第61話 泣き虫天才と、絶望の巨大蜂
「はぁ……はぁ……疲れた……」
私は洞窟から這い出すようにして外の光を浴びると、その場にへたり込んだ。
全身が鉛のように重い。
巨大蜘蛛との戦闘で、魔力をほとんど使い果たしてしまったのだ。
私は、ポーチの中から先ほど手に入れた紫色の水晶玉を取り出した。
手のひらの上で、静かな輝きを放っている。
ポーチの中には、これで青と紫、二つのオーブが収まったことになる。
「にしても、かなり危険ね、この試験」
洞窟の中で、黒い塊と化した蜘蛛の残骸を思い出す。
あれは、Dランクの魔物ですらない。
おそらく、Cランクに匹敵する強敵だった。
一歩間違えれば、今頃、私の命はなかっただろう。
あと一つ……慎重に進まないと。
私は、壁に背を預け、ゆっくりと呼吸を整える。
今は、下手に動き回るより、魔力が少しでも回復するのを待った方が賢明だ。
そう思い、私は近くにあった、開けた草原へと向かった。
見晴らしの良い場所なら、魔物の奇襲を受ける心配も少ない。
草原の真ん中に、ポツンと、一本だけ小さな木が生えていた。
背中を預けるのに、ちょうど良さそうな場所。
私はその木陰に、ゆっくりと腰を下ろした。
「ふぅ……ちょっと休憩」
優しい風が、汗ばんだ私の頬を、撫でていく。
どこまでも青い空には、白い雲が、ゆっくりと流れていた。
体が八歳の子供なのもあって、体力の消耗が、前世とは比べ物にならないくらい激しい。
まあ、前世の私も、万年運動不足だったけれど。
私は、そんなことを考えながら、一点の雲もない空を見上げていた。
このまま、眠ってしまいたい。
そんな、抗いがたい誘惑に、私の意識がとろとろと溶け始めた、その時だった。
――きゃあああああああああああっ!!
森の奥から、鼓膜を突き破るような、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
それは、明らかに、女の子の声。
遠くから、いや、違う。
その声は、だんだんとこちらに近づいてくる。
「た、たすけてぇぇぇぇぇっ!!」
何事!?
私が驚いて飛び起きると、森の茂みから、一人の少女が文字通り転がり込むようにして、飛び出してきたのが見えた。
その子には、見覚えがある。
試験会場にいた、とんがり帽子の、紫色の髪の少女。
魔力測定で、圧倒的なSランクを叩き出した、あの天才魔術師だ。
だけど、今の彼女に、天才の面影はどこにもなかった。
髪は乱れ、服は泥だらけ。
その瞳は、恐怖に大きく見開かれ、綺麗な顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
そして、彼女が、何に追われているのか。
それを、認めた瞬間、私の背筋もぞくりと凍り付いた。
「えっ!? 虫!?」
彼女の後ろから追いかけてきていたのは、私の背丈ほどもある、巨大な蜂の魔物だった。
赤く、禍々しい複眼。
鎌のように、鋭い前足。
そして、尻に備わった、槍のように、太く、長い、毒針。
ブゥゥゥン、という、不快な羽音が、空気を震わせている。
「む、虫ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~っ!!」
紫髪の少女は、もはや、パニック状態だ。
そして、私の存在に気づくと、まるで、救いの神でも見つけたかのように、私の足元に泣きながら倒れ込んできた。
「お、お願い! 助けて! 私、虫、ダメなのぉぉぉっ!!」
「えええっ!?」
知るか! と、叫びたい気持ちを、必死に、抑える。
だけど、巨大な蜂は、もう私たちの目の前まで迫ってきていた。
その狙いは、明らかに、私たち二人。
ったく、仕方ないわね!
私は、心の中で、悪態をついた。
こんなところで、残り少ない魔力を、消費したくはない。
だけど、目の前で、女の子が殺されるのを見過ごせるほど、私の心臓は、鉄でできていない。
私は、彼女の前に立ちはだかった。
そして、最後の魔力を振り絞る。
「炎よ、私たちを、守る壁となれ!」
私が、そう詠唱した瞬間。
私の目の前の地面から、ごうっ!と、音を立てて、炎の壁が、噴き上がった。
「――初級魔法!」
灼熱の防壁が、巨大蜂の行く手を阻む。
蜂は炎を嫌うのか、その場でホバリングし、警戒するように、羽音を鳴らした。
私は急いで後ろで泣きじゃくっている、彼女に、声を掛ける。
「ほら! いつまで泣いてるのよ! あなたが、とどめを刺しなさい!」
「ひっ、ひぐっ……で、でもぉ……」
「でもじゃない! Sランクの魔力を持ってるんでしょ!? 私、もう魔力がほとんどないのよ! 早く!」
私が叱咤すると、彼女はびくりと体を震わせた。
そして、涙目で、私と炎の壁の向こうの蜂を、交互に見る。
やがて、覚悟を決めたように、こくりと、頷いた。
「わ、分かりました……!」
彼女は、ふらつきながらも、立ち上がる。
そして、両の手を前へと突き出した。
その姿は、先ほどまでの、泣き虫な彼女とは別人の様子。
「原初の闇よ、万物を喰らう、深淵の顎よ。我が敵を、打ち砕くべし。無慈悲なる、一本の、槍となれ――!」
詠唱と共に、彼女の周囲の空間が、ぐにゃり、と歪んだ。
その、圧倒的な魔力が、大気中の魔素を、根こそぎ吸い上げていく。
彼女の目の前に、闇そのものを凝縮したかのような、黒い、黒い、魔力の槍が形成されていった。
「――《ダークランス》!!」
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