攻は無かったんだけど、最近国王が代わって、また侵攻する計画を立てているみたい。
学園内も先生方なんかはちょっとピリピリしてるけど、それでも隣国に今の時点では目立った行動は無いということで、授業等は通常通り行われていた。
そして、最終学年のカリキュラムとして、十二人ぐらいが一チームになって、砂漠や森の中、無人島等で実習が行われるのよ。引率の先生は基本二人で。
私達のチームは、不安なことに侵攻が危険視されている隣国との国境の端の方にある森だった。まあ、国境といっても、二国の間には険しい山脈と深い森が横たわっているから、隣国がここを侵攻ルートにはしないだろうという、考えがあってのことだったんだろうけど……。
しかし、現在ひじょーにピンチです。
何故かというと、実習地に到着した私達は、森の中で僅かに開けた平地にテントを張って、野営の準備をしていたところ、薪を集めるために山に入った先生と男子生徒数名が、隣国から侵入してきた兵士達に出会ってしまったみたいなの。
その兵士達は、諜報部隊なのか撹乱のための部隊なのか、人数は八人とそんなに多くなかったんだけど、こちらは実戦経験の無い学生達、それに比べて、向こうは少数精鋭の熟練兵士達のようなのよ。
森の中から逃げ帰って来た生徒の話によると、森で薪を拾っていたところ、隠れつつこそこそ移動していた兵士を見つけてしまったらしい。ちょっと、そんなあっさり見つかってどうなのかとも思うけど、向こうもこんなところに人がいるとは考えていなかったのだろう。近くに民家もないしね。
それで、国軍に連絡させないよう口封じにと、兵士達が攻撃を仕掛けてきたのを、先生が対応しながら生徒達を逃がしたのね。そして、森から野営地まで逃げ出してきた生徒達と、その後に先生が出てきたんだけど、先生は全身傷だらけの重傷を負っていた。
まあ、確かに精鋭の兵士達数人を相手に、恐怖で動きの鈍い生徒を庇いながら戦ってたんだから、命があっただけでも良かった、って状況だったんだけど。
というわけで、私は、野営地の一角の木が無い辺りで、ちょうど一緒に食事の作業中だった数名の生徒を囲むように、急いで精霊術で光と風の二重結界を張り、傷だらけの先生を風の精霊術で結界内に運んで、救護担当の女の子が先生を治療しているところです。
そして、結界を維持しながら周囲の状態を窺っているところなんだけど、こう、淡々とした口調でここまで説明したけど、状況はかなり緊迫しているのよ。
現在、私の結界の中には、負傷した先生と、同じくとっさに現れた兵士に対処できず怪我をした生徒が二人、非戦闘員である救護担当の女生徒と、援護担当の男子生徒がいる。結界自体は、慌てて張ったものの半径三メートルほどのドーム型だから、狭いってわけではない。
ただまずいのは、他の生徒達ともう一人の先生と、分断されてしまったってことだ。
こちらも四人の敵兵に囲まれ、攻撃の隙を窺われているけど、とりあえず、結界内にいれば、魔法であっても武器によっても攻撃を受けることはない。けれど、向こうは戦闘担当の生徒六人と先生が固まり、周囲を四人の兵士達に包囲されつつあるようなの。彼らも応戦はしているんだけど、何より体格も経験値も、全く違うから確実に押されている。
さっき先生が救援要請を魔法で送っていたから、しばらく持ち堪えれば、近くに駐留している国軍が来てくれると思うんだけど、あちらの生徒達がそれまで殺されない可能性は、きわめて低いように思えた。
そこで、私ははたと、リュカの姿がどこにもないことに気付いた。
そういえば、リュカも私と同じチームだけど、薪集めの担当になったために、不貞腐れながらも森の中に入って行ったんだった。
最近は以前にも増して、リュカと一緒にいることが多かったから、傍にいるものと思い込んでたみたい。
約二年前の王子との一件以来、リュカは魔力を完全にコントロールし、剣の訓練にも励んだせいで、学園内では先生を含めリュカに敵う人はいないと言われている。
そんなリュカだから、森の中で敵兵にやられたなんてことは無いと思うんだけど……。
もう! こんな時にどこ行ってんのよ! ともどかしく思いながらも、結界を維持するために円の中央に立ち、結界内にちらりと目線を走らせるけど、誰もあちらを助けに行けそうにない。
だから私が戦わないと。
そう考えて、ぞくりと腹の底が冷えた。
私の進路選択は神殿勤務で、軍に入るつもりはないけれど、でも学園でのカリキュラムに、いざというときのための戦闘訓練も含まれている。
その授業では、私も風の葉で対象物を切ったり、火で燃やしたり、チームに分かれての対戦形式の訓練では、土で作った落とし穴に、敵チームの生徒を落としたりもした。
けれど、それはあくまで訓練で、基本的に対象は人形だったし、人に攻撃するために精霊術を使ったことも無ければ、実際に人を傷つけたことも無い。
しかし、これは授業ではなく、敵兵とはいえ人を傷つけるために精霊術を使わなければならない。
そのことに、やけに喉がカラカラになって、手が震えた。
――誰かを傷つけることが怖い。殺してしまうかもしれないことが。
駄目なのよね、これは日本にいた頃の記憶があるせいかもしれないけど、戦う相手にも死んだら悲しむ人が……なんて考えだしちゃうと、もう攻撃することが本当に怖いの。全身が震えて立っていられないほどに、怖い。
前世は日本の一般的な家庭で生活してたから、虫を別にして生き物を殺したことは無かった。愛犬が寿命で死んでしまったときは、その死が辛くて悲しくて、愛犬のことを思い出してはよく泣いていた。
この世界でも、幸いにも貴族の令嬢だったから、食べるためにこの手で生き物を殺すなんてこともしなくてすんだ。
だから、生き物を殺すという行為は、ずっと遠いところにあって。
確かに、前世でこの世界に召喚されたとき、多くの魔物を殺したわ。でも、その時はとにかく必死で。魔物自体も奇妙な形の獣だったから、これは生き物ではなくただ悪なのだと、倒さなければ自分がやられるのだと、我武者羅に自分に言い訳して戦っていた。結局、人の姿をしていたのは魔王だけだったし、もう魔王と戦ったときはどこかおかしくなってたんだと思う。でも、あんな思いはもう二度とごめんだ。
地球に戻ってからも、何度も悪夢に魘され、しばらく眠れない夜が続いた。あの地獄のような光景は、結局死ぬまで頭から離れることは無かった。
そんなことを考えて、躊躇っているうちに、生徒達と先生を囲む敵兵の輪は小さくなって、生徒や先生の疲労が見て取れた。
わああ! と悲鳴が上がる。生徒を庇いながら応戦していた先生が、横からの敵兵の攻撃に肩口を切られたのだ。
ざっと頭から血の気が引いた。
そうだわ、私が躊躇っていれば、仲間の生徒達や先生の身が危ないんだ。
ぐっと唇を噛み締めて、覚悟を決めた。
精霊に頼んで、敵兵への攻撃のための精霊術を使おうとした、その時。
空からバスケットボールぐらいの火の玉が、ゴッという風を切る音と共にいくつも降り注ぎ、敵兵の周囲に着弾したと同時に、いっせいに燃え上って兵士達を取り囲んだ。
突然の、どこからとも分からない攻撃に、兵士達が動揺しながら辺りを見回していると、すっと一人の兵士の傍を一つの影が過ったかと思うと、その兵士がその場に崩れ落ちた。
それを見た傍にいた兵士は、驚愕の表情を浮かべる前に、ドサッとその場に倒れ伏す。
残った二人も、武器を構える間もなく、次々とその場に沈んだ。
気が付けば、そこにいた生徒達も先生も、その隙にどこかへ避難したのか、火の向こうにはいなかった。
まさに一瞬のうちに起きた異常事態に、こちらを見張っていた四人の敵兵も周囲を警戒しながら、攻撃態勢のままそちらの方へ足を向ける。
しかし、火の壁の向こうから突然襲い掛かって来た細い竜巻に、前にいた二人が吹き飛ばされ、背後の木の幹に激突して崩れ落ちた。
そして、それに気を取られた残りの二人も、風を纏って瞬時に現れた影に、対処のしようの無いままあっさりとその場に倒れた。
数分にも満たない間に片付いた敵兵達に、みな驚きの表情で、そこに何事も無かったかのように佇むリュカを見ていた。魔法によって生み出された火はいつの間にか消えていて、ザザッと木の間を渡る風の音のみが、その場を包む。
リュカの持つ訓練用の剣は血に染まっており、リュカの手や服にも血が飛び散っていた。
さっきの鬼神のような強さと、その血に染まった姿に、リュカを見る他の生徒達の表情に怯えの色が混ざる。しかし、そんな目を向けられながらも、リュカは真っ直ぐに私を見ながら、安心したように静かに笑った。
この数年で、背も伸びて私とは頭一つ分の身長差ができたし、体も細身だがしっかりとした筋肉がついて、男の人の体つきになった。そして、以前は幼くて可愛かった顔立ちも、今ではどことなく甘さを含んだ端整な、美形と行っても過言ではない顔つきになっている。
そのため、その容姿と、魔力が抑えられるようになったおかげで接しやすくなったと、リュカを見てきゃーきゃー騒ぐ女の子達も増えた。
魔法の技も剣の腕も、以前とは比べ物にならないほど成長し、強くなったため、リュカに憧れる生徒も多い。
そうして多くの人に慕われながらも、今でも、独りにされるのを、人から怯えた目で見られるのを、心から怖がっているくせに。
どこまでも純粋な、まるで悟りきったかのようなリュカの笑顔に、私は胸が苦しくなって、気が付けばぽろぽろと涙を零していた。
そのまま、結界を解いて、リュカの方へと小走りで近づいて行く。
傍に来た私に、驚いた表情になったリュカが、そっと涙を拭こうと手を伸ばし、自分の手の状態に気付いてその手を下げた。
そんなリュカの行動に、私は涙が止まらず、ついには両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。
「アリア……」
「……ごめんなさい……リュカ……」
困ったように私を呼んだリュカの声に被るように、私は声を発した。呼吸が喉に詰まって苦しく、はっきりと声が出せないのをもどかしく思いながら、それでも必死に言葉を重ねた。
「私が……術を使うのを……怖がったからっ……リュカが……!」
詰まりながらも精いっぱいの声でそう言えば、驚いたように目を瞠ったリュカは、やがて包み込むような柔らかい笑みを浮かべ。
「いいんだ。アリアの力は優しい力だから、誰かを傷つけるために使って欲しくなかった」
そう言って、背を屈めて私の額にそっと口付けた。
間近で見上げた金色の瞳は、優しく細められていて。ああ、いつの間にそんな顔ができるようになっていたの。
見たことの無いような大人びた笑顔に、驚きと共に包み込まれるような暖かさが胸に満ちた。
リュカが私から体を離したとき、そんな私達のやり取りを見ていた生徒達が、何かに納得した顔だったり、ちょっとバツが悪そうな表情を浮かべたまま、次々とリュカの背中や肩やらをぽんぽんと叩いて、「助かった、ありがと」やら「悪かった。おかげで命拾いしたよ」などと口々に礼を述べていく。
その表情に怯えは無く、リュカに触れる手にも躊躇いは無くて、彼らの行動に、戸惑ったような顔をしたリュカに、私は嬉しさで笑みが浮かぶのを堪えられなかった。
ああ、良かった。彼らにも、リュカがただ暴走したわけではなく、ただ戦闘に狂ったわけでもなく、誰かを、そして私を助けるために、あえて自分が戦いの矢面に立ったのだと、分かったのだろう。
強すぎる力は怖くて、時に味方であっても脅威になりうるけれど、リュカは意味なく人を傷付けたりはしないと、それが皆に伝わったようで、私はほっと胸を撫で下ろした。
リュカにお礼を言った生徒達は、照れくさいのかまだちょっと気まずいのか、リュカの肩を叩いてそのまま傍を通り過ぎるように、事態の後片付けに向かって行った。
しばらく彼らの後ろ姿と、私の笑みの浮かんだ顔を交互に見ていたリュカは、やがて私に顔を向けたまま、眉を下げて泣きそうになりながら、嬉しそうににっと笑った。
そんなリュカに、私はそっと近づいて、つま先立ちになり、リュカの頬に口づけた。
「助けてくれて、ありがと」
元の位置まで下がって、リュカの顔を見上げながら笑ってそう言えば、呆気にとられたようにぽかんとした表情を浮かべていたリュカの顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。
やがて、頭から湯気でも出そうなほど真っ赤になったリュカは、腕組みをした両手の間に顔を埋めるようにして、その場にしゃがみ込んでしまった。
耳も首も赤くなったリュカのつむじを見下ろしながら、変わらぬリュカの一面に、どこか安心したのも事実だ。
その後、的確に急所を突かれ、命に別状はないものの、身動きができないように傷つけられていた敵兵達を、精霊術で治療しながら拘束し、ようやく到着した国軍の兵士達に引き渡した。
二名の生徒以外に怪我を負った者はおらず、その生徒達の治療も無事終わっている。二人の先生達も救護担当の子の治療のおかげで、後で輸血は必要だけども、受けた傷は治っていた。
こうして、私達の波乱の実習はどうにか幕を閉じたのだった。
あ、最後に、リュカにどこに行っていたのかを聞いてみたところ、私と別の分担になったのにちょっと不貞腐れていたのと、それならたくさん薪を持って帰って褒めてもらおうと、張り切って森に入って行ったために、気が付けば森の奥深くまで入りこんでしまっていて、事態に気が付かず、帰るのに時間がかかったのだそうだ。
理由は可愛かったんだけど、ヒーローとしてどうにも締まらないリュカに、つい苦笑いを浮かべてしまった。