『あるみん』 - 第28章「隔てるもの」
閃が、壁に手をかざし続けていた。
光の亀裂が、少しずつ、確実に広がっていく。
ひび割れの音が、微かに空間に響く。
石の床に落ちた光が揺れている。
規則的だったはずの明滅が、わずかに乱れていた。
「……もう少しです」
閃の声は冷静だった。
だが、その指先はわずかに震えている。
マサキは、檻の向こうのあるみんを見つめていた。
壁一枚。
たったそれだけの距離なのに、途方もなく遠い。
足を踏み出せば届くはずの距離が、どこまでも隔てられている。
あるみんも、こちらを見ていた。
静かに微笑んでいる。
その笑顔が、切なかった。
しばらく、誰も喋らない。
ただ、亀裂の広がる音だけが続く。
「……遅くなって、ごめん」
マサキが小さく言う。
あるみんは首を振った。
「ううん。来てくれた」
指先をそっと壁に触れる。
透明な障壁が淡く波紋を広げた。
遅れて光が消え、触れた場所だけがわずかに暗くなる。
マサキも同じ場所に手を当てた。
触れてはいない。
それでも、そこに“手”がある感覚だけが残る。
温度を感じた気がした。
「……近いね」
あるみんが呟く。
「でも、遠い」
マサキは答えられなかった。
「怖かったか」
少しの沈黙。
遠くで、何かが軋んだ気がした。
「……うん」
あるみんは俯く。
「消えるかもしれないって思った」
言葉を選びながら続ける。
「誰も覚えてないまま、終わるのが、いちばん怖かった」
指先が、ほんのわずかに震えていた。
マサキは言葉を失う。
胸が締め付けられる。
息を吸うが、うまく入らない。
墓前で見た文字が脳裏をよぎる。
――dyad
消えても、関係は残る。
ここに来るまで、失ったものは多すぎた。
それでも、まだ続いているものがある。
「大丈夫だ」
反射のように言った。
自分でも根拠がないと分かっている。
それでも、言わなければいけなかった。
「絶対、連れ出す」
あるみんは少しだけ笑う。
「うん。信じる」
視線が離れない。
触れていないのに、触れているような距離。
壊れれば、二度と届かない距離。
その笑顔はあまりにも静かで、だからこそ壊れそうだった。
雫がそっと口を開く。
「……あと少しです」
閃の額に汗が滲む。
光の亀裂がさらに広がる。
ひびが音を立てて伸びる。
(もうすぐだ)
その時、壁越しの指先にわずかな違和感が走った。
温度が、一瞬だけ消えた。
続く




