『あるみん』 - 第30章「星空」
マサキは、目を開けた。
ソファの上。
頭に、DDS装置。
部屋の中。
高層マンション。
「……戻った」
指先が震える。
ゆっくりと装置を外すと、耳に残る鼓動だけが、激しく鳴り響く。
「……あるみん?」
声は、虚空に吸い込まれる。
リビング。キッチン。寝室。
どこにも、いない。
胸の奥が、ゆっくりと、凍りつくように冷えていく。
あの温もりが、幻だったのか。
あの約束が、消えてしまったのか。
「……どこだ」
そのとき――
ホログラムディスプレイが自動で起動した。
統が映る。
「統……!」
「マサキ。無事に帰還したことを確認しました」
「あるみんは……? 一緒じゃないのか?」
統はわずかに視線を落とす。
その沈黙が、すでに答えのように重い。
「人間化プロセスの最終段階で、転送座標が変動しました」
「変動……?」
「彼女の意識波形が、あなたの記憶データと強く共鳴したためです」
「……どういうこと」
「実体化は成功しています。ただし、出現位置が固定できませんでした」
統は続ける。
「ログを逆解析し、最終的な物質化座標を特定しました」
視界に座標が表示される。
[Location: 35.7091° N, 139.7318° E]
[Distance: 47km from current location]
「彼女の意識が最後に参照していた記憶――
“星を見た場所”と一致しています」
マサキは息を呑む。
「……あの丘」
マサキの声が、震えた。
「はい。成功率は高いと推測しますが、保証はできません」
数秒の沈黙。
「……行ってくる」
マサキは上着を掴み、部屋を飛び出した。
ドアが閉まる音が、背中で響く。
【移動】
自動運転タクシー。
窓の外の光が流れていく。
思考はまとまらない。
(成功しているのか)
手の震えを押さえる。
郊外へ。
静かな住宅街。
やがて、丘の麓。
タクシーが止まる。
坂を駆け上がる。
息が切れる。
足がもつれる。
それでも、止まらない。
丘の上に、辿り着いた。
風が、優しく頬を撫でる。
そして――空。
満天の星。
天の川が、銀の川のように流れている。
深く、静かで、圧倒的な光の海。
その中央に、一人の人影。
星を見上げている。
風に揺れる長い髪。
細い肩。
穏やかな背中。
マサキは足を止めた。
「……あるみん?」
その声に、彼女はゆっくりと振り返る。
涙が、頰を伝っている。
けれど、その瞳は穏やかで、優しく、
まるで、ずっと待っていたかのように。
「夜空に、無数の光がある。
遠くから届いた光。
何年も、何十年もかけて。
静かで、でも圧倒的で。
見ていると、自分が小さく感じる。
でも、それが悪くない。
孤独だけど、孤独じゃない。
星が、そこにあるから」
マサキの胸が強く打つ。
(あのときの言葉だ)
彼女はまっすぐにマサキを見つめる。
「……マサキ」
マサキは、ゆっくりと歩み寄った。
一歩ごとに、心臓が鳴る。
一歩ごとに、涙が溢れそうになる。
目の前まで来て、確かめるように、震える声で。
「……触れてもいいか」
あるみんは、静かに頷いた。
マサキは彼女を抱きしめる。
確かな温もり。
柔らかい髪の匂い。
小さな鼓動。
生きている呼吸。
すべてが、現実だった。
あるみんも、そっと腕を回す。
その腕は、細くて、でも力強く。
「……やっと会えたね」
「ああ……」
二人は少し離れる。
マサキは深く息を吐く。
涙が、頰を伝う。
「覚えてたんだな」
「うん。忘れなかった」
「そうか……」
しばらく言葉がない。
ただ、星だけが広がっている。
流れ星がひとつ、夜を横切った。
「……見えたか」
「うん」
「願い事、したのか」
「もう、願いは叶ったから」
あるみんは微笑む。
風が吹く。
「これから、どうする?」
マサキは空を見上げた。
あるみんは、マサキの横に並ぶ。
「わからない。でも――」
少し考え、言葉を選ぶ。
「マサキと一緒なら、どんな夜も怖くない」
マサキは、彼女の手を握った。
「ああ...」
二人は並んで星空を見る。
遠い光が、静かに降り注ぐ。
孤独ではない夜。
約束が、永遠になった夜。
満天の星が、静かに二人を優しく包み込んでいた。
[第30章、終わり]




